最近、夢によく鉄道が出てきます。新橋に職場があった頃、東海道線や横須賀線の行先案内板に「伊東」「熱海」「高崎」「宇都宮」「上総一ノ宮」などの行先を見かけると、行ってみたい思いが出てきたことを思い出します。もっとも、その夢の列車は、かつて自分が青春18きっぷでアクティブに各地を巡っていた頃の「115系湘南色」または「115系スカ色」の車両です。20年前で自分の中の時計は止まっているようですが、しなの鉄道に乗りに行くと、塗装こそ違いますが115系を未だに見ることができます。
運が良くないと遭遇できないと、先日書いた東武東上線8000系ですが、過去に森林公園駅で撮った一枚がありました。ちょうど、寄居方面からやってきた森林公園止まりの電車が、目の前に止まったので、このチャンスは逃せないと必死でシャッターを押した記憶です。かつては東武東上線の池袋方面も走っていた車両ですが、今は越生線と寄居方面で、姿を見かけます。
今日はネタがないので記憶ネタで、日本代表MF久保建英の記憶です。久保建英は少年時代からバルセロナの育成組織で育ち、今でも見せるマスコミ対応の上手さや、ファウルを受けた際に怪我をしないためのテクニックなどはこの頃に身に着けたのでしょう。もっとも、スペインでも下部組織に外国人枠ができることになり、バルセロナでのプレーが難しくなり中学時代はFC東京でプレーします。
15歳の若さで、当時J3に参戦していたFC東京U-23の一員として、Jリーグデビューを果たします。Jリーグ最年少記録と当時は話題になり、駒沢競技場にJ3にしては異例の5000人近い観衆が入りましたが、それまでの最年少記録を持っていた当時東京Vの森本貴幸はJ1リーグでの記録なので、それと比較する意味はないのでは?と当時は斜に構えていました。
この注目度は間違っていませんでした。久保建英は16歳でトップ昇格し、FC東京でJ1リーグデビューを果たすことになります。もっとも、トップ1年目はJ1で思うような出番を得ることができず、横浜FMに半年だけレンタル移籍してプレーしたこともあります。その後はFC東京に戻り、18歳の若さで今度はレアルマドリードからオファーをもらって、再度スペインの地を踏むことになります。
久保建英ほどの才能でも、世界中からトップレベルが集まってくるレアルマドリードのトップチーム出場は厚い壁で、1部の下位チームのマジョルカや、1部ビジャレアルなどへのレンタル移籍を繰り返すことになります。そんな久保建英がスタメンに定着できるようになったのは現所属のソシエダへの完全移籍がきっかけです。
久保建英は背が低い選手なので、若い頃はどうしてもフィジカルで潰される選手でもありました。それをカバーしているのは彼が持っている瞬間的な速さで、先日の中国戦でも彼の切れのある動きに中国DFはついていけませんでした。また、CKやFKのキッカーとしての役割も大きく、中国戦では彼のCKから、遠藤航が相手DFをうまく出し抜いて貴重な先制点を得ています。
U-23日本代表では東京五輪で4位とあと一歩のところで表彰台を逃し、涙に暮れました。今回のパリ五輪は出場資格はありましたが、ソシエダ側に拒否されると日本協会ではどうすることもできなかったようです。その分はA代表で活躍して、次の北米W杯では主力選手の期待があります。ちょうど、このW杯が久保建英のベストパフォーマンスが見られそうな時期なので、楽しみにしています。
15歳の若さで、当時J3に参戦していたFC東京U-23の一員として、Jリーグデビューを果たします。Jリーグ最年少記録と当時は話題になり、駒沢競技場にJ3にしては異例の5000人近い観衆が入りましたが、それまでの最年少記録を持っていた当時東京Vの森本貴幸はJ1リーグでの記録なので、それと比較する意味はないのでは?と当時は斜に構えていました。
