山々に朝もやが立ちこめている。
早朝7時。わたしは、床を抜け出て、風呂に向かった。山々には秋の気配。ひやりとする空気は凛と躰を引き締めるばかりでなく、気持ちまで洗い流してくれるようだ。
階段を降りて、川沿いを歩く。
犬の散歩をするご婦人とすれ違うと、何故か自然と口をついた。
「おはようございます」。
生まれたての朝。まっさらな心。
川の流れは清らかで、微かに流れの音を湛えている。
その音だけが、この世界にある唯一のもの。
この川を少し上れば、見えてくるはずのあの建物。
昔から変わらないたたずまいは、威厳のある温かみ。
木造に不似合いであるはずのネオン管が、この温泉建築を、時には懐かしみを感じさせ、時には異形にも映し出す。
サザエさんのオープニング、山口の回でも登場した「湯本温泉 恩湯」。
その早朝の湯浴にわたしは向かっている。
10年ほど前に一度、この「恩湯」に来たことがある。
なんの知識もなく、かみさんに連れて来られ、その朴訥とした風呂に至って感動した。
その温泉に、また再び行くことができる。それは無上の歓び。
朝7時。
建物のネオン管はまだ辛うじて点灯していた。
これが点いているのと、いないのとでは、天と地の開きがある。風情が違うのだ。
200円を払って、いざ中へ。そう、原泉かけながしのお湯が僅か200円なのだ。
朝からお風呂に入る幸せを噛みしめながら。
風呂桶はコンクリートの打ちっぱなし。タイルなんかではない。
ねずみ色の古びた風呂桶。お湯は柔らかく、どちらかといえばぬるい。だが、加温加水なし、しかも床下からも涌きあふれるという奇跡の湯。豊富な湯量が、遠慮なく溢れ出てくる。
近所のおじさんらが朝風呂に訪れ、あれやこれやと話しをする。
ボクはただお湯に浸かり、瞑想をする。
気持ちいい。
ただただ。
あるがままに。
朝の散歩と朝風呂。
躰と意識が清廉になっていく。
その瞬間が、まさに朝風呂の極意である。