日本代表のトリニダード・トバコ戦は、オシム監督が選んだ若手のはつらつとしたプレーが目につきました。特に闘莉王、坪井、鈴木啓太の浦和トリオは、両サイドバックが上がったときは、彼ら3人で3バックを組んだり、誰かが上がったときは正確にカバーしていました。今回の日本代表は、集まってからわずか3日しか練習していない急造チームですが、それを忘れさせてくれる彼らの好プレーでした。
しかし、日本代表のことは他のブログでたくさん書かれるでしょう。ここではトリニダード・トバコのことを書きます。トリニダード・トバコはドイツW杯に出場したチームですが、当時の主力選手は、世界的な選手のドワイト・ヨークをはじめ、代表は引退したようで来日していません。ローレンスという身長2mを超えるDFがW杯にはいましたが、やはり来日していません。
私がトリニダード・トバコを初めて見たのは、もちろんテレビですが、W杯予選の大陸間プレーオフのバーレーン戦です。このときの印象は、よくこれだけでかい選手を集めたなというイメージでした。ロングボールを蹴って、頭から頭につなぐサッカーをやっていました。バーレーンを破った決勝ゴールも、ローレンスのヘディングシュートでした。
トリニダード・トバコがロングボールの競り合いで、日本に競り勝つようなことがあれば、日本苦戦もありうると思っていました。しかし、トリニダード・トバコは戦い方が弱気でした。一応、数字で言えば4-4-2の布陣ですが、中盤の4人が真横に並んでいて、バーレーン戦では威力を発揮したヨークのいたトップ下は置きませんでした。
また、4-4-2で、中盤を横に並べるときは、真ん中の二人にダブルボランチを組ませ、サイドの二人に攻撃的な役割を与えることが多いです。しかし、トリニダード・トバコは、両サイドが3バックのアウトサイドのようなポジションを取り、彼らは時折最終ラインに入るから、6-2-2と言われても仕方のない布陣です。
これではサイド攻撃は機能しないし、ロングボールを蹴っても2トップ以外に攻めの選手がいないから、攻め手がありません。怖いのはセットプレーだけでした。そんな理由もあって、日本の両SBはかなり前目にいました。それが三都主の2点目につながったのでしょう。(アシストが駒野だったので)
後半に12番のFWが個人技でこじ開ける場面もあったので、トリニダード・トバコも技術では劣っていないでしょうが、戦い方に問題がありました。日本の勝利はある意味、必然でもあったのです。
しかし、日本代表のことは他のブログでたくさん書かれるでしょう。ここではトリニダード・トバコのことを書きます。トリニダード・トバコはドイツW杯に出場したチームですが、当時の主力選手は、世界的な選手のドワイト・ヨークをはじめ、代表は引退したようで来日していません。ローレンスという身長2mを超えるDFがW杯にはいましたが、やはり来日していません。
私がトリニダード・トバコを初めて見たのは、もちろんテレビですが、W杯予選の大陸間プレーオフのバーレーン戦です。このときの印象は、よくこれだけでかい選手を集めたなというイメージでした。ロングボールを蹴って、頭から頭につなぐサッカーをやっていました。バーレーンを破った決勝ゴールも、ローレンスのヘディングシュートでした。
トリニダード・トバコがロングボールの競り合いで、日本に競り勝つようなことがあれば、日本苦戦もありうると思っていました。しかし、トリニダード・トバコは戦い方が弱気でした。一応、数字で言えば4-4-2の布陣ですが、中盤の4人が真横に並んでいて、バーレーン戦では威力を発揮したヨークのいたトップ下は置きませんでした。
また、4-4-2で、中盤を横に並べるときは、真ん中の二人にダブルボランチを組ませ、サイドの二人に攻撃的な役割を与えることが多いです。しかし、トリニダード・トバコは、両サイドが3バックのアウトサイドのようなポジションを取り、彼らは時折最終ラインに入るから、6-2-2と言われても仕方のない布陣です。
これではサイド攻撃は機能しないし、ロングボールを蹴っても2トップ以外に攻めの選手がいないから、攻め手がありません。怖いのはセットプレーだけでした。そんな理由もあって、日本の両SBはかなり前目にいました。それが三都主の2点目につながったのでしょう。(アシストが駒野だったので)
後半に12番のFWが個人技でこじ開ける場面もあったので、トリニダード・トバコも技術では劣っていないでしょうが、戦い方に問題がありました。日本の勝利はある意味、必然でもあったのです。