浦野先生のそもそも税金講座①
消費税大増税で問われる税金の在り方―。
浦野広明・立正大学法学部客員教授の「そもそも税金講座」を連載します。
うらの・ひろあき=北海道生まれ。日本民主法律家協会副理事長。著書は『税務調査とのたたかい』『納税者の権利と法』『たたかう税理士の税務相談』『税民投票で日本が変わる』など多数
フランス人権宣言の原則は
市民革命と近代税制
私たちが税金を払う根拠は、憲法にあります。「税」という言葉が出てくる、日本国憲法の2条文を読んでみましょう。
「国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ」(30条)軸あらたに租税を課し、又は現行の租税を変更するには、法律又は法律の定める条件によることを必要とする」(84条)憲法は、国が法律に基づいて国民に課税すると定めているのです。
この租税法律主義は、近代市民社会の成立と深い関係があります。近代市民社会の成立前は、封建領主や国王が、国民の自由や財産に対して勝手に干渉していました。このような封建的支配関係を含む封建社会をうち倒したのが、市民革命(ブルジョア民主主義革命)です。たとえば、1789年のフランス革命が、それに当たります。
1789年の「人および市民の権利憲章(フランス人権宣言)」の図
権力行使を制約
市民革命の出発点は、領主が行っていた一方的な課税をはじめとする権力行使を制約するたたかいでした。
封建社会は、領主が農民の労働生産物をただで取り上げ、商工業者に一方的に税金をかけていました。他方、一部の商工業者は政治権力と結びつき莫大(ばくだい)な富を得ていました。時代劇で「お主も悪だのう」といわれる徳川時代の悪徳商人が、その例です。現代に置き換えれば、“政治献金が欲しければ言うことを聞け”という財界でしょうか。
市民革命は、封建社会の仕組みを禁じ、身分制度や封建的制限を撤廃し、自由・平等な市民によって構成される市民社会をつくりました。
フランス革命の際に採択された「人および市民の権利宣言」(人権宣言)は、次のようにうたっています。(宮沢俊義他編『人権宣言集』岩波文庫)
「武力を維持するため、および行政の諸費用のため、共同の租税は、不可欠である。それはすべての市民のあいだでその能力に応じて平等に配分されなければならない」(13条)「すべての市民は、自身でまたはその代表者により公の租税の必要性を確認し、これを自由に承諾し、その使途を追及し、かつその数額・基礎・徴収および存続期間を規定する権利を有する」(14条)
市民革命によって、租税の賦課・徴収は、必ず国民を代表する議会の決めた法律に基づき行わなければならないという近代税制の基本原則(租税法律主義)が生まれたのです。
契約という考え
ところが、日本には市民革命の歴史がありません。江戸時代の権力者(武士階級)は「おかみ」として年貢(税金)を勝手に取り立てました。明治以降の天皇制国家も、この伝統を引き継いでいました。
やっと現在の憲法になって、国民主権と租税法律主義(84条)の原則がとられ、税金は、国民の代表がつくる法律、つまり国民の同意(国家権力と国民の契約)によることになりました。しかし、憲法制定から70年近くなるにもかかわらず、実質的に税金が契約だという考えは確立していません。
悪い税制の旗振り役である政府税制調査会は「消費税の増税はやむをえないとする方向へ国民を誘導する論議が必要である」と述べていました。(2005年度の税制改定答申)
前出のフランス人権宣言がうたっている「能力に応じて平等に」というのが、「応能負担原則」です。消費税は「応能負担原則」と相いれません。次回は、憲法と「応能負担原則」について、考えていきましょう。
「しんぶん赤旗」日曜版 2012年4月8日付掲載
日本共産党の綱領・古典の連続教室の古典第11回で、不破さんが解説。
有史以来の歴史は旧体制を新しい体制が打ち倒す「革命」の連続だったと。日本の場合もその例外にならず、奈良・平安時代、鎌倉・室町時代、戦国時代を経て江戸時代、そして明治以降。
しかし、日本の場合は明治維新の場合も、飛鳥・奈良時代からの天皇の権威を利用して江戸幕府を倒したとの事。
フランス革命のように、ブルジョアジーが封建国家の頂点の徳川幕府を倒したのではなかったのです。
税金の課税についても、未だに「お上に納めるもの」って感覚が根強くあります。
でも、現在の税金は政府や自治体が、国民・住民の福祉や教育、公共事業などを行うために納めるものです。封建時代のように領主の贅沢のためではありません。
だからこそ、課税の根拠をはっきりとしてもらわないといけませんね。サラリーマンはもちろん、自営業者にも自主申告が広がっています。
不破さんは、「革命権」についても言及。今の政権が気に入らなかったらそれを打倒する権利が人民にはあるとの事です。
消費税大増税で問われる税金の在り方―。
