小欄に「サイゼリヤ」を書くと、「サイゼリヤ」は酒場じゃないだろという人が少なからずいる。そんな文句に対して、自分は声を大にして言う。いや「サイゼリヤ」はそんじょそこらの居酒屋よりも居酒屋らしいと。
娘の小学校の友人にイタリア人の父を持つ子がいた。その人はひどく気難しいイタリアンだった。義母と義父から届いた娘の小学校の入学祝いのランドセルに、イタリアン人の父はこう言い放ったらしい。「全体主義的な代物を贈らないでください」と。また、ある時こんなこともあったらしい。学校見学(我々が住む地域では授業参観のことをこう呼ぶ)に行き、娘の授業を見たイタリアンは担任の先生に、「横文字ばかり使わないでください」とクレームをつけた。カタカナ英語ばかり言う先生が気に食わなかったらしい。そんなある日、そのイタリアンが家族で「サイゼリヤ」に行ったと聞いた。そんな気難しく、あらゆることにダメ出しを出すイタリアンが「サイゼリヤ」に行ってしまった。これはただでは済まないと思った。「こんなのはイタリアンではない!イタリアを侮辱する気か!」。最悪の場合、外交問題に発展する可能性もある。ところが、そのイタリアンは「サイゼリヤ」を絶賛したらしい。そして、以後かなりの頻度で「サイゼリヤ」に出かけるようになったという。
居酒屋よりも居酒屋らしく、イタリアンよりもイタリアン。
それが「サイゼリヤ」である。
その「サイゼリヤ」が恐らく、足立新田店であった。我々が住む地域にはかつて「サイゼリヤ」が2軒あった。赤羽南のイオンにテナントする店舗とこの足立区の店。距離的には後者の方が近いのだが、我々は前者に通った。自分の中ではどうも足立区が受け入れられなかったからだ。しかし、コロナが沈静化し、酒が飲めるようになって、そうも言ってられない。何しろ、酒場よりも酒場らしい、イタリアンよりもイタリアンなお店は外せないからだ。
かみさんが仕事で不在の日。子どもらを連れて出かける。
自分はいつものように、白ワインをデキャンタで。
ピザは「マルゲリータ」。そしてパスタは、「アーリア・オーリア」。
これが自分の定食だ。このシンプルな組み合わせが一番いい。これが長年、「サイゼリヤ」に通って出したひとつの解である。
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