政治激動 新しいプロセスへ① 扉を開いたのは共産党
総選挙の結果、与党過半数割れの歴史的大敗を喫した自民・公明の両党。総選挙での自民党の比例代表での得票は、1996年に現在の小選挙区・比例代表並立制で総選挙が行われるようになってから最低の約1458万票に後退。2021年の前回総選挙から約533万票の激減です。
公明党の比例得票も、自公政権協力を開始して以降最低の約596万票に落ち込みました。この間最高の約890万票から約290万票の減少です。石井啓一代表の落選という痛撃も加わりました。
裏金非公認候補へ2000万円支給を報じる「しんぶん赤旗」
メディア一致
10月29日付「産経」の1面コラムは「当落線上に踏ん張っていた候補者を奈落の底に突き落としたのが、共産党機関紙『赤旗』のスクープ記事である」と書きました。メディアも政党も政治的激動の扉を開いたのが共産党と「しんぶん赤旗」だという点で一致しています。
同時に、今回の選挙では自民党政治に対するノーの審判は下ったが、暮らしや経済、平和の問題で自民党政治に代わる新しい政治の中身をどうするのかを巡り、国民の明確な選択が行われたとは言い切れません。
こうしたもとで、日本共産党は10月28日の常任幹部会の声明で「大局的に見れば、国民が自民党政治に代わる新しい政治を模索し、探求する、新しい政治プロセスが始まった」としました。安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合(市民連合)も28日の「声明」で「政権交代への過程で実現される具体的な政治の『中身』こそが、さらに重要な争点である」と強調しました。
2007年の参院選挙で当時の第1次安倍政権が惨敗を喫したときも、現在と類似の政治状況が生まれ、日本共産党は「新しい政治プロセスが始まった」として自民党に代わる政治の中身の探求と模索の時代と特徴づけました。
当時の民主党は小沢一郎代表のもと「対決軸路線」にかじを切り、09年には政権交代を実現。しかし、民主党政権はメディアや官僚機構、米国の攻撃をうけ変節、分裂、混乱の末、自民党政治に「回帰」し12年の総選挙で惨敗。第2次安倍自公政権の誕生となったのです。
激烈な審判に
野党への“信頼”が崩れるもと「自民1強」の状況が続き、暮らし・福祉破壊、立憲主義破壊と「戦争する国」づくり、政治の私物化など、自民党政治の劣化と行き詰まりは拡大し、国民の不信と不満は極限に達していました。ついに新たな段階での激烈な審判となったのです。
日本共産党の志位和夫議長は29日の演説で「自民党政治に代わってどういう政治をつくるのかと模索、探求する新しいプロセスが始まったというのが選挙結果です」と強調。同時に2007年と違う条件も示しました。「当時より自民党ははるかに劣化し、このプロセスの扉を開いたのは共産党です。自公少数転落が衆院で生じたことも重大な点です」とし「今度こそ国民の声が生きる、自民党政治の中身が本当に変わる、そういう政治をつくりたい」と力を込めました。(つづく)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2024年10月30日付掲載
10月29日付「産経」の1面コラムは「当落線上に踏ん張っていた候補者を奈落の底に突き落としたのが、共産党機関紙『赤旗』のスクープ記事である」と書きました。メディアも政党も政治的激動の扉を開いたのが共産党と「しんぶん赤旗」だという点で一致。
日本共産党の志位和夫議長は10月29日の演説で「自民党政治に代わってどういう政治をつくるのかと模索、探求する新しいプロセスが始まったというのが選挙結果です」と強調。同時に2007年と違う条件も示しました。「当時より自民党ははるかに劣化し、このプロセスの扉を開いたのは共産党です。自公少数転落が衆院で生じたことも重大な点です」
総選挙の結果、与党過半数割れの歴史的大敗を喫した自民・公明の両党。総選挙での自民党の比例代表での得票は、1996年に現在の小選挙区・比例代表並立制で総選挙が行われるようになってから最低の約1458万票に後退。2021年の前回総選挙から約533万票の激減です。
公明党の比例得票も、自公政権協力を開始して以降最低の約596万票に落ち込みました。この間最高の約890万票から約290万票の減少です。石井啓一代表の落選という痛撃も加わりました。
裏金非公認候補へ2000万円支給を報じる「しんぶん赤旗」
メディア一致
10月29日付「産経」の1面コラムは「当落線上に踏ん張っていた候補者を奈落の底に突き落としたのが、共産党機関紙『赤旗』のスクープ記事である」と書きました。メディアも政党も政治的激動の扉を開いたのが共産党と「しんぶん赤旗」だという点で一致しています。
同時に、今回の選挙では自民党政治に対するノーの審判は下ったが、暮らしや経済、平和の問題で自民党政治に代わる新しい政治の中身をどうするのかを巡り、国民の明確な選択が行われたとは言い切れません。
こうしたもとで、日本共産党は10月28日の常任幹部会の声明で「大局的に見れば、国民が自民党政治に代わる新しい政治を模索し、探求する、新しい政治プロセスが始まった」としました。安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合(市民連合)も28日の「声明」で「政権交代への過程で実現される具体的な政治の『中身』こそが、さらに重要な争点である」と強調しました。
2007年の参院選挙で当時の第1次安倍政権が惨敗を喫したときも、現在と類似の政治状況が生まれ、日本共産党は「新しい政治プロセスが始まった」として自民党に代わる政治の中身の探求と模索の時代と特徴づけました。
当時の民主党は小沢一郎代表のもと「対決軸路線」にかじを切り、09年には政権交代を実現。しかし、民主党政権はメディアや官僚機構、米国の攻撃をうけ変節、分裂、混乱の末、自民党政治に「回帰」し12年の総選挙で惨敗。第2次安倍自公政権の誕生となったのです。
激烈な審判に
野党への“信頼”が崩れるもと「自民1強」の状況が続き、暮らし・福祉破壊、立憲主義破壊と「戦争する国」づくり、政治の私物化など、自民党政治の劣化と行き詰まりは拡大し、国民の不信と不満は極限に達していました。ついに新たな段階での激烈な審判となったのです。
日本共産党の志位和夫議長は29日の演説で「自民党政治に代わってどういう政治をつくるのかと模索、探求する新しいプロセスが始まったというのが選挙結果です」と強調。同時に2007年と違う条件も示しました。「当時より自民党ははるかに劣化し、このプロセスの扉を開いたのは共産党です。自公少数転落が衆院で生じたことも重大な点です」とし「今度こそ国民の声が生きる、自民党政治の中身が本当に変わる、そういう政治をつくりたい」と力を込めました。(つづく)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2024年10月30日付掲載
10月29日付「産経」の1面コラムは「当落線上に踏ん張っていた候補者を奈落の底に突き落としたのが、共産党機関紙『赤旗』のスクープ記事である」と書きました。メディアも政党も政治的激動の扉を開いたのが共産党と「しんぶん赤旗」だという点で一致。
日本共産党の志位和夫議長は10月29日の演説で「自民党政治に代わってどういう政治をつくるのかと模索、探求する新しいプロセスが始まったというのが選挙結果です」と強調。同時に2007年と違う条件も示しました。「当時より自民党ははるかに劣化し、このプロセスの扉を開いたのは共産党です。自公少数転落が衆院で生じたことも重大な点です」