阪神・淡路大震災20年 復興を問う⑤ 被災者支援へ
たたかいが政治動かす
「みんな、よう頑張ってきたな、と思う」
震災後再建した神戸市東灘区の自宅で、石田健一郎さん(78)は語ります。
被災者が集まる「被災者ネットワーク」の事務局長。夫婦の年金月24万円から、住宅ローン返済に10万円を充て、国保料が払えないときも。返済は96歳まで続きます。
県民集会で、個人補償実現、「人間復興」中心の施策をと訴える参加者=2000年1月17日、神戸市
支援法成立・改正
震災後の20年間は、被災者と救援復興県民会議、日本共産党のたたかいが政治を動かし、被災者支援を前進させてきた日々でもあります。運動の現場には、常に石田さんの姿がありました。
震災当時の村山内閣が個人補償を拒否した下で、生活再建へ公的支援・個人補償を求めるたたかいが巻き起こります。
県民会議は「人間復興」を掲げ、「住宅・店舗再建に500万円、生活支援に350万円の公的支援」を求めて126万人の署名を集め、2度の1万人集会、87万人が投票した「住民投票」運動―などをくり広げます。
県内著名人48氏、次いで126氏が公的支援実現アピールを発表し、作家の小田実(まこと)さんらは市民立法運動を推進。それぞれ連携し合い、一点共闘が大きく広がりました。
こうした中で1998年5月に被災者生活再建支援法が成立。2004年と07年の改正で、阪神・淡路は対象外とはいえ住宅再建に最高300万円支給が実現しました。
阪神・淡路ではまた、復興公営住宅の戸数増と家賃低減、災害援護資金の月1000円からの少額返済などが実現。最近では、借り上げ住宅入居者の必死のたたかいで県と神戸市の全員退去方針を撤回させ、一部継続入居を認めさせました。災害援護資金も「無資力状態」なら返済免除に。長年の要求が実りました。
被災者代表国会
日本共産党は一貫して被災者や諸団体とともに運動を進め、国会・地方議会で奮闘してきました。
1996年衆院選で返り咲いた兵庫の藤木洋子さん、98年参院選兵庫選挙区で当選した大沢辰美さんが、被災者の切実な声を国会でくり返し突きつけ、支援法改正など被災者のために尽力しました。
昨年12月の衆院選で再び、被災者の代表、兵庫の堀内照文さんが近畿ブロック比例の議席を獲得。神戸大学時代に震災に遭い、救援活動に奔走し、今日まで被災者を支援し続けている人です。
ここまで来た一方で、再起がかなわず、1097人の孤独死や自殺などおびただしい犠牲がありました。
また、個人補償がなく、支援法が適用されなかった影響が色濃く残っています。
石田さんはいいます。
「借り上げ住宅をはじめ被災者の困難は続く。私自身もそう。堀内さんが当選して要求が実現する条件が大きくなったし、他の災害被災者のためにも、まだまだ頑張ります」(おわり)
(この連載は兵庫県・喜田光洋、同・秋定則之が担当しました)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2015年1月14日付掲載
「空港より住宅を」「個人補償の実現を」と夢中で走ってきた渦中の人間としては、振り返ってみると、あの闘いが東日本大震災の被災者支援に生きていると、しみじみ実感します。
そして明日、阪神・淡路大震災20周年を迎えます。
たたかいが政治動かす
「みんな、よう頑張ってきたな、と思う」
震災後再建した神戸市東灘区の自宅で、石田健一郎さん(78)は語ります。
被災者が集まる「被災者ネットワーク」の事務局長。夫婦の年金月24万円から、住宅ローン返済に10万円を充て、国保料が払えないときも。返済は96歳まで続きます。
県民集会で、個人補償実現、「人間復興」中心の施策をと訴える参加者=2000年1月17日、神戸市
支援法成立・改正
震災後の20年間は、被災者と救援復興県民会議、日本共産党のたたかいが政治を動かし、被災者支援を前進させてきた日々でもあります。運動の現場には、常に石田さんの姿がありました。
震災当時の村山内閣が個人補償を拒否した下で、生活再建へ公的支援・個人補償を求めるたたかいが巻き起こります。
県民会議は「人間復興」を掲げ、「住宅・店舗再建に500万円、生活支援に350万円の公的支援」を求めて126万人の署名を集め、2度の1万人集会、87万人が投票した「住民投票」運動―などをくり広げます。
県内著名人48氏、次いで126氏が公的支援実現アピールを発表し、作家の小田実(まこと)さんらは市民立法運動を推進。それぞれ連携し合い、一点共闘が大きく広がりました。
こうした中で1998年5月に被災者生活再建支援法が成立。2004年と07年の改正で、阪神・淡路は対象外とはいえ住宅再建に最高300万円支給が実現しました。
阪神・淡路ではまた、復興公営住宅の戸数増と家賃低減、災害援護資金の月1000円からの少額返済などが実現。最近では、借り上げ住宅入居者の必死のたたかいで県と神戸市の全員退去方針を撤回させ、一部継続入居を認めさせました。災害援護資金も「無資力状態」なら返済免除に。長年の要求が実りました。
被災者代表国会
日本共産党は一貫して被災者や諸団体とともに運動を進め、国会・地方議会で奮闘してきました。
1996年衆院選で返り咲いた兵庫の藤木洋子さん、98年参院選兵庫選挙区で当選した大沢辰美さんが、被災者の切実な声を国会でくり返し突きつけ、支援法改正など被災者のために尽力しました。
昨年12月の衆院選で再び、被災者の代表、兵庫の堀内照文さんが近畿ブロック比例の議席を獲得。神戸大学時代に震災に遭い、救援活動に奔走し、今日まで被災者を支援し続けている人です。
ここまで来た一方で、再起がかなわず、1097人の孤独死や自殺などおびただしい犠牲がありました。
また、個人補償がなく、支援法が適用されなかった影響が色濃く残っています。
石田さんはいいます。
「借り上げ住宅をはじめ被災者の困難は続く。私自身もそう。堀内さんが当選して要求が実現する条件が大きくなったし、他の災害被災者のためにも、まだまだ頑張ります」(おわり)
(この連載は兵庫県・喜田光洋、同・秋定則之が担当しました)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2015年1月14日付掲載
「空港より住宅を」「個人補償の実現を」と夢中で走ってきた渦中の人間としては、振り返ってみると、あの闘いが東日本大震災の被災者支援に生きていると、しみじみ実感します。
そして明日、阪神・淡路大震災20周年を迎えます。
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