浦野広明・立正大学法学部客員教授の「そもそも税金講座」を連載します。
うらの・ひろあき=北海道生まれ。日本民主法律家協会副理事長。著書は『税務調査とのたたかい』『納税者の権利と法』『たたかう税理士の税務相談』『税民投票で日本が変わる』など多数
フランス人権宣言の原則は
市民革命と近代税制
私たちが税金を払う根拠は、憲法にあります。「税」という言葉が出てくる、日本国憲法の2条文を読んでみましょう。
「国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ」(30条)軸あらたに租税を課し、又は現行の租税を変更するには、法律又は法律の定める条件によることを必要とする」(84条)憲法は、国が法律に基づいて国民に課税すると定めているのです。
この租税法律主義は、近代市民社会の成立と深い関係があります。近代市民社会の成立前は、封建領主や国王が、国民の自由や財産に対して勝手に干渉していました。このような封建的支配関係を含む封建社会をうち倒したのが、市民革命(ブルジョア民主主義革命)です。たとえば、1789年のフランス革命が、それに当たります。
1789年の「人および市民の権利憲章(フランス人権宣言)」の図
権力行使を制約
市民革命の出発点は、領主が行っていた一方的な課税をはじめとする権力行使を制約するたたかいでした。
封建社会は、領主が農民の労働生産物をただで取り上げ、商工業者に一方的に税金をかけていました。他方、一部の商工業者は政治権力と結びつき莫大(ばくだい)な富を得ていました。時代劇で「お主も悪だのう」といわれる徳川時代の悪徳商人が、その例です。現代に置き換えれば、“政治献金が欲しければ言うことを聞け”という財界でしょうか。
市民革命は、封建社会の仕組みを禁じ、身分制度や封建的制限を撤廃し、自由・平等な市民によって構成される市民社会をつくりました。
フランス革命の際に採択された「人および市民の権利宣言」(人権宣言)は、次のようにうたっています。(宮沢俊義他編『人権宣言集』岩波文庫)
「武力を維持するため、および行政の諸費用のため、共同の租税は、不可欠である。それはすべての市民のあいだでその能力に応じて平等に配分されなければならない」(13条)「すべての市民は、自身でまたはその代表者により公の租税の必要性を確認し、これを自由に承諾し、その使途を追及し、かつその数額・基礎・徴収および存続期間を規定する権利を有する」(14条)
市民革命によって、租税の賦課・徴収は、必ず国民を代表する議会の決めた法律に基づき行わなければならないという近代税制の基本原則(租税法律主義)が生まれたのです。
契約という考え
ところが、日本には市民革命の歴史がありません。江戸時代の権力者(武士階級)は「おかみ」として年貢(税金)を勝手に取り立てました。明治以降の天皇制国家も、この伝統を引き継いでいました。
やっと現在の憲法になって、国民主権と租税法律主義(84条)の原則がとられ、税金は、国民の代表がつくる法律、つまり国民の同意(国家権力と国民の契約)によることになりました。しかし、憲法制定から70年近くなるにもかかわらず、実質的に税金が契約だという考えは確立していません。
悪い税制の旗振り役である政府税制調査会は「消費税の増税はやむをえないとする方向へ国民を誘導する論議が必要である」と述べていました。(2005年度の税制改定答申)
前出のフランス人権宣言がうたっている「能力に応じて平等に」というのが、「応能負担原則」です。消費税は「応能負担原則」と相いれません。次回は、憲法と「応能負担原則」について、考えていきましょう。
「しんぶん赤旗」日曜版 2012年4月8日付掲載
日本共産党の綱領・古典の連続教室の古典第11回で、不破さんが解説。
有史以来の歴史は旧体制を新しい体制が打ち倒す「革命」の連続だったと。日本の場合もその例外にならず、奈良・平安時代、鎌倉・室町時代、戦国時代を経て江戸時代、そして明治以降。
しかし、日本の場合は明治維新の場合も、飛鳥・奈良時代からの天皇の権威を利用して江戸幕府を倒したとの事。
フランス革命のように、ブルジョアジーが封建国家の頂点の徳川幕府を倒したのではなかったのです。
税金の課税についても、未だに「お上に納めるもの」って感覚が根強くあります。
でも、現在の税金は政府や自治体が、国民・住民の福祉や教育、公共事業などを行うために納めるものです。封建時代のように領主の贅沢のためではありません。
だからこそ、課税の根拠をはっきりとしてもらわないといけませんね。サラリーマンはもちろん、自営業者にも自主申告が広がっています。
不破さんは、「革命権」についても言及。今の政権が気に入らなかったらそれを打倒する権利が人民にはあるとの事です。
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