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ゼロックス杯が始まる、今月16日までは短いですが当ブログもオフネタです。先日、中澤佑二選手が引退したので、中澤が印象に残った試合から、2005年の親善試合日本対シリアの思い出です。当時は最終予選を控えて、カザフスタンとシリアを呼んで2試合強化試合を組んでいました。カザフスタン戦に勝利し、このシリア戦は埼スタでの試合でした。当時は代表はあまり人気がなく、このシリア戦のチケットは簡単に確保できました。
当時の監督はジーコで、ウオーミングアップの練習が各自の自主性に任されていたのを観察すると、いつものあまのじゃくでシリアの動きから見極めてみました。シリアは3-6-1の布陣で、中東のチームらしい、パワーを持っていた相手でした。しかし、試合を見ていくと弱点も比較的簡単に明らかになってきました。それはテクニックの不足です。
シリアのカウンターの場面で、トップ下の8番の選手が、あまりにも埼スタのグラウンドが良すぎるからなのか、ドリブルの際にボールを置き忘れるというあり得ないようなミスをしていました。守備も、ヘディングでクリアできるところは弱くない印象を受けましたが、サイドの加地と三都主が連続して何回もクロスを上げていくと、次第に集中力がなくなってきてクリアミスをし始めました。
中澤が印象に残ったのは相手ボールのカウンターで、相手との間合いを見ながらつなぐべきところと、クリアに逃げるところの判断が良くなっていたと感じました。2002年のトルシエ監督の当時は力任せに守っている印象もありましたが、頭を使って自分の身体能力の生かし方を覚えたと思えました。事実、このジーコ監督の時代に代表のCBは中澤というくらいに定着することになります。
このシリア戦は小笠原のボールさばきも印象的で、事実その直後の共和国との最終予選の初戦で、ジーコ監督が当時セルティックの中村俊輔をベンチスタートにしてまで小笠原をスタメンで起用してきました。当時、海外組という理由だけで起用するジーコ監督の起用は物議を醸しましたが、たまにはそういう柔軟性を見せた試合もありました。
試合は、シリアがボランチに退場者を出したことで一気に崩壊し、3-0で日本の勝利に終わりました。この内容の良さを見て、最終予選は大丈夫そうだと思えましたが、共和国戦はロスタイムの大黒のゴールで辛勝と苦しみました。親善試合の結果は、あまりあてにならないものです。
当時の監督はジーコで、ウオーミングアップの練習が各自の自主性に任されていたのを観察すると、いつものあまのじゃくでシリアの動きから見極めてみました。シリアは3-6-1の布陣で、中東のチームらしい、パワーを持っていた相手でした。しかし、試合を見ていくと弱点も比較的簡単に明らかになってきました。それはテクニックの不足です。
シリアのカウンターの場面で、トップ下の8番の選手が、あまりにも埼スタのグラウンドが良すぎるからなのか、ドリブルの際にボールを置き忘れるというあり得ないようなミスをしていました。守備も、ヘディングでクリアできるところは弱くない印象を受けましたが、サイドの加地と三都主が連続して何回もクロスを上げていくと、次第に集中力がなくなってきてクリアミスをし始めました。
中澤が印象に残ったのは相手ボールのカウンターで、相手との間合いを見ながらつなぐべきところと、クリアに逃げるところの判断が良くなっていたと感じました。2002年のトルシエ監督の当時は力任せに守っている印象もありましたが、頭を使って自分の身体能力の生かし方を覚えたと思えました。事実、このジーコ監督の時代に代表のCBは中澤というくらいに定着することになります。
このシリア戦は小笠原のボールさばきも印象的で、事実その直後の共和国との最終予選の初戦で、ジーコ監督が当時セルティックの中村俊輔をベンチスタートにしてまで小笠原をスタメンで起用してきました。当時、海外組という理由だけで起用するジーコ監督の起用は物議を醸しましたが、たまにはそういう柔軟性を見せた試合もありました。
試合は、シリアがボランチに退場者を出したことで一気に崩壊し、3-0で日本の勝利に終わりました。この内容の良さを見て、最終予選は大丈夫そうだと思えましたが、共和国戦はロスタイムの大黒のゴールで辛勝と苦しみました。親善試合の結果は、あまりあてにならないものです。
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