この注目度は間違っていませんでした。久保建英は16歳でトップ昇格し、FC東京でJ1リーグデビューを果たすことになります。もっとも、トップ1年目はJ1で思うような出番を得ることができず、横浜FMに半年だけレンタル移籍してプレーしたこともあります。その後はFC東京に戻り、18歳の若さで今度はレアルマドリードからオファーをもらって、再度スペインの地を踏むことになります。
久保建英ほどの才能でも、世界中からトップレベルが集まってくるレアルマドリードのトップチーム出場は厚い壁で、1部の下位チームのマジョルカや、1部ビジャレアルなどへのレンタル移籍を繰り返すことになります。そんな久保建英がスタメンに定着できるようになったのは現所属のソシエダへの完全移籍がきっかけです。
久保建英は背が低い選手なので、若い頃はどうしてもフィジカルで潰される選手でもありました。それをカバーしているのは彼が持っている瞬間的な速さで、先日の中国戦でも彼の切れのある動きに中国DFはついていけませんでした。また、CKやFKのキッカーとしての役割も大きく、中国戦では彼のCKから、遠藤航が相手DFをうまく出し抜いて貴重な先制点を得ています。
U-23日本代表では東京五輪で4位とあと一歩のところで表彰台を逃し、涙に暮れました。今回のパリ五輪は出場資格はありましたが、ソシエダ側に拒否されると日本協会ではどうすることもできなかったようです。その分はA代表で活躍して、次の北米W杯では主力選手の期待があります。ちょうど、このW杯が久保建英のベストパフォーマンスが見られそうな時期なので、楽しみにしています。
ちょっと夏バテ気味で元気が出なかったので、100%の集中力では見ていませんが、DAZNの映像で見たW杯アジア最終予選の豪州対バーレーンの印象です。結果の0-1バーレーン勝利は知っていましたが、何かこの結果を生んだ要因はあるはずというのが見るモチベーションでした。豪州は4-3-3の布陣で、アンカーの5番にまずボールを預けて、両サイドのウイングのボイルとグッドウィンに預ける戦い方でした。
もっとも、そのサイド攻撃がなかなか機能せず、CFのイェリンにボールを合わせることができませんでした。それはバーレーンの戦略も一つの要因で、バーレーンは4-4-2ながら両サイドの攻撃的MFを無理に攻撃参加させず、自陣に2ラインを引いて守ることで豪州の攻めるスペースをなくすのが戦略でした。また、バーレーンのもう一つの戦略もある程度当たりました。
それは、サイドのウイングまでは出させてもいいから、4バックを逆方向に集めて、とにかくゴール前だけは固めるという手です。この手に豪州攻撃陣は苛立ち始めて、何枚かイエローカードが出始めます。豪州の、J1町田所属のミチェル・デュークに途中出場で出番があったのは、そういう膠着状態での出番でした。
決定的だったのは豪州FWイェリンの退場です。浮き球に対して、バーレーンDFが頭で競りに行ったところにイェリンが足で蹴りに行ったことが、危険なプレーと判定されて、豪州は残り10分ほどで一人少なくなります。これで豪州はウイングを使うサイドのサッカーを諦めざるを得なくなり、4-3-2で2トップのデュークとマビルにロングボールを入れざるを得なくなります。
そんな展開で出たのがバーレーンの決勝点でした。サイドを突破してから、上げたクロスが相手DFスーターに当たってコースが変わる幸運もあって、バーレーンに1点が入り試合はそのまま終了しました。もちろん、このバーレーンの戦い方はすべての相手に通用するものではないでしょうが、豪州のような強豪でも、何かがうまく行かないとこういうことも起こりうるという結果でした。
もっとも、そのサイド攻撃がなかなか機能せず、CFのイェリンにボールを合わせることができませんでした。それはバーレーンの戦略も一つの要因で、バーレーンは4-4-2ながら両サイドの攻撃的MFを無理に攻撃参加させず、自陣に2ラインを引いて守ることで豪州の攻めるスペースをなくすのが戦略でした。また、バーレーンのもう一つの戦略もある程度当たりました。
