イングランド戦、なかなか映像を見る時間を確保できないので、なでしこジャパンの選手ネタで、ボランチの阪口夢穂選手を取り上げます。阪口は若手時代から有名だった攻撃的MFで、2007年当時は名門TASAKIペルーレで、19歳の若さで背番号10をつけていました。当時の彼女のポジションはサイドハーフでしたが、浦和戦の鴻巣陸上競技場で見た彼女はあまりにもポジションが低い位置で、「そんな後ろからどうやってゲームを作るつもりなんだ」と思うほどのポジショニングでした。
しかし、その答えは試合の中にありました。阪口の身体能力が女子では群を抜いて高かったからです。逆サイドから届きそうもないように思えたボールに、阪口だけは追いつける能力がありました。この能力は、澤のボランチコンバートに伴って、どこまでもボールを追いかけてくれそうな身体能力のある選手を探していた佐々木監督の目に留まりました。
澤と阪口のダブルボランチは2008年の北京五輪からです。当時、澤は攻撃力は高いものの、守備に帰る戻りの遅さが課題でした。それをカバーする阪口は、当時は荒削りでパスミスなどもありましたが、猛暑の中国で、失ったボールをどこまでも追いかけてくれる粘りは見ていて感動的でした。
しかし、この北京五輪の4位は、一見世界を驚かせた結果のようですが、選手たちは誰も満足していないようでした。もっと上を目指すと、澤と阪口のコンビを熟成させたなでしこジャパンは、2011年女子W杯で優勝という大きな結果を残します。このあたりになってくると、阪口も本来は攻撃的MFなので、時折攻撃力を発揮する場面も出てきます。
澤の陰の存在だった阪口ですが、今大会はコンビを組むボランチが、守備が強い宇津木になりました。宇津木をアンカーに残して、セットプレーなどで相手のマークを外すのがうまい阪口は、攻撃面で大きな貢献を見せるようになりました。当初の澤の影武者が、今は真の大将になれる可能性も持っており、次のW杯決勝戦でその一端が見られるといいなと思っています。
しかし、その答えは試合の中にありました。阪口の身体能力が女子では群を抜いて高かったからです。逆サイドから届きそうもないように思えたボールに、阪口だけは追いつける能力がありました。この能力は、澤のボランチコンバートに伴って、どこまでもボールを追いかけてくれそうな身体能力のある選手を探していた佐々木監督の目に留まりました。
澤と阪口のダブルボランチは2008年の北京五輪からです。当時、澤は攻撃力は高いものの、守備に帰る戻りの遅さが課題でした。それをカバーする阪口は、当時は荒削りでパスミスなどもありましたが、猛暑の中国で、失ったボールをどこまでも追いかけてくれる粘りは見ていて感動的でした。
しかし、この北京五輪の4位は、一見世界を驚かせた結果のようですが、選手たちは誰も満足していないようでした。もっと上を目指すと、澤と阪口のコンビを熟成させたなでしこジャパンは、2011年女子W杯で優勝という大きな結果を残します。このあたりになってくると、阪口も本来は攻撃的MFなので、時折攻撃力を発揮する場面も出てきます。
澤の陰の存在だった阪口ですが、今大会はコンビを組むボランチが、守備が強い宇津木になりました。宇津木をアンカーに残して、セットプレーなどで相手のマークを外すのがうまい阪口は、攻撃面で大きな貢献を見せるようになりました。当初の澤の影武者が、今は真の大将になれる可能性も持っており、次のW杯決勝戦でその一端が見られるといいなと思っています。
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