Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

槙野智章の記憶

2020-11-28 20:01:21 | 浦和レッズ
今日はいろいろあってサッカーを見ていないので、穴埋めネタの記憶から、写真の浦和DF槙野智章選手の記憶を書きます。槙野は広島市の出身で、地元のサンフレッチェ広島でジュニアユースから育った「地元の星」でした。現チームメイトの柏木とは、この頃から続く長い付き合いです。槙野は若手時代、DFラインから上がって点が取れる、浦和DF闘莉王が憧れでした。

プロ入りはユースから昇格したサンフレッチェ広島です。当時、U-20日本代表に選ばれて、2007年にカナダで行われた本大会に出場して決勝トーナメント進出を果たしています。当時、彼らの世代は「調子乗り世代」と呼ばれており、広島で数々のバリエーションがあったパフォーマンスの仕掛け人だった槙野が、このユース代表にもそれを持ち込んでいました。

当時、広島の監督だったミシャ(ミハイロ・ペトロヴィッチ)が、3-6-1を攻撃の時に4-1-5にシフトチェンジして、両ストッパーをSBのごとく上がらせるサッカーを持ち込んでいました。このサッカーに、スピードのある槙野は向いており、MF並みのパスセンスを持っていたこともあって、左サイドを上がれる攻撃が当時の広島の売りでした。

もっとも、2011年に行ったドイツ・ブンデスリーガのケルンへの移籍は彼にとって挫折になりました。なかなかスタメンでは起用されず、1年間プレーして5試合の出場にとどまりました。そんな苦境に手を差し伸べたのが広島時代の恩師ミシャで、ケルンからの1年間のレンタル移籍という形で浦和入りしたのは2012年でした。

それからの活躍は浦和サポなら皆知っている通りです。槙野はプロは名前を覚えてもらうことが大事と独特な哲学を持っており、左右違う色のスパイクを履いて目立つようにする、スタジアムのカメラの位置を事前にチェックして、ゴールが決まればそちらの方にパフォーマンスをするなど、目立つことが大事という演出をしていました。

プレー面での思い出は、やはり2017年のACL優勝が大きいです。当時、準決勝で対戦した上海上港戦で、元ブラジル代表のアタッカーのフッキに対してドリブルの癖を見抜いて止めた、見事な守備がありました。今でも、浦和のDFでは最も高い身体能力を持っており、開幕直後に外されたもののすぐに復活を果たしています。まだ槙野の力は必要で、そのノウハウを若手に受け継ぐことも期待したいです。
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晩秋のボーダー花壇

2020-11-28 19:44:40 | 埼玉
森林公園に行くときは定番にしている、ボーダー花壇の花たちです。さすがに秋も最終盤なので、多くの花が既に枯れ草になっていましたが、寒さに強いセージ類や皇帝ダリアなどが、最後の花を咲かせていました。霜が降りる時期になると、このボーダー花壇の花は終わり、来年までしばらく冬枯れの季節です。


サルビア・インボルクラータ


皇帝ダリア


メキシカンブッシュセージ


ダリアの仲間


トリトマ


カシワバアジサイ


バラ


シュクシャ


チェリーセージ


ダリア


サルビアの仲間


コダチダリア


パイナップルセージ
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