内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

新しい万年筆選びに迷う、あるいは逡巡の愉悦

2019-10-11 03:05:45 | 雑感

 二十年以上愛用してきたモンブランのマイスターシュテュック149が数日前壊れてしまった。昨年あたりから調子が悪くなってはいたのだが、先日、インクを完全に抜いて、ぬるま湯で洗浄しているときに、インクを吸引するバルブを引き上げる螺旋状に溝が彫ってある内軸が根本で折れてしまった。ショック、だった。修理できるのかどうかもわからない。
 ストラスブールにはモンブランの専門店が一軒ある。でも、正直、こちらで修理に出す気にはなれない。ドイツ製品だから、ヨーロッパにある専門店に修理を依頼すればよさそうなものだが、なんとなく気乗りがしない。年末年始の帰国時に日本の専門店に持っていくつもり。ええ、そうです。こういうところ、私、ヨーロッパ在住の捻くれた「ナショナリスト」なんです。
 日常的な筆記用具として使っていたわけではないし、万年筆がないとどうしても困るということもないが、やはり、一本は人前に出しても恥ずかしくない一品を持っていたいなぁと思う。
 私が高校二年のときに亡くなった父は、万年筆を何本も持っていた。最後まで使っていたのは、パーカーの持ち重りのする銀製の一品だった。これはペン先の角度が調節できて、私も形見としてしばらく使っていたが、とにかく重いし、父の書癖がすでにペン先を変形させていて、私には使いにくかった。
 その他、もちろんモンブランも何本かあったし、シェーファー、ペリカン、ワテルマン(ウォーターマン)などがあったことを覚えている。ペリカンの書き味の滑らかさには魅了されたなぁ。
 さて、今回初めて自腹で買う段になって(マイスターシュテュック149は誕生日の贈り物でした)、えらく迷っている。この一本と決めるわけにもいかないし、何本か持っていてもいいだろうと思う。そうなると、予算も限定される。
 ボールペンは、ワテルマンのちょっといいやつを二十年以上使っていて、これが、少し重いけど、実にいい書き味なのだ。そこで、ワテルマンのカタログを見てみた。いずれもデザインは洗練されている。でも、なんか、「これだ!」っていうのが見つからない。
 あと半月ほど、あれこれ迷うことにする。こういう逡巡は、ちょっと愉しい。












「自分の下手な字を見るのは、鏡に映った冴えない己の姿を見るのより苦痛である」 ― 『K先生の黄昏放言録』(未刊)より

2019-10-10 17:30:22 | 雑感

 悪筆とまではいかない(と思う)が、私は字が下手だ。特に、毛筆ではどうにもならない。書道は小学校のときに授業の中で習っただけ。書き初めが嫌いだった。
 それでも、紙に対して抵抗のある筆記用具だと少しましである。鉛筆、ボールペン、万年筆の順で下手になる。同じ字を書いてみると一目瞭然だ。
 職業柄、板書には慣れているし、学生たちに対して曲がりなりにもお手本を示さなくてはならないから、注意して書く。チョークで板書するのは、かつては得意、とまではいかないが、まあ恥ずかしくはない程度の字が書けていた、と思う。ホワイトボードは苦手だ。フェルトペンだと抵抗がなくて滑ってしまうから。
 ところが、最近、チョークでの板書でも、ひどく下手になってきたことに教室で気づいて、愕然としている。手がうまく動いてくれないというか、手首が固くなってしまったというか、思ったように書けないのだ。黒板には大きな字で書くから、不格好なのが目立つ。書き直すこともしばしばだ。歳のせいだろうか。しかし、ただ歳を取ったからというだけで字が下手になったという話は聞いたことがない。
 家では、だから、できるだけ手書きのノートを作るようにしている。だが、自分で書いている字が自分で嫌いなのは辛い。自分の冴えない容姿が鏡に映っているのを見る以上に苦痛だ。一文字一文字ゆっくり書けばなんとか見られる形にはなるが、これでは時間が掛かりすぎて、実用には適さない。しかし、急いで書けば、たちまち字形が崩れる。
 さらさらと達筆でというのはもう夢のまた夢だが、せめて自分にとって大切な言葉を楷書できちんと書けるように、今更ながら、日々練習している。












