Lombard RAC Rally
87年よりマシンがグループAとなり、
各メーカーは、車種選択に苦しむ。
プジョーは活動休止にまでなった。
アウディは、200で走るも以前の強さはない。
フォードはFRのシエラで走るが、グラベルでは辛い。
そんななかで、良いスタートを切ったのは、
日本国内ラリーで強さを誇っていた、
ファミリアGTこと、MAZDA323
フルタイム4WDターボでスウェーデンで初優勝。
ニュージーランドでも勝つのだが、
1600ccということで、非力だった。
注目はランチアは、デルタHFだった。
フルタイム4WD、2リッターターボは、
出れば優勝と、圧倒的な強さになった。
国内ラリーのファミリアに対抗すべき
トヨタ、三菱、スバル、日産も開発を急ぐ。
それが、じわじわと表れてきた。
時折、デルタを凌ぐ速さを出してきて、
だんだんと信頼性も高くなってきた。
デルタを射程圏内に捕らえあと1歩!
1989
ついに1000湖でランチアの連勝を止めた。
セリカのトラブルでギャランVR4が初優勝。
続くオーストラリアではセリカが初優勝。
そして、最終戦RACは・・・
最終日サインツのセリカのトラブルによって、
ギャランVR4が優勝する。
P・アイリッカラも初優勝を飾る。
もちろんRAC日本車の初制覇となる。
しかも、9位まで日本車が独占する。
2位、セリカGT4、C・サインツ
3位、セリカGT4、J・カンクネン
4位、セリカGT4、K・エリクソン
5位、ギャランVR4、A・バタネン
6位~9位、マツダ323
ヨーロッパでは勝てなかった日本車が
一気に活躍が期待されるようになった。
1990
この年は、セリカを駆るC・サインツが開花する。
1000湖では、スカンジナビアン以外での
初の優勝を果し、RACも制した。
2位に、K・エリクソンのギャランVR4が入るも、
8位までに4台のセリカGT4が占めた。
1991
デルタ、セリカ、ギャランの戦いに、
新たに斬り込んできた若武者が居た。
スバルレガシィを駆るC・マクレーだ!
2度も転倒し、マシンは歪んでしまっても、
アクセルを緩めない彼は一気にヒーローとなる。
ラリーは、デルタのJ・カンクネンが優勝する。
ランチアは、RACでの優勝が最後となる。
2位、ギャランVR4、K・エリクソン
3位、セリカGT4、C・サインツ
4位、ギャランVR4、T・サロネン
5位、スバルレガシィ、A・バタネン
1992
フォードはシエラコスワース4x4
日産は、パルサーGTIRでWRC復帰。
シエラは速さを見せるも、パルサーは芳しくなかった。
トヨタは、ST165からST185へとチェンジ。
C・サインツ駆る新型セリカも戦闘力が上がり、
最終戦RACを制し、チャンピオンも獲得した。
2位には、レガシィのA・バタネン
1993
ダウンサイジング
というコピーで、各社、マシンをチェンジしてきた。
ギャランが、ランサーEVO
レガシィが、インプレッサ
シエラが、エスコートRSコスワース
これらのマシンが、速さ備えてきた反面、
徐々にマツダ323が消えつつ、
デルタさえも影が薄くなっていったのである。
J・カンクネンが、RAC3度目の優勝。
マシンは、セリカRC(185)だった。
トヨタにとって、RAC最後の勝利となった。
ヨーロッパのスプリントラリーでは、
日本車は勝てない! と、言われ続けたが、、、
もはや日本車でないと勝てない!
というくらいWRCで日本車が暴れ回るようになった。
つづく
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