マトゥラーを出発する日は、インドに到着してちょうど1週間という節目だった。
ボクのインドにおける生活はようやくだが、少しずつ落ち着き始めていた。朝は7時くらいに起床をすると、顔を洗い、宿を飛び出して、チャイを飲む。チャイ屋のおやじの見事な手さばきで淹れてくれる濃厚なチャイとタバコでボクは朝を迎えるのだ。
インド産のタバコ「GOLD FLAKE」は強いタバコだった。
茶色のチャコールフィルターのタバコで、吸うと喉がイガイガした。それを1本吸ってボクは朝の散歩に出かけるのだった。だが、この日は散歩に出掛けず、宿に戻ってチェックアウトし、ボクはバスターミナルに急いだ。
アーグラーへ出発するのである。
マトゥラーのバスターミナルは、それがターミナルなどという言葉に不似合いのただのだだっ広い原っぱだった。ボクはバックパックを担いで、そのターミナルに到着すると1台のバスが停まっており、少しずつ乗客が乗り込もうとしていた。
ボクは急いでチケット売り場に行き、片道40ルピーのチケットを購入した。
4時間のバス料金が僅か120円なのには恐れいった。
だが、この金銭感覚が、この後のインド物価の目安になったことは間違いない。
バスは案の定オンボロだった。
ヴェトナムの長距離バスもタイの市バスもオンボロだったが、更にそれを上回るボロさである。
こころなしか、車体がゆがんで見えるのは気のせいか。白いボディもほこりですっかり茶色になっている。どれだけ、酷使されてきたのだろうか。
ともあれ、ボクもバスに乗り込むと、すでに多くの乗客が着席しており、運良くひとつだけ残っていた窓際の席に腰を下ろすことができたのだった。
アーグラーまでの所要時間は約4時間だという。
つまりアーグラーに着くのは午後1時頃ということになる。昼間のうちに目的地に着くのは気分的に楽だった。
夜中の宿探しはやはり辛いことである。
朝のうちは雲が多かったマトゥラーだったが、バスが発車してしばらく走っているうちに陽が照ってきて、気がつけばいいお天気になった。
バスは当然ながらエアコンなどはついてなく、車内はかなりの温度になった。
窓を開けても、生暖かい風が吹き抜けていくだけである。
迂闊だった。
中国、ヴェトナムを旅したのは冬だったし、南ヴェトナムは暑かったが、ミニバスの旅はさほどきついものではなかった。タイの長距離移動、マレー半島縦断時の国際列車にもエアコンが付いていた。インドのバス旅は強烈な暑さとの闘いになることぐいらい想定内のはずだった。だが、ボクは飲料水すら持ち合わせず、バスに乗り込んでしまったのだ。
バスは途中、どこかで休憩するはずではあるが、それにしても迂闊だった。バスの車内は40℃以上になっているだろう。ボクの喉はすっかりカラカラになった。
バスは途中で休憩をとった。
日本でいえば、ドライブインのようなところである。
もちろん、日本のそれとは比べくもなく、ちょっとした食堂と商店がある程度のこじんまりとしたドライブインである。もちろんコンビニなどはない。
ボクは水を求めて商店に入った。
日本のように500mlのペットボトルはなく、2リットルのおおぶりなボトルがあるだけ。それを買うのに、また値段の交渉をしなければならない。だが、バスの休憩時間には限りがある。結局18ルピーでその水を買わされた。日本円にしてみれば54円だが、1週間で身につけたインドの物価水準にすると随分高い。そもそもペットボトルの水が、マトゥラーとアーグラーのバス運賃の半分の値段の訳がない。
それでも背に腹は代えられず、しぶしぶとお金を払ったのだった。
インド人はペットボトルの水を奇妙に飲んだ。
ボトルの口に自らの口を決してつけなかった。そうやって、仲間とペットボトルを回し飲みした。それにつけても、彼らは器用だった。
実際にその動作をやってみると分かるのだが、それは決して楽な飲み方ではない。喉がごくごくと動き、うまく嚥下ができない。その後時折、インド人からペットボトルの水を勧められたが、ボクはいつも「No Thak you」と断ってばかりだった。
ともかく、バスは再び出発した。
車窓からは建物ばかりが見えるようになり、バスは市街地に入ってきたことをうかがわせた。
轟音ばかりを轟かせ、スピードの上がらない鈍重なバスは、定刻より30分遅れで、アーグラーのバス停に滑り込んだのだった。
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