Perfume を讃えて ― 祝ベスト・アルバム Perfume The Best“P Cubed” 発売

2019-10-09 23:59:59 | 私の好きな曲

 このところ雨が多い。多少の雨なら大学まで自転車で行くが、それが少し躊躇われるほどの降りのこともある。そんなときは路面電車を使う。大学まで自転車の倍以上時間がかかるから、それは嬉しくない。でも、ヘッドホンで音楽を聴きながら行けるのは、ちょっと嬉しい。
 9月18日、Perfume のメジャー・デビュー15周年を記念する三枚組のベスト・アルバム Perfume The Best “P Cubed” が発売された。アップルミュージックでもCD発売と同時に配信が開始された。以来、大学の行き帰りに何度も聴いている。冒頭の新曲 「Challenger」を除いて、2005年のメジャー・デビュー曲「リニアモーターガール」からリリース順に配列されていて、最後はこのベスト・アルバムに初めて収録された新曲「ナナナナイロ」。全52曲(個人的には、「23:30」の落選がちょっと残念)。
 最近の曲もいいのだが、どの曲も鮮度が落ちていないのに驚く。彼女たちがいつも時代の先端を走り、進化・洗練・成熟を続けているのは、本人たちの努力と才能によるのはもちろんのことだが、曲だけを聴いていると、やはり作詞・作曲・編曲をずっと手掛けてきた中田ヤスタカの圧倒的な才能に感嘆しないではいられない。最近の曲には英語がかなり入っている曲も多いが、初期のは日本語のみか日本語が主で、その語感と音の響きとリズムが生み出す独自の音楽世界に私は魅了されている。
 特典付初回限定盤を発売の一月前に予約しておいた。今月初めに日本から送ってもらった。付録のブルーレイには、今年の Coachella Valley Music and Arts Festival のライブ映像や「EテレEうた♪ココロの大冒険」からの二曲、「Perfume のただただラジオが好きだからレイディオ!4」などが収録されていて、それはそれで楽しめる。











「日毎、夢路を彷徨う」

2019-10-08 23:59:59 | 雑感

 ほぼ毎晩、夢を見る。でも、大抵の場合、目覚めた直後でさえ漠然とした気分が躰の奥に澱のように残っているか、あたりに残り香のように漂っているだけで、細部はもう思い出せない。展開される具体的なイメージは毎回異なっているが、パターンは一定している。
 行き先はわかっているのに道順がわからず、既知のような未知のような曖昧な場所を彷徨いつづける。行き先に近づいているのか、同じところを堂々巡りしているだけなのかもよくわからない。次第に途方に暮れてくる。そして、目が覚める。
 あるいは、どこかに帰ろうとしている。その帰りたい場所がはっきりしていることもあれば、それさえはっきりしていないこともある。あとは、どこかに行こうとして彷徨う場合と同じパターンを辿る。
 独りで彷徨っていることが多い。身近な人、慕わしい人、あるいは昔よく遊んだ懐かしい人たち、もうとうの昔に亡くなっている家族の誰かと一緒のこともある。どうしてこの人となのかと思うような意外な人たちとのこともある。それらの夢の道行きそのものが楽しかったときには、たとえ目的地に辿り着けなかったとしても、その過程を楽しんだ気分に目覚めた後も少し浸っていられる。
 でも、大抵の場合、目覚めると、途方に暮れてゆく気分から解放されて、少し、ほっとする。そして、これも、ただ彷徨うばかりの実人生の夢ヴァージョンなのか、夢の中でもその煩悶から解放してはもらえないのかと、溜息が出る。
 今日もそんな夢を見た。めずらしく、一部だが、かなり鮮明にある場所のイメージが残像として残っている。日本のどこかということだけがわかっている。行ったこともない古都の歴史的景観地区や、アンティークな内装の洋風レストランの迷宮のような店内をしばらく独りで彷徨った。途中、よく知っているはずの大学のキャンパス内なのに、目指している建物にいつまでたっても近づけないときもあった。
 朝、五時前に目覚めた。少し疲れている。纏いつく夢の気分を振り払うために、今日もプールに泳ぎに行く。












