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写真は散歩で出かけた秋ヶ瀬公園です。こういう芝生の広場を見かけると、若い頃は犬のように喜んで走っていたことを思い出します。今はおじさんなので、そういう発想はもうないですが、走る能力を復活させたい夢は持っています。この風景を見て考えたネタは、浦和が天皇杯で山形と対戦するので思い出した、サッカーの格下戦術の実例です。
山形には浦和はずいぶん格下戦術を機能させられて苦しみました。一番印象的なのは2000年のJ2時代の駒場での対戦です。当時の植木監督が取った手は、1トップの根本を残して10人で引く、極端なサッカーでした。当時のJ2ではこういうサッカーをするチームは珍しくなかったですが、山形の場合は浦和がミスをしたときのカウンターに冴えが見られました。
永井雄一郎のトラップミスから一気にかけ上がった山形は先制点を取り、延長戦で浦和DF西野のクリアミスを押し込んでVゴール勝ちを収めています。2004年の天皇杯の駒場での山形との対戦も印象的です。当時は山形は鈴木淳監督(現千葉)でしたが、浦和の1トップ、マリッチをダブルボランチとCB二人の計4人で挟み込んで、セカンドボールを拾うサッカーで接戦に持ち込みました。
結果こそ浦和が勝ちましたが、このサッカーで鈴木淳監督の手腕を感じ、のちの新潟での成功も理解できました。山形には2010年に雨の埼玉スタジアムで負けたことも印象的です。当時の小林伸二監督のリトリートサッカーも記憶に残っています。
小林監督は、4-4-2で後ろの2ラインをコンパクトに保ち、攻撃は2トップの個人技に任せるスタイルでしたが、全員の守備意識が高く勝つときは1-0というサッカーで3年J1を持ちこたえました。浦和も長い距離のセットプレーを田代に合わされた1-0で、山形に敗れたことがあります。
格下戦術といえば、天皇杯でJ1大宮に勝った福岡大の戦術も記憶にあります。4-5-0-1という守備的な布陣でスペースを与えず、1トップが大宮DFに常にプレッシャーを掛け続けて時間を稼ぎました。このサッカーは1トップが一番きついですが、福岡大は最初に1トップを交代させ、代わりに出てきたFWが同じ役割をしていたことに驚きました。
ワールドサッカーの格下戦術も頭に浮かびましたが、機会があれば後日書くことにします。
山形には浦和はずいぶん格下戦術を機能させられて苦しみました。一番印象的なのは2000年のJ2時代の駒場での対戦です。当時の植木監督が取った手は、1トップの根本を残して10人で引く、極端なサッカーでした。当時のJ2ではこういうサッカーをするチームは珍しくなかったですが、山形の場合は浦和がミスをしたときのカウンターに冴えが見られました。
永井雄一郎のトラップミスから一気にかけ上がった山形は先制点を取り、延長戦で浦和DF西野のクリアミスを押し込んでVゴール勝ちを収めています。2004年の天皇杯の駒場での山形との対戦も印象的です。当時は山形は鈴木淳監督(現千葉)でしたが、浦和の1トップ、マリッチをダブルボランチとCB二人の計4人で挟み込んで、セカンドボールを拾うサッカーで接戦に持ち込みました。
結果こそ浦和が勝ちましたが、このサッカーで鈴木淳監督の手腕を感じ、のちの新潟での成功も理解できました。山形には2010年に雨の埼玉スタジアムで負けたことも印象的です。当時の小林伸二監督のリトリートサッカーも記憶に残っています。
小林監督は、4-4-2で後ろの2ラインをコンパクトに保ち、攻撃は2トップの個人技に任せるスタイルでしたが、全員の守備意識が高く勝つときは1-0というサッカーで3年J1を持ちこたえました。浦和も長い距離のセットプレーを田代に合わされた1-0で、山形に敗れたことがあります。
格下戦術といえば、天皇杯でJ1大宮に勝った福岡大の戦術も記憶にあります。4-5-0-1という守備的な布陣でスペースを与えず、1トップが大宮DFに常にプレッシャーを掛け続けて時間を稼ぎました。このサッカーは1トップが一番きついですが、福岡大は最初に1トップを交代させ、代わりに出てきたFWが同じ役割をしていたことに驚きました。
ワールドサッカーの格下戦術も頭に浮かびましたが、機会があれば後日書くことにします。
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