昨日の夜、見た夢は仕事に好影響するいい夢でした。早稲田のラグビー部の監督という夢で、監督の私が打った交代策が当たって試合に勝ち、コーチ陣に「ほら俺の言う通りだろ」と言ったところで目が覚めました。スポーツの夢はよく見ますが、だいたい観客としてスタンドから見る夢で、試合の当事者の夢はなかなかありません。
夢の世界なら何でもありなので、なぜ浦和レッズの監督ではなかったのかと思うと不思議です。サッカーなら監督目線で試合を見ることはよくあるので、それもこんなビッグな夢を見た理由かもしれません。すっきり起きられました。
今日は以前一人暮らしをしていたS市のラーメン屋の思い出です。本業のラーメンの味はそれほどではなかったお店ですが、店長が元放駒部屋の幕下力士でした。会計のときに一つだけ相撲の質問をすると店長は快く受けてくれたので、それが楽しみで一時通っていました。
店長の現役時代の四股名は「駒主税(こまちから)」で、私が店長を呼ぶときは駒主税さんと言っていました。幕下まで行った力士なら数場所で引退した若手とは違って、相撲界の面白さも十分に味わったはずです。実際、巡業の思い出を聞いたときは、番付の近い幕下力士を探して稽古をして、相手の研究をしていたと話していました。
幕下以下の力士は付け人についたり、人のこともやらされるイメージがあったのですが、こうして話を聞いた限りでは相撲で勝つための努力も十分できる楽しい世界だと思いました。また、店長は横綱大乃国の付け人もやっていました。付け人は大抵ついている関取の勝利を喜ぶという話で、大乃国が千代の富士の53連勝を止めたときはみんなで喜んだと話していました。
当時の上位力士に関する質問も店長は受けてくれて、魁皇の小手投げはなぜあそこまでうまく決まるか聞いたことがあります。腕がきまるという感覚は一般人の私にはわからないと思った店長は、私に店長の下手を差す形をするように言いました。
実際にその位置に腕を置くと、店長が軽く小手に巻いただけで痛いことがわかりました。こういう状態になったら怪我をしないためには負けるしかないそうで、あの当時面白いように決まった魁皇の小手投げの威力を体感できました。
また、当時上位キラーとして売り出し中だった朝青龍のことも教えてくれました。彼は明徳義塾高校の出身で日本の相撲に慣れてから入門したのが良かったのではと話していました。そんないい店にはもう10年以上ご無沙汰ですが、繁盛していることを願っています。
夢の世界なら何でもありなので、なぜ浦和レッズの監督ではなかったのかと思うと不思議です。サッカーなら監督目線で試合を見ることはよくあるので、それもこんなビッグな夢を見た理由かもしれません。すっきり起きられました。
今日は以前一人暮らしをしていたS市のラーメン屋の思い出です。本業のラーメンの味はそれほどではなかったお店ですが、店長が元放駒部屋の幕下力士でした。会計のときに一つだけ相撲の質問をすると店長は快く受けてくれたので、それが楽しみで一時通っていました。
店長の現役時代の四股名は「駒主税(こまちから)」で、私が店長を呼ぶときは駒主税さんと言っていました。幕下まで行った力士なら数場所で引退した若手とは違って、相撲界の面白さも十分に味わったはずです。実際、巡業の思い出を聞いたときは、番付の近い幕下力士を探して稽古をして、相手の研究をしていたと話していました。
幕下以下の力士は付け人についたり、人のこともやらされるイメージがあったのですが、こうして話を聞いた限りでは相撲で勝つための努力も十分できる楽しい世界だと思いました。また、店長は横綱大乃国の付け人もやっていました。付け人は大抵ついている関取の勝利を喜ぶという話で、大乃国が千代の富士の53連勝を止めたときはみんなで喜んだと話していました。
当時の上位力士に関する質問も店長は受けてくれて、魁皇の小手投げはなぜあそこまでうまく決まるか聞いたことがあります。腕がきまるという感覚は一般人の私にはわからないと思った店長は、私に店長の下手を差す形をするように言いました。
実際にその位置に腕を置くと、店長が軽く小手に巻いただけで痛いことがわかりました。こういう状態になったら怪我をしないためには負けるしかないそうで、あの当時面白いように決まった魁皇の小手投げの威力を体感できました。
また、当時上位キラーとして売り出し中だった朝青龍のことも教えてくれました。彼は明徳義塾高校の出身で日本の相撲に慣れてから入門したのが良かったのではと話していました。そんないい店にはもう10年以上ご無沙汰ですが、繁盛していることを願っています。