この冬の時期は花の種類が少ないですが、別所沼公園に年をまたいで咲いていたなでしこです。さすがに見頃終盤のようですが、公園なので美しく見た目を保とうと、いろんな花が季節ごとに入れ替わりながら植えられています。
最近、自分の頭の中だけが山ブームで、NHK-BSで放送されている酒場詩人、吉田類さんの登山番組である「にっぽん百低山」を見ています。類さんの名言に「山高きが故に尊からず」があり、標高が低いながらも地元の人に愛されて歴史がある山に登って、その物語を読み解く30分番組です。もちろん、低山といえど単に標高が低いだけで、高山よりも登山の難易度が高い山もたくさんあります。
また、高山にはアクセスが良くて登りやすくなっている山も、乗鞍岳や立山などがありますが、低山の場合登山口にたどり着くだけでも相当タクシー代がかかっているだろうと想像できるケースも多いです。そこからの距離やコースタイムは毎回注意して見ていますが、低山といえど片道コースタイム3時間超はよくあります。
自分の頭の中だけの山ブームも、時には実行に移したいと思うこともありますが、まだコースタイム6時間に耐えられる体力はないと、スルーしてしまうことがほとんどです。そういう、時には難しい山もある低山を、75歳の類さんはゲストの女優さんに足の置き場を教えながら、丁寧に引っ張っています。類さんは酒飲みですが、そういう体力も普段から鍛えているのですね。
もちろん、ゲストの女優さんは毎回変わりますが、美人揃いです。そういう人と登山できる類さんは役得でもありますが、75歳の男性で20歳の女性より体力がある人はなかなかいないので、類さんの体力が続く限りこの番組は続きそうに思えます。その低山の歴史は歩荷がいた時代の交通要所だったり、薬草や鉱物資源の産地だったりと、いろいろあります。
最後は女優さんと酒盛りもします。たいてい地酒が出てきますが、コロナ禍に収録されたときはウーロン茶だったこともあります。おつまみとして出てくる地元の食べ物が、この番組の楽しみです。
また、高山にはアクセスが良くて登りやすくなっている山も、乗鞍岳や立山などがありますが、低山の場合登山口にたどり着くだけでも相当タクシー代がかかっているだろうと想像できるケースも多いです。そこからの距離やコースタイムは毎回注意して見ていますが、低山といえど片道コースタイム3時間超はよくあります。
自分の頭の中だけの山ブームも、時には実行に移したいと思うこともありますが、まだコースタイム6時間に耐えられる体力はないと、スルーしてしまうことがほとんどです。そういう、時には難しい山もある低山を、75歳の類さんはゲストの女優さんに足の置き場を教えながら、丁寧に引っ張っています。類さんは酒飲みですが、そういう体力も普段から鍛えているのですね。
もちろん、ゲストの女優さんは毎回変わりますが、美人揃いです。そういう人と登山できる類さんは役得でもありますが、75歳の男性で20歳の女性より体力がある人はなかなかいないので、類さんの体力が続く限りこの番組は続きそうに思えます。その低山の歴史は歩荷がいた時代の交通要所だったり、薬草や鉱物資源の産地だったりと、いろいろあります。
最後は女優さんと酒盛りもします。たいてい地酒が出てきますが、コロナ禍に収録されたときはウーロン茶だったこともあります。おつまみとして出てくる地元の食べ物が、この番組の楽しみです。
地元さいたま市で見ることができる「ソシンロウバイ」です。花の芯まで黄色いので「素芯(そしん)」という名前になっています。春を告げるという意味ではトップバッターで、野鳥の餌になりやすいため、メジロが元気になってくる2月上旬になると食べられてしまいます。晴れた日にこの花を見ると、ほのかな香りが漂ってきますね。
昨年まで、浦和レッズのユース監督だった平川忠亮氏が、J3の琉球の監督に就任しました。J3とはいえ、プロのトップチームの監督ですから、平川氏にとっては大きな挑戦でしょう。引退セレモニーでは「指導者になりたい」と言っていた平川氏の夢は、意外と早く叶ったのではと思います。もちろん、今のJ3は成績が悪いとJFLに降格してしまうので、チームが緩まないようにするタスクは最低限必要とされます。
指導者としてはまだこれからなので、浦和系ブログとしては彼の現役時代の思い出を書きます。平川は2002年に筑波大を卒業して、前年にオランダリーグに移籍した小野伸二の移籍金4億円を使って、次の時代のヒーロー候補を発掘しようとした浦和に入団します。清水商の同級生の小野伸二とはすれ違いになりましたが、「高卒でプロに入っていたらとっくに駄目になっていただろう」と未練はないようでした。
