今年になって、「しんぶん赤旗」日刊紙に写真家の落合由利子さんのコラム記事が連載されました。
震災が起こって非日常の日々が始まる・・・。しかしその非日常も日常になっていく・・・。
「こんな時に写真撮影なんて」って言われかねませんが、写真家だからこそ、そんな非日常を撮っていく・・・。
そのコラム記事を紹介します。
太陽と風と洗濯物と① 落合由利子
日常と非日常の交差
新しい年を迎え心持ちも新たに、という思いに今年はどうもならない。軽く引き受けてしまったこの原稿が意外に重圧になっているからか、いやいやそうではない。
昨年の3月11日以降私はずっと写真を撮っている。もちろん写真を仕事にしているのだ
からそれまでだって写真は撮っていたのだけれど、あの日から自分の日常と対面してシャッターを切りはじめた。それは自然発生的な行為だった。
私は埼玉県に暮らしている。福島第1原子力発電所の爆発を聞いて一番始めにしたことを正直に書くと、スーパーに米を買いに走ったのだった。ちょうど米が切れかけていた。
育ち盛りの子どもを2人抱える身としてまず食料の確保だった。あまり流行の先端を歩いたことがないのだが、カートに山盛りの食料を積んでいるのは私だけだった。レジに並びながら「風が吹くとき」(「スノーマン」のレイモンド・ブリッグス原作。1987年日本公開)というアニメーション映画を思い出していた。登場人物は平和なイギリスの片田舎に住む老夫婦の2人だけ。世界情勢が悪化し核爆弾が投下された。生きのびた2人は普通に日常生活を送ろうとするのだが、次第に体が蝕まれていく。淡々と実に淡々と辛い映画だった。
食料が積まれた自分のカートとあわてることもなくレジに並ぶ人々をながめながら、今日の続きの明日がないかもしれない、と今まで感じたことのない不安を感じていた。だけどどこかでいずれはこの非日常も日常となるのだろうと思った。だとしたら、このとらえきれない感覚を撮ることでわかりたい、ちゃんと触れ続けたいと思ったのだった。
(写真家)(金曜掲載)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2012年1月6日付掲載
震災が起こって非日常の日々が始まる・・・。しかしその非日常も日常になっていく・・・。
「こんな時に写真撮影なんて」って言われかねませんが、写真家だからこそ、そんな非日常を撮っていく・・・。
そのコラム記事を紹介します。
太陽と風と洗濯物と① 落合由利子
日常と非日常の交差
新しい年を迎え心持ちも新たに、という思いに今年はどうもならない。軽く引き受けてしまったこの原稿が意外に重圧になっているからか、いやいやそうではない。
昨年の3月11日以降私はずっと写真を撮っている。もちろん写真を仕事にしているのだ
からそれまでだって写真は撮っていたのだけれど、あの日から自分の日常と対面してシャッターを切りはじめた。それは自然発生的な行為だった。
私は埼玉県に暮らしている。福島第1原子力発電所の爆発を聞いて一番始めにしたことを正直に書くと、スーパーに米を買いに走ったのだった。ちょうど米が切れかけていた。
育ち盛りの子どもを2人抱える身としてまず食料の確保だった。あまり流行の先端を歩いたことがないのだが、カートに山盛りの食料を積んでいるのは私だけだった。レジに並びながら「風が吹くとき」(「スノーマン」のレイモンド・ブリッグス原作。1987年日本公開)というアニメーション映画を思い出していた。登場人物は平和なイギリスの片田舎に住む老夫婦の2人だけ。世界情勢が悪化し核爆弾が投下された。生きのびた2人は普通に日常生活を送ろうとするのだが、次第に体が蝕まれていく。淡々と実に淡々と辛い映画だった。
食料が積まれた自分のカートとあわてることもなくレジに並ぶ人々をながめながら、今日の続きの明日がないかもしれない、と今まで感じたことのない不安を感じていた。だけどどこかでいずれはこの非日常も日常となるのだろうと思った。だとしたら、このとらえきれない感覚を撮ることでわかりたい、ちゃんと触れ続けたいと思ったのだった。
(写真家)(金曜掲載)
「しんぶん赤旗」日刊紙 2012年1月6日付掲載
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