人たるに値するための基本原則―労働基準法70年と「働き方改革」
西谷 敏
にしたに・さとし 1943年生まれ。大阪市立大学名誉教授。著書に『労働法』『労働法の基本構造』ほか
労働基準法(労基法)は、1947年、「人たるに値する労働条件」(1条1項)の理念を高らかに掲げて誕生した。1911年の工場法を継承する面もあったが、何よりも1946年制定の日本国憲法のもとで、憲法の付託を受けて(27条2項)、生存権(25条)、労働権(27条1項)、個人の尊重(13条)などの理念を労働関係において具体化するために制定されたのが労基法である。
経済が戦争による壊滅的打撃からようやく立ち上がろうとする時期であったが、労基法はあえて国際水準に近い基準を設定し、高まりつつある労働運動とあいまって、国際的に見劣りしない労働条件が実現することを期待した。労基法の根底には一種の理想主義があった。
違反の企業に罰則科す予定
労基法制定以来、労基法の周辺に最低賃金法(1959年)、労働安全衛生法(72年)、男女雇用機会均等法(85年)、労働者派遣法(85年)、労働契約法(2007年)などの法律が制定されたが、労基法の中核的地位に変わりはない。
労基法の最も重要な特徴は、労働関係の基本原則を定めたうえで、労働時間、年休、産前産後休業などの労働条件について、すべての労働者とすべての企業に適用される最低基準を定め、違反した使用者(管理職と企業そのもの)への罰則を予定している点である。労基法違反は一種の犯罪なのである。もちろん、労基法で定めるのは最低基準であるから、労使当事者にはそれを上まわる労働条件を決定することが期待されている(1条2項)。
以来70年、日本の経済は大きく成長し、GDPは一時世界2位にまでなったが、労基法の掲げた理念は実現にはほど遠い。一方の極には低賃金にあえぐ大量の非正規労働者があり、他方の極には過労死するまでの極端な過重労働を強いられる正社員がいる。いずれの働き方もとうてい「人たるに値する」とはいえない。その原因は、労基法が時代の変化に応じて適切に改正されなかったこと、不払い残業をはじめ労基法違反が後を絶たないこと、労働運動が期待に反して大きく停滞してきたことなどによる。
空洞化許さず理念の実現を
今、「働き方改革」を論じるのであれば、何よりもこうした両極の非人間的な働き方を一掃し、憲法と労基法の理念を現実化するものでなければならない。しかし、安倍内閣の「働き方改革」は、過労死するまでの長時間労働を容認し、裁量労働制の拡大や高度プロフェッショナル制度の導入などにより、労基法を一層空洞化させようとするものである。加えて、労働基準監督署業務の一部民営化など、労基法を実効性の面から空洞化させる動きも表面化している。
制定から70年。労基法は、今現実化と空洞化の岐路にたたされている。
「しんぶん赤旗」日刊紙 2017年6月5日付掲載
労働条件の基本を定める労働基準法。「憲法の付託を受けて」ってところが大事である。
「働き方改革」を言うなら、この原点に返って、人間らしい働き方、人間らしい暮らしのできる賃金が求められる。
西谷 敏
にしたに・さとし 1943年生まれ。大阪市立大学名誉教授。著書に『労働法』『労働法の基本構造』ほか
労働基準法(労基法)は、1947年、「人たるに値する労働条件」(1条1項)の理念を高らかに掲げて誕生した。1911年の工場法を継承する面もあったが、何よりも1946年制定の日本国憲法のもとで、憲法の付託を受けて(27条2項)、生存権(25条)、労働権(27条1項)、個人の尊重(13条)などの理念を労働関係において具体化するために制定されたのが労基法である。
経済が戦争による壊滅的打撃からようやく立ち上がろうとする時期であったが、労基法はあえて国際水準に近い基準を設定し、高まりつつある労働運動とあいまって、国際的に見劣りしない労働条件が実現することを期待した。労基法の根底には一種の理想主義があった。
違反の企業に罰則科す予定
労基法制定以来、労基法の周辺に最低賃金法(1959年)、労働安全衛生法(72年)、男女雇用機会均等法(85年)、労働者派遣法(85年)、労働契約法(2007年)などの法律が制定されたが、労基法の中核的地位に変わりはない。
労基法の最も重要な特徴は、労働関係の基本原則を定めたうえで、労働時間、年休、産前産後休業などの労働条件について、すべての労働者とすべての企業に適用される最低基準を定め、違反した使用者(管理職と企業そのもの)への罰則を予定している点である。労基法違反は一種の犯罪なのである。もちろん、労基法で定めるのは最低基準であるから、労使当事者にはそれを上まわる労働条件を決定することが期待されている(1条2項)。
以来70年、日本の経済は大きく成長し、GDPは一時世界2位にまでなったが、労基法の掲げた理念は実現にはほど遠い。一方の極には低賃金にあえぐ大量の非正規労働者があり、他方の極には過労死するまでの極端な過重労働を強いられる正社員がいる。いずれの働き方もとうてい「人たるに値する」とはいえない。その原因は、労基法が時代の変化に応じて適切に改正されなかったこと、不払い残業をはじめ労基法違反が後を絶たないこと、労働運動が期待に反して大きく停滞してきたことなどによる。
空洞化許さず理念の実現を
今、「働き方改革」を論じるのであれば、何よりもこうした両極の非人間的な働き方を一掃し、憲法と労基法の理念を現実化するものでなければならない。しかし、安倍内閣の「働き方改革」は、過労死するまでの長時間労働を容認し、裁量労働制の拡大や高度プロフェッショナル制度の導入などにより、労基法を一層空洞化させようとするものである。加えて、労働基準監督署業務の一部民営化など、労基法を実効性の面から空洞化させる動きも表面化している。
制定から70年。労基法は、今現実化と空洞化の岐路にたたされている。
「しんぶん赤旗」日刊紙 2017年6月5日付掲載
労働条件の基本を定める労働基準法。「憲法の付託を受けて」ってところが大事である。
「働き方改革」を言うなら、この原点に返って、人間らしい働き方、人間らしい暮らしのできる賃金が求められる。
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