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「しんぶん赤旗」の記事を中心に、政治・経済・労働問題などを個人的に発信。
日本共産党兵庫県委員会で働いています。

金融侵略 苦悩する東芝⑥ 短期利益追求で衰退

2023-05-16 07:05:20 | 経済・産業・中小企業対策など
金融侵略 苦悩する東芝⑥ 短期利益追求で衰退
東芝衰退の始まりは新自由主義的経営にかじを切った1998年にさかのぼります。
「米国、韓国、台湾、中国など世界の電機メーカーとの競争が激化し、利益がじり貧状態に陥った時期でした。東芝の経営者は新自由主義的な経営改革で国際競争力を強化しようと考えたのです」

改革の「裏の顔」
「東芝の職場を明るくする会」副代表で元東芝社員の羽田和人さんは、改革には二つの柱と一つの「裏の顔」があったと語ります。
一つ目の柱は「集中と選択」です。人員と資金を集中させる事業を選択し、利益の薄い事業を切り捨てました。社内に残す8事業部門に「社内カンパニー制」を導入し、独立企業に見立てて独立採算で利益をあげるよう迫りました。事業部門ごとの業績と報酬を連動させ、短期利益追求へ駆り立てました。特に注力したのが、半導体を主力製品とする電子デバイス事業と、原発を主力製品とする社会インフラ事業でした。
二つ目は「軽量化」です。2001年のIT(情報技術)バブル崩壊後の世界的不況を受けて大規模リストラ「01アクションプラン」を発動。生産の海外移転と外部委託を拡大し、国内工場を統廃合しました。東芝グループの国内従業員14万4千人を1万7千人削減しました。
こうした改革の「裏の顔」が株主至上主義でした。「株主に利益を還元する企業」という方針を掲げ、社内報で周知しました。経営幹部を対象に東芝株式取得制度を導入し、毎年最低100万円の株式購入を義務付けました。幹部が株価下落の損失を被るようにし、「株主を意識した経営」を徹底する目的でした。役員報酬と株主配当を増やす一方、「成果主義」の名目で賃金を抑えました。
短期的には利益が増え、東芝は「成功例」ともてはやされました。しかし中長期の視野でみると「事業環境の変化に弱く、技術革新を起こせない会社に変質してしまった」と羽田さんは嘆きます。
08年に世界金融危機が起き、主力の半導体事業が大打撃を受けました。11年の東日本大震災では、もう一つの注力事業だった原発輸出が暗礁に乗り上げました。急激な経営悪化は、粉飾決算(15年)、債務超過(17年)という歴史的事件に発展して世間を驚かせました。東芝グループの研究開発費は十数年間で6割以上も減りました。(グラフ)




後は野となれ…
「経営者は3カ月に1度の四半期決算で利益を出し、株価を上げることに熱中しました。研究開発費や技術習得費を削減し、優良事業も切り売りし、利益が出たら株主に還元しました。技術革新を生む土壌は狭まり、設計部門は『人員も予算も足りない』と悲嘆にくれました。人件費の安い外国企業へ安易に生産を委託した結果、過去に開発した技術まで流出して失われました。資産と利益を株主に差し出し、東芝には何も残らない。後は野となれ山となれ、という経営です。競争力が強まるはずもありません」
東芝の変質は、米国の要求に追随して自公政権が進めた金融制度や会社制度の新自由主義的改変と軌を一にしていました。経済社会の全分野に株主至上主義を浸透させることをめざす新自由主義は、単なる思想ではなく、制度として日本社会に埋め込まれました。
(つづく)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2023年5月12日付掲載


一つ目の柱は「集中と選択」。利益の薄い事業を切り捨て。二つ目は「軽量化」。生産の海外移転と外部委託を拡大し、国内工場を統廃合。
こうした改革の「裏の顔」が株主至上主義。
研究開発費は削り、設計部門は人が足りない。技術は海外に流出。
株主のための短期の利益を追求した結果。東芝にはなにも残らなかたった。

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