同期入団の仲間には、プロ入り即スタメンになった坪井がいましたが、平川も大卒で入ったら即戦力になることが必要なプロの条件をクリアできました。当時3バックだった浦和で、やったことがなかった左アウトサイドでプレーし、右足のアウトサイドでクロスを上げるなど工夫を見せて、路木からポジションを奪って左アウトサイドに定着します。
平川の優れた点は、様々なポジションでプレーできることで、右ストッパー、右アウトサイド、左アウトサイド、4バックの両SBでのプレーが可能でした。そのため、4バックの監督が就任しても、大きく出番を減らすことはなく、大抵どちらかのSBのポジションを確保していました。それでもスピード型の右利きの選手なので、最も得意なのは3バックの右アウトサイドでした。
2012年、浦和にミシャ監督が就任すると、キャンプ二日目の練習試合で右アウトサイドに平川、左アウトサイドに梅崎を置いてきました。それがそのままシーズン全体の起用になりました。それだけ、様々な監督の下でプレーでき、35歳くらいまではスピードも持っていた、長持ちで良い選手だったと思い出します。
最後は関根に右アウトサイドのポジションを奪われたことで、出番を減らし38歳で引退します。J3の監督ですから、確率的には低いですが天皇杯やルヴァン杯で浦和と当たる可能性もあります。平川は監督としても良い指導をしたと、後々まで語り継がれるように、期待しています。
指導者としてはまだこれからなので、浦和系ブログとしては彼の現役時代の思い出を書きます。平川は2002年に筑波大を卒業して、前年にオランダリーグに移籍した小野伸二の移籍金4億円を使って、次の時代のヒーロー候補を発掘しようとした浦和に入団します。清水商の同級生の小野伸二とはすれ違いになりましたが、「高卒でプロに入っていたらとっくに駄目になっていただろう」と未練はないようでした。
同期入団の仲間には、プロ入り即スタメンになった坪井がいましたが、平川も大卒で入ったら即戦力になることが必要なプロの条件をクリアできました。当時3バックだった浦和で、やったことがなかった左アウトサイドでプレーし、右足のアウトサイドでクロスを上げるなど工夫を見せて、路木からポジションを奪って左アウトサイドに定着します。
平川の優れた点は、様々なポジションでプレーできることで、右ストッパー、右アウトサイド、左アウトサイド、4バックの両SBでのプレーが可能でした。そのため、4バックの監督が就任しても、大きく出番を減らすことはなく、大抵どちらかのSBのポジションを確保していました。それでもスピード型の右利きの選手なので、最も得意なのは3バックの右アウトサイドでした。
2012年、浦和にミシャ監督が就任すると、キャンプ二日目の練習試合で右アウトサイドに平川、左アウトサイドに梅崎を置いてきました。それがそのままシーズン全体の起用になりました。それだけ、様々な監督の下でプレーでき、35歳くらいまではスピードも持っていた、長持ちで良い選手だったと思い出します。
最後は関根に右アウトサイドのポジションを奪われたことで、出番を減らし38歳で引退します。J3の監督ですから、確率的には低いですが天皇杯やルヴァン杯で浦和と当たる可能性もあります。平川は監督としても良い指導をしたと、後々まで語り継がれるように、期待しています。
昨日の散歩で見かけたカワセミです。よくいる場所は大体把握していますが、昨日はちょっと違う場所にいました。遠い場所にカワセミを見かけたときは、まず望遠カメラを最大にして写真に収め、動かなければ近づいてさらに写真を狙うようにしています。寒い時期の、最大の楽しみです。
今日は長い文章を考える元気が出ないので、穴埋めネタで今日の散歩で撮った水仙の写真を貼っておきます。この時期の散歩は、どうしても花を見つけられないです。開花の早い、梅や木瓜、沈丁花あたりもまだつぼみですが、写真の水仙が一輪だけ開花していました。帰りに向かって少し歩を進めていた自分ですが、これを見つけると足を止めて一枚撮りました。
都会の鳥の定番とも言える「ハクセキレイ」です。この鳥は護岸や橋などといった人間が作った環境に強く、それを利用して巣が作れるというしたたかさがあります。動きは速く、油断していると逃げられますが、個体数が多いので何回も狙っていれば一枚はこういう写真が撮れます。
先日、2020年に撮った、両国駅を通過して行った255系の写真を載せていましたが、それよりも良い写真があったので改めて載せます。2022年に秋葉原駅で撮ったもので、当時秋葉原は新宿わかしお号の停車駅だった(現在は通過)こともあって、写真を狙いやすい環境が整っていました。今は、もう見られない車両なんですね。





