昨年まで、浦和レッズのユース監督だった平川忠亮氏が、J3の琉球の監督に就任しました。J3とはいえ、プロのトップチームの監督ですから、平川氏にとっては大きな挑戦でしょう。引退セレモニーでは「指導者になりたい」と言っていた平川氏の夢は、意外と早く叶ったのではと思います。もちろん、今のJ3は成績が悪いとJFLに降格してしまうので、チームが緩まないようにするタスクは最低限必要とされます。
指導者としてはまだこれからなので、浦和系ブログとしては彼の現役時代の思い出を書きます。平川は2002年に筑波大を卒業して、前年にオランダリーグに移籍した小野伸二の移籍金4億円を使って、次の時代のヒーロー候補を発掘しようとした浦和に入団します。清水商の同級生の小野伸二とはすれ違いになりましたが、「高卒でプロに入っていたらとっくに駄目になっていただろう」と未練はないようでした。
同期入団の仲間には、プロ入り即スタメンになった坪井がいましたが、平川も大卒で入ったら即戦力になることが必要なプロの条件をクリアできました。当時3バックだった浦和で、やったことがなかった左アウトサイドでプレーし、右足のアウトサイドでクロスを上げるなど工夫を見せて、路木からポジションを奪って左アウトサイドに定着します。
平川の優れた点は、様々なポジションでプレーできることで、右ストッパー、右アウトサイド、左アウトサイド、4バックの両SBでのプレーが可能でした。そのため、4バックの監督が就任しても、大きく出番を減らすことはなく、大抵どちらかのSBのポジションを確保していました。それでもスピード型の右利きの選手なので、最も得意なのは3バックの右アウトサイドでした。
2012年、浦和にミシャ監督が就任すると、キャンプ二日目の練習試合で右アウトサイドに平川、左アウトサイドに梅崎を置いてきました。それがそのままシーズン全体の起用になりました。それだけ、様々な監督の下でプレーでき、35歳くらいまではスピードも持っていた、長持ちで良い選手だったと思い出します。
最後は関根に右アウトサイドのポジションを奪われたことで、出番を減らし38歳で引退します。J3の監督ですから、確率的には低いですが天皇杯やルヴァン杯で浦和と当たる可能性もあります。平川は監督としても良い指導をしたと、後々まで語り継がれるように、期待しています。
指導者としてはまだこれからなので、浦和系ブログとしては彼の現役時代の思い出を書きます。平川は2002年に筑波大を卒業して、前年にオランダリーグに移籍した小野伸二の移籍金4億円を使って、次の時代のヒーロー候補を発掘しようとした浦和に入団します。清水商の同級生の小野伸二とはすれ違いになりましたが、「高卒でプロに入っていたらとっくに駄目になっていただろう」と未練はないようでした。
同期入団の仲間には、プロ入り即スタメンになった坪井がいましたが、平川も大卒で入ったら即戦力になることが必要なプロの条件をクリアできました。当時3バックだった浦和で、やったことがなかった左アウトサイドでプレーし、右足のアウトサイドでクロスを上げるなど工夫を見せて、路木からポジションを奪って左アウトサイドに定着します。
平川の優れた点は、様々なポジションでプレーできることで、右ストッパー、右アウトサイド、左アウトサイド、4バックの両SBでのプレーが可能でした。そのため、4バックの監督が就任しても、大きく出番を減らすことはなく、大抵どちらかのSBのポジションを確保していました。それでもスピード型の右利きの選手なので、最も得意なのは3バックの右アウトサイドでした。
2012年、浦和にミシャ監督が就任すると、キャンプ二日目の練習試合で右アウトサイドに平川、左アウトサイドに梅崎を置いてきました。それがそのままシーズン全体の起用になりました。それだけ、様々な監督の下でプレーでき、35歳くらいまではスピードも持っていた、長持ちで良い選手だったと思い出します。
最後は関根に右アウトサイドのポジションを奪われたことで、出番を減らし38歳で引退します。J3の監督ですから、確率的には低いですが天皇杯やルヴァン杯で浦和と当たる可能性もあります。平川は監督としても良い指導をしたと、後々まで語り継がれるように、期待しています。