『かぐや姫の物語』― 姫の犯した罪と罰、あるいは古典を読むということ

2019-10-07 23:59:59 | 講義の余白から

 明日の授業では、高畑勲の『かぐや姫の物語』を取り上げる。
 2013年11月23日から全国ロードショーが始まった高畑勲最後にして最高の作品は、公開当初からきわめて高い評価を受けてきた。公開翌月には、月刊詩誌『ユリイカ』がこの作品の特集号を組んだ。一つのアニメーション作品に対する異例とも言えるこの企画は、本作がそれだけさまざまな分野の専門家たちを強く惹きつけたということであろう。実際、寄稿・対談・インタビューなどを読むと、若干の冷めた観察を除いて、筆者や対談者たちの文言に一様に一種の(知的)興奮状態が感じられる。
 映画公開の前月には、角川文庫から、高畑とともに映画の脚本を担当した坂口理子によるノベライズが刊行されている。実は、これを先に読んでしまうと、かぐや姫が月の世界でどんな罪を犯し、それに対してどのような罰を受けたのか、という問いへの答えが序章を読んだだけでわかってしまう。
 今年の四月にはシネマ・コミック『かぐや姫の物語』が文春ジブリ文庫として刊行されている。これはセリフを含めて映画の諸場面の忠実な再現になっており、その電子書籍版は、授業でいくつかの場面を詳説する際にとても便利だ。
 授業では、『ユリイカ』特集号掲載の四つの論考 ― 歴史学者の足立道久の「死の女神がなぜ美しいか」、古代文学が専門の三浦佑之の「罪とはなにか」、国文学者の木村朗子の「前世の記憶」、そして精神科医・批評家の斎藤環の「「戦闘美少女」としての「かぐや姫」」― の一部を読ませ、上掲の問いへの答えを各自に自由に考えさせる。その思考作業を通じて、古典を読むとはどういうことかというところまで問題を展開したい。












戦国時代研究が開く視角から現代における宗教・戦争・国家の相互関係を考察する

2019-10-06 23:59:59 | 哲学

 神田千里『宗教で読む戦国時代』(講談社選書メチエ 2010年)は、その書名からも明らかな考察対象とそれへのアプローチの方法を通じて、現代における宗教・戦争・国家の三者の関係を考える上でも示唆に富んだ考察が随所に示されていて興味深い。例えば、「戦争と宗教―序にかえて」の中の戦国時代末期の戦争放棄の経過についての次の一節。

 しかし戦争がじょじょに消滅していったのは、幕府のように圧倒的に強力な政権が成立し、諸大名から軍事力を奪っていったからではない。大名たちが、統一政権下でも依然、各自の軍事力を有していたことは慶長五年(一六〇〇)に行われた天下分け目の関ヶ原の合戦に、あれだけの軍事力が動員されたことからも明らかであろう。諸大名は軍事力を失ったのではなく、保持していた軍事力を用いようとしなくなったのである。
 「テロに対する戦争」が未だに公然と行われているのを眼にしている現代人には、とても見当のつかないことが起ったのである。現代でこそ、戦争ないし武力行使が否定すべき行為であることは、少なくとも日本人の間では自明の了解事項であるが、戦国時代では大名にとっても庶民にとってもその戦争が、皆がその過酷な実態に怯えながらも、当然ありうべき行動の選択肢の一つだった。その人々が戦争を捨てようとし始めたのである。

