以前在籍した選手の中から、今回はアルパイについて書きます。最近は大物外国人選手がJリーグに来なくなったため、来日前から名前を知っている選手は少なくなりました。アルパイは、そんな数少ない有名選手の一人でした。トルコ代表で長年CBを務め、2002年日韓W杯3位の実績もあります。クラブレベルでも、イングランドの名門チームであるアストン・ビラで活躍した実績があります。ギドに匹敵する実績です。
しかし、W杯でプレーしてトップレベルの状態で来日したギドとは違って、アルパイはやや下り坂の状態で来日しています。日本に来る前に在籍していたチームは韓国の仁川ユナイテッドでした。しかも、そこに移籍した理由が良くありませんでした。
トルコ代表がイングランド代表と対戦した欧州選手権予選で、アルパイは当時のイングランド代表キャプテンのベッカムを口汚くののしったという理由で、所属のアストン・ビラを解雇されて、行く先がなくなって韓国へ行ったのです。
また、アルパイは1996年の欧州選手権、2002年の日韓W杯で退場の経験があります。いくら代表歴がギドと匹敵するほどあると言っても、その気性の荒さが出なければという条件がつく選手でした。ただ、イングランド在籍が長く、英語はぺらぺらなので、一部の選手とは直接会話もできたでしょう。若手が多かった当時のレッズに、何かをもたらしてくれるだろうと思っていました。
アルパイの良かった点は、相手クロスに対するポジショニングの良さでした。トルコ代表では4バックのCBだったことから、リベロのいない守備には慣れていて、相手クロスには素早く前目に出て正確にクリアしました。加入1年目は、その気性の荒さという心配はなんとか出ずに済み、2ndステージ優勝に貢献してくれました。
ただ、翌2005年に、その不安が出てしまいました。開幕戦で、鈴木隆行を押し倒す暴力行為で退場になり、浦和の開幕ダッシュに水を差すと、ナビスコ杯予選リーグの新潟戦でも退場になりました。冷静さとフェアプレーでチームの中心になってくれたギドと同じ役割は果たせませんでした。
また、アルパイが活躍していた時期は、ちょうど坪井が負傷で離脱していた時期でした。坪井が復活すると、坪井の得意な右ストッパーに二人はいらないということになり、アルパイは退団することになりました。リーダータイプではなかったのでしょうが、技術的には高いものを持っていました。いいものを持っていただけに惜しいというのが、正直な感想です。
しかし、W杯でプレーしてトップレベルの状態で来日したギドとは違って、アルパイはやや下り坂の状態で来日しています。日本に来る前に在籍していたチームは韓国の仁川ユナイテッドでした。しかも、そこに移籍した理由が良くありませんでした。
トルコ代表がイングランド代表と対戦した欧州選手権予選で、アルパイは当時のイングランド代表キャプテンのベッカムを口汚くののしったという理由で、所属のアストン・ビラを解雇されて、行く先がなくなって韓国へ行ったのです。
また、アルパイは1996年の欧州選手権、2002年の日韓W杯で退場の経験があります。いくら代表歴がギドと匹敵するほどあると言っても、その気性の荒さが出なければという条件がつく選手でした。ただ、イングランド在籍が長く、英語はぺらぺらなので、一部の選手とは直接会話もできたでしょう。若手が多かった当時のレッズに、何かをもたらしてくれるだろうと思っていました。
アルパイの良かった点は、相手クロスに対するポジショニングの良さでした。トルコ代表では4バックのCBだったことから、リベロのいない守備には慣れていて、相手クロスには素早く前目に出て正確にクリアしました。加入1年目は、その気性の荒さという心配はなんとか出ずに済み、2ndステージ優勝に貢献してくれました。
ただ、翌2005年に、その不安が出てしまいました。開幕戦で、鈴木隆行を押し倒す暴力行為で退場になり、浦和の開幕ダッシュに水を差すと、ナビスコ杯予選リーグの新潟戦でも退場になりました。冷静さとフェアプレーでチームの中心になってくれたギドと同じ役割は果たせませんでした。
また、アルパイが活躍していた時期は、ちょうど坪井が負傷で離脱していた時期でした。坪井が復活すると、坪井の得意な右ストッパーに二人はいらないということになり、アルパイは退団することになりました。リーダータイプではなかったのでしょうが、技術的には高いものを持っていました。いいものを持っていただけに惜しいというのが、正直な感想です。