毎週木曜日、午前10時30分~11時は、
Zoom法音道場『仏説無量寿経』読誦&井戸端コース
を開催しています。
短時間(30分)ですし、
一般人が集う小さな学習会ですので、
内容は、ヨチヨチと『仏説無量寿経』読誦と井戸端になります。
明日(7/13)は、「三誓偈」を読誦の予定。
さて、このZoom法音道場は、知り合いの一般人がご参加です。
一般人ですから、仏教のことも経典のことも
これまでは無縁の方々。
ボクの誘いにのって、『仏説無量寿経』を手にしてくれるようになりました。
明日は、
毎田周一全集(第五巻)から次の文を紹介させてもらいます。
仏説無量寿経は生命の讃歌である。
私達の三毒・五悪の相を超えてゆく、生命飛躍の尖端を明かせる経である。
眼前一輪の薔薇に無量寿を直覚し得ない人は、
遂にこの経を読むも詮なき人である。
無量寿とは現実の生命そのものである。
この世界の事実が、
そのまゝ無量寿を語ってゐるのであって、
無量寿経とは現実の直視なりといってよい。
毎田周一全集 第5巻から。
「念仏と科学」
跪いて光明無量寿命無量なることを知る。これが念仏の意義である。
南無阿弥陀仏である。
跪くとは心を空しくしてもの見ることである。
己れなくしてものを見るといふことである。
そのとき物事のありのままの姿が見られる。
物事のありのまゝの姿とは、無限なる事物が階調をなして、
一大世界の交響楽を奏でてゐるといふことである。
唯一の和の世界、玄沙の所謂「尽十方世界一顆明珠」である。
この世界にあつて我等は、この世界によって生かしめられ、
又逆にこの世界に働きかけてこの世界を作る。
西田博士にいはるゝ如く、
我等は創造的世界の創造的要素として働くのである。
この世界として働くといふことを、無我ともいふのであろう。
無我の世界は創造的発展の世界である。
これを光明無量寿命無量として表はす。
南無すること、跪くこと、己を空しうすることは、
やがてこの発展的世界の内面的自覚である。
これを南無阿弥陀仏といふ、念仏といふ。
それ故に念仏者は、発展的創造的に働くものでなければならない。
念仏はそれ故に消極的退嬰的ではないのである。
(略)
釈尊によって発見せられ、二千五百年の歴史を通して鍛へ抜かれた念仏の真理と、
その金剛の如き偉大を、我々は讃へざるを得ない。
誰か知る、念仏が科学的精神として現に発展し活動しつゝあることを。
念仏の皮相を見て、
その真理性を知らざるもののみが、これをあざ笑ふのである。
(23.3.3)
カウンセリング研究会【くりのみ】
zoom法音道場
にお遊びください。
ご一緒に、お念仏をしましょう。
写真は、『顕浄土真実教行証文類 信文類』の「悲嘆述懐」の文です。
『毎田周一全集 第四巻』に掲載された毎田師の書からの転載です。
「悲嘆述懐・本文」
誠知、悲哉、愚禿鸞、沈没於愛欲広海、迷惑於名利太山、
不喜入定聚之数、不快近真証之証、可恥可傷矣。
「悲嘆述懐・読み下し」
誠に知りぬ。悲しきかな、愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、名利の太山に迷惑して、
定聚の数に入ることを喜ばず、真証の証に近づくことを快しまざることを、恥ずべし、傷むべし、と。
週四回、月曜・火曜・木曜・金曜の午前開催の《Zoom法音道場》。
これまで、三帖和讃をうたってきました。
ようやく、来春早々には一回りしますので、
その後は『顕浄土真実教行証文類』の音読と『三帖和讃』をうたう、
を交互に取り組んでいく予定です。
明日のzoomで、その予習として次の文を読んでもらいます。
南無は如来の信、阿彌陀仏は如来の行。
信と行と具足せる南無阿彌陀仏である。
これが選択本願として、私達に徹する。
即ち念仏易行が凡愚底下の我れ一人に与えられる。
こゝに称名が起る。
それは如来の行為的直感が衆生のそれに対応するのであって、