 「国家と宗教―むすびにかえて」からも一節引いておこう。制度的、社会組織的な基礎なしに「見えない国教」が存在しうるという点について、著者はこう述べている。

国家は、じつは通常考えられているレベルをはるかに超えて、宗教的な現象ではないか。このようなものとして、戦国時代に形成された国家の全容を解明する必要があると思われる。人間はいつの時代にもひたすら自由と私的利害の追求を神聖視して来たわけではない。自由と私的利害以上に共存・共生と平和が、全員が共倒れにならないための私的利害の放棄が正義と見なされた局面もあり、国家の成立とは歴史のこのような局面に関わっているように思われる。そしてこのような局面で物を言うのが宗教であるとも想像されるのである。

 ある時代のある社会における正義を正義として保証しているのは、その中身自体の正しさによる内在的規範性でもなく、法律として明文化された拘束的規定に拠るのでもなく、それとして認識されない限りにおいて機能する「見えない国教」としての国家であるとする仮説から現代世界を見直す試みへと本書は私たちを招いている。












島原の乱は、「人々が信仰に対する決断と行動とを迫られた重大な事件」― 行動の意味を理解すること

2019-10-05 12:57:56 | 読游摘録

 神田千里『島原の乱 キリシタン信仰と武装蜂起』の目ざすところを「民衆を動かす宗教―序にかえて」から摘録しておく。多少表現を変えたり、略したり、あるいは若干の言葉を加えたりしているので、最後の段落を除いて、引用という形は取らないが、本書の内容を歪めてはいないつもりである。
 島原・天草地方は、十六世紀後半から十七世紀の初めまで、有馬晴信と小西行長という熱心なキリシタン大名によって統治されていた。ところが、その後、松倉・寺沢という大名によって統治されるようになると、信仰の統制が強化され、一六二〇年代後半からキリシタンへの迫害が酷くなった。
 領民の多くは、キリシタン大名の時代には大勢に従ってキリシタンとなり、迫害が厳しくなってからは、やはり大勢に従って棄教した。つまり、領民の多くは、個人として主体的にキリスト教徒になったわけではなく、むしろ大勢順応的な姿勢でキリシタンとなり、また棄教したのであった。
 このようなごく普通の領民たちが、つまり最初は一揆に積極的に加担するつもりなどなかった民衆が否応なく宗教一揆に巻き込まれたのである。彼らの多くは、村ごとに村のリーダーである庄屋に率いられて行動した。村ぐるみの結束を支えに生きてきた村民たちは、村の方針として、天草四郎を擁立した一揆側につくか、それともその一揆の攻撃対象である島原藩や唐津藩につくかの選択を迫られた。こうした事情から、領民たちは、信仰への関心の如何にかかわらず、キリスト教への態度決定を迫られた。
 神田氏は、「島原の乱は、キリシタンではない人々も含め、ほとんどの人々が信仰に対する決断と行動とを迫られた重大な事件だった」と言う。そのような人々がどのような機縁で宗教一揆と関わるに至ったかを具体的に考えるのが本書の最大の眼目である。
 島原の乱は、敬虔な信仰をもつキリシタンの殉教戦争のように見られがちだが、それは実態からかなりずれている。寺院の襲撃・放火・略奪、女性たちの拉致、信仰の武力による強制、僧侶の処刑などもあった。一旦は一揆に加担した村民の中には、情勢を見て藩側に帰順した者もあった。それらを白日の下に晒すのは、しかし、一揆を断罪するためではない。歴史研究は、過去の出来事の善悪、正義・不正義を問う場所ではない。
 「一揆のキリシタンのみが悲劇の主人公であり、対立した民衆は反動的で頑迷な敵役、というような単純な善悪二元論では、島原の乱の乱は理解できないだろう」と神田氏は言う。

 困難なことではあるが一揆の民衆も、一揆と対立した民衆も共に、できるだけ具体的・客観的にみてみたい。歴史学の本領は行動の意義を評価する以上に行動の意味を理解することだからである。両者をひっくるめた民衆の多様な動きを等しく生き残りをかけた戦いとみる視点によって、事件の全貌がより明らかになり、また宗教や信仰にかけた、一見特異にみえる人々にも、人間として対等な目線で対することができるように思われる。












