オフネタ恒例の昔の代表戦、2013年の最終予選、日本対豪州の記憶です。当時、ザック監督が率いた日本代表は順調に勝ち点を積み上げており、初戦のオマーン戦、2戦目のヨルダン戦で注文通りの2連勝スタートを決めて、この豪州とのホームゲームは、勝つか引き分けでW杯出場が決まる試合でした。もっとも、最終戦は中立地とはいえアウェイのイラク戦で、できればここには持ち越したくない試合でした。
当時の日本は本田圭佑がトップ下でした。当時、CSKAモスクワに在籍していた本田圭佑は、チームのロシアカップ決勝戦を戦う都合で、この豪州戦まで中3日という強行日程でした。しかし、この豪州戦の前に組まれていた親善試合のブルガリア戦の内容が悪かったこともあって、本田圭佑は自らボールを要求しないとチームがうまく回らない危機感を持っていた様子でした。
対戦相手の豪州は、オジェック監督が率いていました。もっとも、ベテラン主体のメンバーだった豪州はこの予選は低空飛行で、残り3試合で勝ち点7が必要な崖っぷちでした。そのため、この試合ではサイドのMFにオアーとクルーズという若手を起用して、日本相手にサイドでボールを持って攻めたいと流れを変えようとしてきました。
引き分けでも良い日本は、0-0が続くと無理をしない様子に見えました。しかし、81分に出た相手のスーパープレーが流れを変えます。オアーが日本DFを3人まとめて抜き去り、サイドの角度のないところからの難しいシュートを決めて、日本はビハインドを追うことになります。これはイラク戦での決着もやむを得ないかもと思い始めた頃に、一つのプレーが流れを変えます。
右サイドのペナルティーエリアギリギリのところでボールを受けた本田圭佑のクロスが、相手DFマッカイのハンドとなり、日本は残り2分の時点で願ってもないPKを得ました。このPKは本田圭佑が自ら蹴り、GKシュウォーツァーが飛ぶと読んで真ん中に蹴る大胆な弾道でゴールを決め、1-1の引き分けに持ち込んだ日本は1試合を残してW杯出場を決めました。
しかし、現地でこの決戦を見ていた自分にとっては、普通の代表戦だった印象です。あとで家に帰ってニュースを見ると、渋谷のスクランブル交差点が騒ぎになっていたことを知り「自分はすごい試合を見ていたんだ」と思いましたが、現地で試合を見ているとあまり情報が入ってこないので、普通に帰宅していました。
当時の日本は本田圭佑がトップ下でした。当時、CSKAモスクワに在籍していた本田圭佑は、チームのロシアカップ決勝戦を戦う都合で、この豪州戦まで中3日という強行日程でした。しかし、この豪州戦の前に組まれていた親善試合のブルガリア戦の内容が悪かったこともあって、本田圭佑は自らボールを要求しないとチームがうまく回らない危機感を持っていた様子でした。
対戦相手の豪州は、オジェック監督が率いていました。もっとも、ベテラン主体のメンバーだった豪州はこの予選は低空飛行で、残り3試合で勝ち点7が必要な崖っぷちでした。そのため、この試合ではサイドのMFにオアーとクルーズという若手を起用して、日本相手にサイドでボールを持って攻めたいと流れを変えようとしてきました。
引き分けでも良い日本は、0-0が続くと無理をしない様子に見えました。しかし、81分に出た相手のスーパープレーが流れを変えます。オアーが日本DFを3人まとめて抜き去り、サイドの角度のないところからの難しいシュートを決めて、日本はビハインドを追うことになります。これはイラク戦での決着もやむを得ないかもと思い始めた頃に、一つのプレーが流れを変えます。
右サイドのペナルティーエリアギリギリのところでボールを受けた本田圭佑のクロスが、相手DFマッカイのハンドとなり、日本は残り2分の時点で願ってもないPKを得ました。このPKは本田圭佑が自ら蹴り、GKシュウォーツァーが飛ぶと読んで真ん中に蹴る大胆な弾道でゴールを決め、1-1の引き分けに持ち込んだ日本は1試合を残してW杯出場を決めました。
しかし、現地でこの決戦を見ていた自分にとっては、普通の代表戦だった印象です。あとで家に帰ってニュースを見ると、渋谷のスクランブル交差点が騒ぎになっていたことを知り「自分はすごい試合を見ていたんだ」と思いましたが、現地で試合を見ているとあまり情報が入ってこないので、普通に帰宅していました。
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