それは、サイドのウイングまでは出させてもいいから、4バックを逆方向に集めて、とにかくゴール前だけは固めるという手です。この手に豪州攻撃陣は苛立ち始めて、何枚かイエローカードが出始めます。豪州の、J1町田所属のミチェル・デュークに途中出場で出番があったのは、そういう膠着状態での出番でした。
決定的だったのは豪州FWイェリンの退場です。浮き球に対して、バーレーンDFが頭で競りに行ったところにイェリンが足で蹴りに行ったことが、危険なプレーと判定されて、豪州は残り10分ほどで一人少なくなります。これで豪州はウイングを使うサイドのサッカーを諦めざるを得なくなり、4-3-2で2トップのデュークとマビルにロングボールを入れざるを得なくなります。
そんな展開で出たのがバーレーンの決勝点でした。サイドを突破してから、上げたクロスが相手DFスーターに当たってコースが変わる幸運もあって、バーレーンに1点が入り試合はそのまま終了しました。もちろん、このバーレーンの戦い方はすべての相手に通用するものではないでしょうが、豪州のような強豪でも、何かがうまく行かないとこういうことも起こりうるという結果でした。
地元さいたま市、適度に田舎なので、アゲハ蝶はよく見かけます。もっとも、見ることはあっても止まってくれることは少ないので、今回キバナコスモスの花に止まっているのは千載一遇の好機でした。キバナコスモスか、彼岸花に止まっている印象が強く、秋がこの蝶を撮れるベストシーズンです。
前半の2-0という日本リードのスコアですが、中国代表を率いるイバンコビッチ監督にとっては内容が衝撃的だったようです。事実、後半の頭で攻撃的MFの謝文能を下げて、高准翼を投入してボランチに置き、ボランチの蒋径竜をDFラインに下げる5バックを選択しました。このままの4-4-2では、日本の攻撃陣の破壊力の前に必ず崩壊するという危機感があったものと思われます。
しかし、謝文能が持っていた、縦パスに走り込めるスピードがなくなったことで、日本のボール支配は逆にやりやすい展開になります。このアジアレベルでは一段上の印象がある左アウトサイドの三笘が持ったときに中国DFは対応し切れず、三笘が持てばクロスで終わってくれると日本サイドは安心してボールを預けられました。
また、中国がいくら5バックでスペースを消す守備をしても、日本が個人技で1枚はがしてしまえば無力化できます。それを実行できたのが南野で、三笘のパスをもらってからサイドで一人抜いて3点目を決めると、さらに上田がゴール前でうまくポストプレーしたところをドリブルで持ち込んで、スコアを4-0として中国ベンチが帰化選手を3人まとめて投入してきたときには試合が終わっているという状況を作り出すことに成功しました。
こうなってくれば、日本サイドは出場時間のマネジメントをしながら、サブの選手に出番を与える采配をすることが可能になりました。森保監督の判断は両アウトサイドの三笘と堂安を下げて、伊東純也と前田大然を入れて、そのままアウトサイドに置くものでした。二人とも攻撃の選手なので、ボール支配率を上げて点を取りに行くサッカーの継続という采配になります。
中国は前線の2トップと攻撃的MFが帰化選手になったことで、スピードは上がりましたが、それは日本のバックパスを追いかけるスピードが上がっただけで、組織的に彼らをどう生かすかまでは表現できませんでした。日本のボール支配率は最後まで高い状態が続き、伊東純也、前田大然、久保建英のゴールで7-0と、最終予選の決着が得失点差になったときに有利になる大勝をすることができました。
もちろん、ホームで圧勝できたと言っても、それがバーレーン戦の勝利を約束するものではないですが、サウジアラビアが引き分け、豪州が負けとライバルチームが初戦でつまずいており、勝利することの意味は大きいです。少し力を残して、最後は自陣でパスを回して無理しない戦いもできた日本は、少し有利な立場に立って、次のバーレーン戦を戦えるのは間違いないです。
