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オフネタ恒例昔の代表戦は、2005年のW杯最終予選、日本対バーレーン戦も思い出深い試合です。当時、ジーコ監督率いた日本代表は、最終予選の初戦の朝鮮民主主義人民共和国戦こそ勝利したものの、2戦目のアウェイのイラン戦を敗れ、この3戦目のバーレーン戦は勝利のみが必要という試合でした。当時のバーレーンは強く、その前年の五輪予選で日本に勝って「埼玉の奇跡」とバーレーン国内で称えられた世代が多く代表に入っていました。
当時、バーレーンの試合を事前に映像でチェックしてみました。共和国とのアウェイ戦では、3-6-1の布陣でサイドを崩してから、1トップのフセイン・アリに合わせるチームでした。しかし、埼スタに来たバーレーンは戦い方を一変させていました。最初から0-0の引き分けを狙って、自陣に5バック気味に引いて日本のクロスをクリアする戦い方でした。
このやり方に日本は苦しみました。サイドから三都主や中村俊輔がいくらクロスを入れても、バーレーンの堅守は揺るがず、何度でもクリアしてやるという相手の気迫にも押されていました。この日はジーコ監督が負傷明けの中田英寿をボランチで起用した試合でしたが、そこはゲームのポイントにならず、日本のクロス対バーレーンの守備でした。
次第に時間は流れていき、後半になっても0-0の展開は続きました。そんなときに、宮本が入れた長い距離のFKが試合を動かします。このFKは日本の選手に合わず、ファーサイドにいた攻撃的MFのサルミーンのところにこぼれます。バーレーン国内では偉大な選手と言われていたサルミーンにとって、これをクリアするのは簡単かに思えましたが、なんとこれをミスキックして自分のゴールに入れるオウンゴールで、日本に先制点が入ります。
この場面は、ホーム側ゴール裏席にいた私にとっては目の前の出来事でした。誰がオウンゴールをしたかは当時はわかっていなかったですが、「誰だか知らないけどオウンゴール」と周りのサポーターと狂気乱舞しました。結果的に、このオウンゴールが決勝点となって1-0で日本が勝ち、ジーコ監督が持っていた運の強さだけは確かだった試合になりました。
去年の豪州戦で、久しぶりに決勝点がオウンゴールの試合を見ました。そういえばこのとき以来だったなと、2005年を思い出しました。代表戦は1試合当たりの重みが違うので、こういうゲームに当たる可能性は高いですが、誰が得点王とかは関係なくとにかく勝つために試合をする代表戦の、ちょっと特殊な環境が私を狂気乱舞させたと振り返ります。
当時、バーレーンの試合を事前に映像でチェックしてみました。共和国とのアウェイ戦では、3-6-1の布陣でサイドを崩してから、1トップのフセイン・アリに合わせるチームでした。しかし、埼スタに来たバーレーンは戦い方を一変させていました。最初から0-0の引き分けを狙って、自陣に5バック気味に引いて日本のクロスをクリアする戦い方でした。
このやり方に日本は苦しみました。サイドから三都主や中村俊輔がいくらクロスを入れても、バーレーンの堅守は揺るがず、何度でもクリアしてやるという相手の気迫にも押されていました。この日はジーコ監督が負傷明けの中田英寿をボランチで起用した試合でしたが、そこはゲームのポイントにならず、日本のクロス対バーレーンの守備でした。
次第に時間は流れていき、後半になっても0-0の展開は続きました。そんなときに、宮本が入れた長い距離のFKが試合を動かします。このFKは日本の選手に合わず、ファーサイドにいた攻撃的MFのサルミーンのところにこぼれます。バーレーン国内では偉大な選手と言われていたサルミーンにとって、これをクリアするのは簡単かに思えましたが、なんとこれをミスキックして自分のゴールに入れるオウンゴールで、日本に先制点が入ります。
この場面は、ホーム側ゴール裏席にいた私にとっては目の前の出来事でした。誰がオウンゴールをしたかは当時はわかっていなかったですが、「誰だか知らないけどオウンゴール」と周りのサポーターと狂気乱舞しました。結果的に、このオウンゴールが決勝点となって1-0で日本が勝ち、ジーコ監督が持っていた運の強さだけは確かだった試合になりました。
去年の豪州戦で、久しぶりに決勝点がオウンゴールの試合を見ました。そういえばこのとき以来だったなと、2005年を思い出しました。代表戦は1試合当たりの重みが違うので、こういうゲームに当たる可能性は高いですが、誰が得点王とかは関係なくとにかく勝つために試合をする代表戦の、ちょっと特殊な環境が私を狂気乱舞させたと振り返ります。
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