島原の乱の複雑な全体像に迫るには―神田千里『島原の乱 キリシタン信仰と武装蜂起』

2019-10-04 23:59:59 | 講義の余白から

 今日の授業で参照した文献の一つに神田千里著『島原の乱 キリシタン信仰と武装蜂起』(講談社学術文庫 2018年。初版 中公新書 2005年)がある。島原の乱は、日本におけるキリスト教の世紀の終焉を決定づける出来事であるから、それに言及しないわけにはいかず、本書を参照しつつ、この空前絶後の出来事をめぐるいくつかの論点を授業中に示した。
 本書の初版刊行後から2018年の間に、島原の乱の乱に関する研究書は少なからず出版されており、特に、大橋幸泰『検証 島原天草一揆』(吉川弘文館 2008年)、鶴田倉造『Q&A 天草四郎と島原の乱』(熊本出版文化会館 2008年)、五野井隆史『島原の乱とキリシタン』(吉川弘文館 2014年)は併せて参照したかったのだが、間に合わなかった。先日の記事で言及した渡辺京二『バテレンの世紀』でも三章が島原の乱に割かれている。
 島原の乱の全体像は、歴史学者によってかなり異なっている。その原因についても、島原・天草地方の大名が飢饉のさなかに領民に課した重税と幕府の指示のもとで行った大規模なキリシタンの迫害とする、一般書によく見かける、一見してわかりやすい説明はもはや通用しない。
 神田氏は、本書の「民衆を動かす宗教―序にかえて」の中で、戦後の歴史学が宗教や信仰などを歴史の重要なテーマとしてこなかった傾向をこう批判している。

こうした科学的合理性から遠い印象を与えるものは、たとえば、島原の乱の原因を考えるに際しても、重視することには慎重な態度をとってきたのである。誰もが認めることのできる客観的な事柄を手がかりにしようとする態度は学問において重要であり、その意味ではこうした態度は正当である。しかしその一方でこうした態度が、宗教の存在をなるべくみないようにする傾向を生んだことも否めない、はなはだしい場合は、宗教を無視する態度、宗教音痴に徹することが「科学的」であるとするような風潮すら生んだ。

 しかし、このような態度では、島原の乱の複雑な実相に迫れないことは明らかである。
 信仰篤いキリシタンたちが結束して、激しい迫害にもかかわらず最後まで抵抗し、ついには十二万人の幕府軍の前に二万人余の信徒たちが殲滅されたという悲劇的なイメージは、実相から大きく隔たっている。












「四つの口」は、鎖国体制下での例外ではなく、それこそが幕府の方針だった

2019-10-03 18:21:03 | 哲学

 いわゆる「鎖国」体制下での外交の窓口としての「四つ口」論を最初に打ち出したのは荒野泰典で、1981年のことであった(初出は、『講座 日本近代史2 鎖国』〈有斐閣〉所収の論文「大君外交体制の確立」。後に『近世日本と東アジア』東京大学出版会、1988年に収録)。
 その四つの口とは、中国・オランダを中心とする長崎、朝鮮に対する対馬、琉球に対する薩摩、アイヌに対する松前のことである。幕府は、これら四つの「口」のうち、長崎を直轄領として対外関係全般の管理統制の中心とするとともに、他の三つの「口」での対外関係は、それぞれ対馬藩・薩摩藩・松前藩に管掌させていた。
 この「四つの口」論は、いまでは高校生向けの学習参考書にも簡単な記述が見られるようになっている。例えば、山川出版社の『詳説 日本史研究 改訂版』(2008年版)には、次のような記述がある。

こうして長崎・対馬・薩摩・松前の四つの窓口を通して、幕府は異国・異民族との交流をもった。近世のアジアにおいて、伝統的な中国(明・清)を中心にした冊封体制が存在する一方、明清交代期を契機に日本を中心にした四つの窓口を通した外交秩序が形成されたことに注目する必要がある。(256頁)