しかし、謝文能が持っていた、縦パスに走り込めるスピードがなくなったことで、日本のボール支配は逆にやりやすい展開になります。このアジアレベルでは一段上の印象がある左アウトサイドの三笘が持ったときに中国DFは対応し切れず、三笘が持てばクロスで終わってくれると日本サイドは安心してボールを預けられました。
また、中国がいくら5バックでスペースを消す守備をしても、日本が個人技で1枚はがしてしまえば無力化できます。それを実行できたのが南野で、三笘のパスをもらってからサイドで一人抜いて3点目を決めると、さらに上田がゴール前でうまくポストプレーしたところをドリブルで持ち込んで、スコアを4-0として中国ベンチが帰化選手を3人まとめて投入してきたときには試合が終わっているという状況を作り出すことに成功しました。
こうなってくれば、日本サイドは出場時間のマネジメントをしながら、サブの選手に出番を与える采配をすることが可能になりました。森保監督の判断は両アウトサイドの三笘と堂安を下げて、伊東純也と前田大然を入れて、そのままアウトサイドに置くものでした。二人とも攻撃の選手なので、ボール支配率を上げて点を取りに行くサッカーの継続という采配になります。
中国は前線の2トップと攻撃的MFが帰化選手になったことで、スピードは上がりましたが、それは日本のバックパスを追いかけるスピードが上がっただけで、組織的に彼らをどう生かすかまでは表現できませんでした。日本のボール支配率は最後まで高い状態が続き、伊東純也、前田大然、久保建英のゴールで7-0と、最終予選の決着が得失点差になったときに有利になる大勝をすることができました。
もちろん、ホームで圧勝できたと言っても、それがバーレーン戦の勝利を約束するものではないですが、サウジアラビアが引き分け、豪州が負けとライバルチームが初戦でつまずいており、勝利することの意味は大きいです。少し力を残して、最後は自陣でパスを回して無理しない戦いもできた日本は、少し有利な立場に立って、次のバーレーン戦を戦えるのは間違いないです。
森林公園に行くときは大抵狙う鉄ネタですが、森林公園駅は多くの電車がこの駅で折り返します。そのため、入線してくる電車は当駅始発であることが多く、座れるというメリット以外にも、撮り鉄として速度が遅く写真にしやすいのもあります。寄居方面に向かう8000系は運が良くないと見られないですが、この東京メトロ車両なら、往復のどちらかでは見られることが多いです。
この日の日本のスタメンには驚きました。板倉、谷口、町田とCBタイプが3人いたので3バックは予想できましたが、アウトサイドができるような守備の強いMFはおらず、誰がアウトサイドか予想できませんでした。ピッチを見ると右アウトサイド堂安、左アウトサイド三笘でした。これは、日本が圧倒的にボールを保持し、彼ら守備が強くないアウトサイドを後ろに向かされないことが勝利条件に思えました。
その心配は杞憂でした。この日の森保ジャパンは、イングランド・プレミアリーグのマンチェスターシティが格下相手に確実に勝ち切るときに出す戦術である、両アウトサイドからの攻撃を何度も見せることに成功します。三笘も堂安も、動きはほとんどが攻撃でした。たまに中国が入れてくるロングボールはDF3枚で確実に処理することができました。
もちろん、この布陣はラストパスがミスになったときに中国に速攻を受けるリスクはあります。中国もそのタイミングで中盤にボールを預けようとしましたが、そのボールは容易に日本に奪い返されます。たまに、中国MFがドリブルで仕掛けても、守備で疲労する中国は1枚しか攻撃に上げることができず、日本が二人で守ることで決定機を許さない強さがありました。
