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読書日記 2013- 05 「国家は僕らをまもらない」

2013-05-15 14:06:13 | 読書日記

「憲法学」の授業の最終レポートで出された課題図書を1年ぶりに本棚が引っ張り出して読んだ。
「子どもの日」の東京ドームに立つ背番号96の男を見て、こうしちゃいられないと思ったからだ。
3日前が清志郎の命日だったからか。こんな唄が頭を巡り始めた。
「感じねぇかよ。この嫌な感じを」。
この背番号96が初めてリーダーになった7年前もいつもボクの頭の中には清志郎の声がぐるぐると回っていた。
「一度くらいはテレビで見ただろう」

その嫌な感じとは国民栄誉賞の授賞式の模様。
これは憲法改正に向けた目くらまし。2chでは「讀賣主導」と騒いでいたが、いやいや明らかに背番号96の男は国民を嘲っていたように映る。

背番号96の男は1月17日、讀賣新聞の主筆のもとを訪れたという。
どんな話しがされたのか、推測の域を出ないが、恐らくこの国民栄誉賞の話題が主であっただろう。
讀賣としては、将来的な監督のポストを背番号55の男に託したい。そのためには、背番号3の由緒正しき後継者としてきっちりと花道を作りたい。
そうした思惑と背番号96の憲法改正を争点とした参院選前の好感度アップ。両者の思惑は合致したのではないか。

憲法とは国家=権力に縛りをかけることで国民の自由を守るものだ。
憲法の義務を負うのは我々ではなく国家権力である。
その国家が憲法を都合のいいように改正しようとするのは、ちゃんちゃらおかしい。
「自分らで起草したものではなく、押しつけられたものだ」とは明らかに詭弁だ。
 
僕らは、憲法がなんたるものであるかを知らなさすぎる。
本書が指摘するように、「国家は僕らを守ってくれる正義の味方だから、僕らは憲法を守らなければならない」と心の中でそう理解している。
背番号96の男は、国民のそんな心をよく理解している。
だから「子どもの日」に好感度をあげて、一気に参院選の流れを作る。そう目論んでいる96番の行為は国民の愚弄ではないか。

本書は木村拓哉、桑田佳祐、パタリロ、イチロー、スッパマンといったお馴染みの人物やキャラクターをフィルターにして、立憲主義の本質をあぶり出す。
僕はこれを改めて読んで、また闘志がわいてきた。
日経平均株価が連日上昇する浮かれた日々と引き替えに憲法改正の道を開く選択をするのなら、それは立憲主義の自殺であろう。

「石榴のスープ」(マーシャ・メヘラーン)を読んだ。本当は、この本を今月の本にしたかったが、胡散臭い空気がそれを阻んだ。だが、本書のすばらしさは何も変わらない。ハーブの匂いが香り立つように、ペルシャの様々なお料理の官能的な香りが頭の中に広がって、これまでに知らない全く新しい世界がひろがっていく。ぼくらはどれだけ知っているのだろう。イスラムの苦しみを。ぼくらは何も知らない。うん。早くテヘランに行きたくなった。

「中学生までに読んでおきたい日本文学」1巻「悪人の物語」
このシリーズは上手な切り口だなと思う。でも、たしかにある程度の年齢までには古典文学を抑えておきたい。でもどれを読めばいいのか。上手な切り口で本の新たな世界を紡ぐ本書に拍手!

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