 いわゆる「鎖国」体制が確立された1640年に外交の窓口は上記の四つ場所に固定化されるが、人々の間に「四つの口」という意識が生まれるのはずっと後のことで、十八世紀末以降である。それは「鎖国」という言葉そのものが初めて翻訳語として使われた十九世紀始めと時期的にほぼ重なる。
 ロナルド・トビ氏によれば、「今日では研究者レベルでは「鎖国」=「国を完全に閉ざしていた」という認識はほとんど否定されている」(『全集 日本の歴史 第9巻 「鎖国」という外交』小学館、2008年)と言ってよい。
 トビ氏は同書で、「「鎖国」イメージのなかでは、「四つの口」と呼ばれるこれらの窓口は、「鎖国」の例外とされてきた。だが実際には、「鎖国」が方針で「四つの口」が例外だったのではなく、「四つの口」こそが幕府の方針だったのである。現在でも外国人が日本に入国するときには、空港や港など限られた場所からでないと入国できないように、貿易品や人の出入りを管理するのは、国家として当然のことである」とも述べている。
 今日の研究者レベルで共有されているこのような視角から近世日本を見直すことも講義の目的の一つである。












物語りとしての歴史の面白さと学術的な歴史研究の面白さとの相互補完性

2019-10-02 23:59:59 | 講義の余白から

 歴史を学ぶ面白さを学生たちに知ってもらいたいと常々願いながら授業の準備をしている。その面白さとは、以下の二つの意味においてであり、両者は相互補完的な関係にある。
 一つは、物語りとしての歴史の面白さ。今日の学術的研究成果からすれば、必ずしも厳密とは言えないにしても、歴史上の人物・出来事の話としての面白さを知ってもらいたい。そのためにストーリー・テラーとして優れた著作家の作品を授業で紹介する。
 もう一つは、学術的な歴史研究の面白さ。歴史研究者たちがどのような方法を使って歴史の諸相を明らかにしていくか、そのスリリングな論証過程を辿ることは、すぐれた推理小説を読むときのような知的な愉悦を与えてくれる。
 先週は、「日本におけるキリスト教の世紀」がテーマだったので、語りとしての面白さの例として、ルイス・フロイスの『日本史』と渡辺京二氏の『バテレンの世紀』(新潮社、2017年)をそれぞれごく一部だが紹介した。
 前者は、イエズス会宣教師の目で見た当時の日本の様子の同時代記録として、この上なく貴重であるばかりでなく、歴史上著名な人物たちについての興味深いエピソードに満ちている。もちろん、この記念碑的な著作に書かれたことをそのまま額面通りに事実として受け取るわけにはいかないが、時代の空気を間近に感じることができる。
 後者は、一般向けの通史だが、これだけ詳しい通史は他にない。著者は本書執筆の理由をこう記している。

研究者は一般向けの詳しい通史を書きたがらない。労のみ多くして、研究業績にはならぬからである。一般の読書人にとって、欲しいのは詳しい通史である。なぜなら歴史叙述は詳しいほど面白いからだ。それは例えばギリシア史の教科書と、ヘロドトス、トゥキュディデスを読み較べればわかる。私はそんな通史を、一五、六世紀の最初の日欧遭遇について書いてみたかったのである。(455頁)

 学術的な歴史研究の面白さについては、今週の授業でいくつか紹介する。一つは、先日の記事で取り上げた大橋幸泰氏の『潜伏キリシタン』(講談社学術文庫、2019年)。その次に、山室恭子氏の『中世のなかに生まれた近世』(講談社学術文庫、2013年。初版は吉川弘文館より1991年に刊行)。そして、黒田日出男氏の『洛中洛外図・舟木本を読む』(角川選書、2015年)それぞれに異なった学問的方法を用いて歴史を解読する作業の面白さを伝えたい。