こういう、最終予選の初戦という難しい条件の試合は、選手の緊張もある試合です。しかし、日本は前半13分、久保建英のCKでニアサイドにいた遠藤航がフリーでヘディングシュートを決めて、早くも先制点を取っておくことができました。中国は4-4-2で、何とか2トップの武磊と張玉寧にボールを入れたかったでしょうが、武磊が守備に回らされ、張玉寧は前で孤立する展開になります。
その後は日本が面白いように中国ゴールに仕掛けます。右サイドも、U-20代表からのコンビである堂安と久保建英のところは昔から良さを分かり合えているので、どちらかがタッチライン際で待ってもう一人が中央で待つポジション取りもできていました。なかなかスコアは1-0が動かなかったものの、「この一方的な展開なら、中国の動きは必ず落ちてくる」確信がありました。
最後、前半終了間際で久保建英のサイドチェンジから、三笘が珍しくヘディングシュートで点を取り、2-0で前半を折り返します。この圧倒的な内容の差を見ると、中国のベンチにいる帰化選手を出しても容易にひっくり返される試合ではない確信はありましたが、後半はもっと内容のあるサッカーを見せます。それは明日以降のマニアック分析で補足します。
その心配は杞憂でした。この日の森保ジャパンは、イングランド・プレミアリーグのマンチェスターシティが格下相手に確実に勝ち切るときに出す戦術である、両アウトサイドからの攻撃を何度も見せることに成功します。三笘も堂安も、動きはほとんどが攻撃でした。たまに中国が入れてくるロングボールはDF3枚で確実に処理することができました。
もちろん、この布陣はラストパスがミスになったときに中国に速攻を受けるリスクはあります。中国もそのタイミングで中盤にボールを預けようとしましたが、そのボールは容易に日本に奪い返されます。たまに、中国MFがドリブルで仕掛けても、守備で疲労する中国は1枚しか攻撃に上げることができず、日本が二人で守ることで決定機を許さない強さがありました。
こういう、最終予選の初戦という難しい条件の試合は、選手の緊張もある試合です。しかし、日本は前半13分、久保建英のCKでニアサイドにいた遠藤航がフリーでヘディングシュートを決めて、早くも先制点を取っておくことができました。中国は4-4-2で、何とか2トップの武磊と張玉寧にボールを入れたかったでしょうが、武磊が守備に回らされ、張玉寧は前で孤立する展開になります。
その後は日本が面白いように中国ゴールに仕掛けます。右サイドも、U-20代表からのコンビである堂安と久保建英のところは昔から良さを分かり合えているので、どちらかがタッチライン際で待ってもう一人が中央で待つポジション取りもできていました。なかなかスコアは1-0が動かなかったものの、「この一方的な展開なら、中国の動きは必ず落ちてくる」確信がありました。
最後、前半終了間際で久保建英のサイドチェンジから、三笘が珍しくヘディングシュートで点を取り、2-0で前半を折り返します。この圧倒的な内容の差を見ると、中国のベンチにいる帰化選手を出しても容易にひっくり返される試合ではない確信はありましたが、後半はもっと内容のあるサッカーを見せます。それは明日以降のマニアック分析で補足します。
中国戦のゲームレポートは少し待っていただき、まずは火曜日に予定されているアジア最終予選、バーレーン戦のプレビュー記事から書きます。バーレーンの初戦はアウェイの豪州戦でしたが、不利と予想されたこのゲームを1-0で勝利する番狂わせを起こしています。バーレーンの2次予選の成績は3勝2分け1敗の2位通過で、勝利は格下のイエメンとネパールからのみです。
バーレーンにとって、日本はよく当たる相手です。思い出すのは2003年の五輪予選、埼玉スタジアムでの対戦で1-0でバーレーンが勝利し、バーレーン国内では「埼玉の奇跡」と呼ばれていました。終わってみると日本が五輪予選を通過し、結果は出した大会ではあったのですが、バーレーンに自信をつけさせてしまったなと当時思っていました。