kobby冬季限定趣味の鳥の写真、今日もカワセミの写真を撮ってきました。カワセミについては何としても見つけるという気持ちで川を見ていると、思いが通じることが多いです。できれば飛び立つ姿を撮りたいですが、飛び立つまで待つ時間的余裕がないこともありますね。





今日、休場中だった横綱照ノ富士の現役引退が発表になっていました。もともと、両ひざはカーボン製の装具を付けないと相撲が取れない状態で、しかも糖尿病の症状も出るなど、体はボロボロでした。横綱として15日間相撲が取れる状態ではないことを引退の理由に挙げていました。親方になるために必要な日本帰化は既にしており、元横綱なので現役名のまま5年間親方になれます。
照ノ富士はモンゴルから、鳥取城北高校の3年生に編入して日本の土を踏みます。最初に入門したのは元横綱二代目若乃花の間垣部屋でしたが、間垣部屋の消滅とともに現在の師匠である元横綱旭富士の伊勢ヶ浜親方のところに移ってきます。照ノ富士の「照」は昭和初期の元横綱照国から取ったものです。
照ノ富士と聞いて思い出すのは、最初の大関昇進のときに幸運を利用できたことです。当時、関脇小結が全員負け越していたので、東前頭2枚目で8勝7敗だった照ノ富士がラッキーな関脇昇進を果たしました。その幸運も生かして関脇で好成績を収めて、大関に昇進します。当時から上体の力を生かした投げは強かったですが、膝を痛めて長期休場を余儀なくされ、大関だった番付は序二段まで下がるという大ピンチに陥ります。
序二段は、相撲で下から二段目の番付で、ざんばら髪の新弟子でも上がって来れる位置です。もちろん、元大関がこのような下位から再起を目指したことは前例がなかったですが、伊勢ヶ浜部屋の中では「大関」と呼ばれリスペクトされており、休場中もできるトレーニングはやっており、序二段を1場所、三段目を1場所、幕下を3場所で通過して1年以内に十両まで戻ってきました。
十両も2場所で通過し、再入幕で前頭17枚目に上がると、ここで平幕優勝を果たしてからも順調に番付を上げます。翌場所の10勝以外での大関復帰は魁傑以来二人目、大関陥落経験のある力士の横綱昇進は三重ノ海以来二人目と、偉大な記録も塗り替えて横綱昇進を果たします。横綱に上がってからは体の大きさを生かした相撲を取っており、小兵相手には両かいなを引っ張り込んでの外四つで寄り切れる相撲ぶりでした。
また、取組以外でも、本場所を休場していても巡業に横綱土俵入りを見せるために帯同するなど、行動でも他の力士への模範となる力士でした。実績から言って、伊勢ヶ浜部屋の後継者候補であることは間違いなく、これから彼が育てた力士が土俵を賑わしてくれることを、楽しみに待ちたいと思います。
照ノ富士はモンゴルから、鳥取城北高校の3年生に編入して日本の土を踏みます。最初に入門したのは元横綱二代目若乃花の間垣部屋でしたが、間垣部屋の消滅とともに現在の師匠である元横綱旭富士の伊勢ヶ浜親方のところに移ってきます。照ノ富士の「照」は昭和初期の元横綱照国から取ったものです。
照ノ富士と聞いて思い出すのは、最初の大関昇進のときに幸運を利用できたことです。当時、関脇小結が全員負け越していたので、東前頭2枚目で8勝7敗だった照ノ富士がラッキーな関脇昇進を果たしました。その幸運も生かして関脇で好成績を収めて、大関に昇進します。当時から上体の力を生かした投げは強かったですが、膝を痛めて長期休場を余儀なくされ、大関だった番付は序二段まで下がるという大ピンチに陥ります。
序二段は、相撲で下から二段目の番付で、ざんばら髪の新弟子でも上がって来れる位置です。もちろん、元大関がこのような下位から再起を目指したことは前例がなかったですが、伊勢ヶ浜部屋の中では「大関」と呼ばれリスペクトされており、休場中もできるトレーニングはやっており、序二段を1場所、三段目を1場所、幕下を3場所で通過して1年以内に十両まで戻ってきました。
十両も2場所で通過し、再入幕で前頭17枚目に上がると、ここで平幕優勝を果たしてからも順調に番付を上げます。翌場所の10勝以外での大関復帰は魁傑以来二人目、大関陥落経験のある力士の横綱昇進は三重ノ海以来二人目と、偉大な記録も塗り替えて横綱昇進を果たします。横綱に上がってからは体の大きさを生かした相撲を取っており、小兵相手には両かいなを引っ張り込んでの外四つで寄り切れる相撲ぶりでした。
また、取組以外でも、本場所を休場していても巡業に横綱土俵入りを見せるために帯同するなど、行動でも他の力士への模範となる力士でした。実績から言って、伊勢ヶ浜部屋の後継者候補であることは間違いなく、これから彼が育てた力士が土俵を賑わしてくれることを、楽しみに待ちたいと思います。