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人の運命(フェルナンド・ピクン)

2007-02-20 20:40:13 | 浦和レッズ
浦和がJ1残留を賭けて戦っていたさなか、ウルグアイから浦和を救うためにやってきた外国人選手がいました。彼の名は、フェルナンド・ピクンと言います。このピクン、南米選手権にウルグアイ代表として出場した実績のあったDFで、前任者のザッペッラが不振で途中解雇された穴を埋めるために来日しました。

ただ、ピクンのそれまでの所属チームを見ると、ウルグアイの強豪デフェンソールから、オランダのフェイエノールトに移籍したものの、1年限りでデフェンソールに戻っていることが気になりました。つまり、欧州では通用しなかったDFということです。

ただ、ピクンが来日したのは、本当にがけっぷちの残り5試合という状況でした。とにかく、この外国人に賭けるしかないという状況で、ピクンはCBの中央で相手クロスを跳ね返してくれました。

一つすぐに見つかった弱点もあり、それはフィジカルコンタクトが強すぎて日本の基準ではすぐにファウルを取られてしまうことでした。それがたたって、イエローカードが4試合で3枚たまり、運命の最終決戦は出場停止でした。もし、この試合で浦和が勝利し、残留を決めた後に帰国していれば、ピクンは浦和を救った選手と言われていたかもしれません。

しかし、人の運命はわからないものです。浦和はJ2に降格して、ピクンはJ1復帰に力を貸すべく、残留して来期に賭けることになりました。ピクンにとって不運だったのは、2000年に指揮を執った斉藤監督が4バックにこだわりのある監督だったことです。3バックに慣れていたピクンは、ラインをコンパクトに保つ斉藤監督のやり方には対応できませんでした。

それが表れたのが、1-6で敗れたアウェーの新潟戦で、ピクンがラインを上げられず、最終ラインが揃わない隙を新潟の速いクロスが打ち破りました。6点の多くがこのパターンで、当時浦和ケーブルテレビで解説をしていた田口氏は、「このチームにいた者として恥ずかしい。」と泣きだすほどのひどい試合になってしまいました。

しかし、なぜか斉藤監督も、後を継いだ横山総監督も、ピクンを外そうとしませんでした。その判断ミスは最後の鳥栖戦で表れてしまいました。あの室井退場の場面で、ミスキックをしてピンチを招いたのはピクンでした。不振が続き、肝心の場面でプレーの精度が落ちてしまいました。

結果的に土橋のVゴールが決まったので、ピクンはひっそりと日本を去ることができましたが、もし昇格できなかったらと思うと、激しく戦犯扱いされていたかもしれません。救世主から戦犯となるのだから、人の運命はわからないものです。
コメント (2)
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