バーレーンとの最終予選での対戦は2度、生で見ていますが、2度とも1-0の日本の辛勝でした。このゲームを見た印象は、バーレーンは自分たちのサッカーを捨てても最初から0-0の引き分けを狙ってくる可能性があるものでした。特に2005年のときは、その狙いがあと一歩ではまりそうでしたが、相手MFサルミーンのオウンゴールで日本が1-0で勝利する、際どい試合でした。
事実、2次予選の最終戦ではUAE相手にアウェイで引き分けに持ち込んでおり、この粘りのサッカーには日本が苦しむ可能性もあります。特に、初戦の中国戦が7-0というあまりのゴールラッシュだったので、点はいつでも取れるという気持ちになってしまうと、なかなか1点が取れなかったときに苦しむ展開も考えられます。
もっとも、今の日本は想像以上にいろんなことができるようになっています。今回のような、国際Aマッチデーで複数の試合を行うときに、メンバーを入れ替えてターンオーバーをすることもできます。中国戦で出場時間が短かった選手たちが、ここがアピールの場だと意気に感じて、このゲームを勝利に導いて欲しいと期待しています。
バーレーンにとって、日本はよく当たる相手です。思い出すのは2003年の五輪予選、埼玉スタジアムでの対戦で1-0でバーレーンが勝利し、バーレーン国内では「埼玉の奇跡」と呼ばれていました。終わってみると日本が五輪予選を通過し、結果は出した大会ではあったのですが、バーレーンに自信をつけさせてしまったなと当時思っていました。
バーレーンとの最終予選での対戦は2度、生で見ていますが、2度とも1-0の日本の辛勝でした。このゲームを見た印象は、バーレーンは自分たちのサッカーを捨てても最初から0-0の引き分けを狙ってくる可能性があるものでした。特に2005年のときは、その狙いがあと一歩ではまりそうでしたが、相手MFサルミーンのオウンゴールで日本が1-0で勝利する、際どい試合でした。
事実、2次予選の最終戦ではUAE相手にアウェイで引き分けに持ち込んでおり、この粘りのサッカーには日本が苦しむ可能性もあります。特に、初戦の中国戦が7-0というあまりのゴールラッシュだったので、点はいつでも取れるという気持ちになってしまうと、なかなか1点が取れなかったときに苦しむ展開も考えられます。
もっとも、今の日本は想像以上にいろんなことができるようになっています。今回のような、国際Aマッチデーで複数の試合を行うときに、メンバーを入れ替えてターンオーバーをすることもできます。中国戦で出場時間が短かった選手たちが、ここがアピールの場だと意気に感じて、このゲームを勝利に導いて欲しいと期待しています。
町田は後半の頭で、右SBの望月を下げて同じ右SBに鈴木準弥を投入してきました。鈴木準弥といえばロングスローを得意とする選手で、ますます町田が得意とする、ロングスローを頭で合わせるサッカーを表現したい意図を感じました。浦和としては後半の立ち上がりを抑えて、町田のパワーサッカーの裏をカウンターで攻めたいところでしたが、後半の4分にナサンホのドリブルを止められず、クロスをオセフンが頭で合わせて同点とされます。
もっとも、浦和のベンチメンバーにはチアゴ・サンタナ、二田、長沼、松尾と攻撃の選手が多く入っています。前半にセットプレーで相手をうまく出し抜いて1点は取れたものの、1トップのリンセンが相手DFとの接触で苛立ち始めており、ここを代えて流れを期待しました。しかし、62分に投入されたのは二田と長沼で、二田とリンセンの2トップ気味にして、右MFに長沼、左MFに関根という攻撃陣でした。
このあたりから、町田のロングボールとアーリークロスのサッカーが徹底してくるようになります。浦和の守備陣がこれに対応を誤る場面もあり、FKで石原の戻りが遅れてナサンホに抜け出されたり、井上が相手FWに股抜きされたりと町田に何度もチャンスを作られました。そんな試合が、どうにか形になっていたのは、GK西川が何度も決定機を止めていたからです。
また、65分にナサンホのクロスを藤尾が外したミスにも救われました。これで、町田ベンチはナサンホと藤尾を下げて、藤本を左MF、デュークと桑山をFWに置いてさらに前に人数をかけてきます。浦和は正直、しのぐのが手一杯の様子でしたが、76分に投入されたチアゴ・サンタナと松尾がゲームの流れを変えることができました。
町田DFは明らかに松尾のドリブルに手を焼いていた雰囲気で、これで前で起点を作れた浦和は、松尾からのパスを大畑が上げたクロスがチアゴ・サンタナの頭に合って、2-1と勝ち越し点を得ることができました。この得点以降は、町田のアーリークロス対浦和のクリアの攻防になり、カウンターから松尾が3点目を決めたかに見えましたが、これがVARの結果、二田が相手DFを引っ張っていたとなりノーゴールになります。
このノーゴールは多少浦和DFの士気を削いだようで、最後藤本のドリブルが止められず、折り返しをエリキが合わせて、このゲームは2-2の引き分けに終わりました。シビアに見れば浦和は勝利に値するような組織的なサッカーができた試合ではなかったです。それでも、ヘグモ監督が解任され、スコルジャ監督が就任する前の暫定監督という試合で、勝ち点1でも取っておけたことは次につながります。今回も国際電話でスコルジャ監督の考えも多少反映されていたようなので、彼がベンチに入って指揮すれば何か変わると思いたいです。
もっとも、浦和のベンチメンバーにはチアゴ・サンタナ、二田、長沼、松尾と攻撃の選手が多く入っています。前半にセットプレーで相手をうまく出し抜いて1点は取れたものの、1トップのリンセンが相手DFとの接触で苛立ち始めており、ここを代えて流れを期待しました。しかし、62分に投入されたのは二田と長沼で、二田とリンセンの2トップ気味にして、右MFに長沼、左MFに関根という攻撃陣でした。
このあたりから、町田のロングボールとアーリークロスのサッカーが徹底してくるようになります。浦和の守備陣がこれに対応を誤る場面もあり、FKで石原の戻りが遅れてナサンホに抜け出されたり、井上が相手FWに股抜きされたりと町田に何度もチャンスを作られました。そんな試合が、どうにか形になっていたのは、GK西川が何度も決定機を止めていたからです。
また、65分にナサンホのクロスを藤尾が外したミスにも救われました。これで、町田ベンチはナサンホと藤尾を下げて、藤本を左MF、デュークと桑山をFWに置いてさらに前に人数をかけてきます。浦和は正直、しのぐのが手一杯の様子でしたが、76分に投入されたチアゴ・サンタナと松尾がゲームの流れを変えることができました。
町田DFは明らかに松尾のドリブルに手を焼いていた雰囲気で、これで前で起点を作れた浦和は、松尾からのパスを大畑が上げたクロスがチアゴ・サンタナの頭に合って、2-1と勝ち越し点を得ることができました。この得点以降は、町田のアーリークロス対浦和のクリアの攻防になり、カウンターから松尾が3点目を決めたかに見えましたが、これがVARの結果、二田が相手DFを引っ張っていたとなりノーゴールになります。
このノーゴールは多少浦和DFの士気を削いだようで、最後藤本のドリブルが止められず、折り返しをエリキが合わせて、このゲームは2-2の引き分けに終わりました。シビアに見れば浦和は勝利に値するような組織的なサッカーができた試合ではなかったです。それでも、ヘグモ監督が解任され、スコルジャ監督が就任する前の暫定監督という試合で、勝ち点1でも取っておけたことは次につながります。今回も国際電話でスコルジャ監督の考えも多少反映されていたようなので、彼がベンチに入って指揮すれば何か変わると思いたいです。