行為的直感として一である。
名号は行為的直感に於いて(として)表現される。
即ち称名にに於いて、衆生は真理の表現となる。
そこに衆生に於いて、真理の生活が現出する。
このことを「必得往生」といふのである。
これを釈せられて「不退の位に至ることを彰(アラハ)すなり」といはれたのである。
「不退の位」とは、私達の現在が、不退転位といふことである。
不退転とは、退転せずといふことではない。
不退の展といふことである。
絶えざる前進の位といふことである。
前進は創造である。生命である。
真理の生活とは、かく創造的生活といふことである。
これが称名によって現出といふのである。
その何故にかくなるかは、名号の釈に於いて明らかにされたことである。
(毎田周一全集 第四巻 572頁より)
毎田周一師の言葉(全集第六巻より)
嘗て良寛の書の写真版をみたことがある。
そこには三つも四つも間違った字が書かれ、
その字の右に点をうち、
余白に正しい字が小さく書かれてゐた。
間違ひも平然として正されていつてゐる。
人間が間違いを犯さない存在であったら、
却って不思議であると良寛がいつてゐるようである。
10月のカウンセリング研究会【くりのみ】ご案内
緊急事態発出が解除になりました。
10月の学習会は再開です。
◆10月23日(土) 親鸞とカウンセリングコース
◆10月29日(金) 道元とカウンセリングコース
『毎田周一全集 第四巻』より
教行信証六軸
教行信証を全体として、いかに摑むか、これが私の今の問題である。
それは六軸といはれ、教・行・信・証・真仏土・毛身土の六巻からなる。
これをどう摑むかといふことである。
私はそれをアタックを試みよう。
項目をあげて表を作れば大体次の如くなつと、今は思ってゐる。
一、教・・・・・自覚
二、行・・・・・行為
三、信・・・・・直感
四、証・・・・・真理
五、真仏土・・・真理の世界
六、化身土・・・歴史的社会
上の表の中、行と信に関しては行為的直感の行為を行に当て、
直感を信に当てたのである。出発点は自覚にある。
人間の一切の出発は自覚にはじまる。
だか聖人も自覚から出発して出発しておられるのである。
◆毎月一回、土曜日午前10時~12時。
カウンセリング研究会【くりのみ】で、
『教行信証』を読んでいます。
只今、信巻です。
◆zoom法音道場 水曜日午後8時25分~9時。
zoomで、『教行信証』を読んでいます。
ちょうど、教巻にはいるところです。
毎田周一師の言葉をお届けします。
人が騒ぐとき、一人でも静かにしてゐるものがゐるとよい。
~人と一緒に騒ぎ廻るといふ手はない。~
釈尊は、涅槃寂静といふ永遠の真理を発見し、開顕せられた。
それは三千年前の真理であると共に、現代の真理なのだ。
そして未来永劫の真理なのだ。
新型コロナの世界的な大流行。
昨今の国内の話題は、ワクチンの輸入・接種時期等々。
TVは、連日、いろいろな情報で賑やかである。
確かに、ワクチンは有効な対策だとは思うが…ワクチン頼みだけで良いのか???
個人的な意見・願望だが、
先ずは、PCR検査が簡単に受診できるようになると良いと思うが…
『毎田周一全集 第一巻』を読んでいます。
~「釈尊まのあたり」から~
ある人々は曲がった心から意見をいひ
又誠実な人でもやはり意見をいふが
どのみち静かな人は
若論争が起こっても
それに近づかない
だから静かな人にとって
どこにいても心がすさむといふことがない
新型コロウィルスの感染。
首都圏を中心に感染が拡大加速の由。
明後日(7日)、
東京都と埼玉、千葉、神奈川3県を対象に緊急事態宣言の発令とのこと。
病気の時は、医師・医療関係者の指示・指導を最優先するのが鉄則。
(経済と感染予防の両輪)とか
(go to トラベル go to イート)は、
ピントはずれの政策でした。
各各ができることは限定的ですが、
静かに、新型コロナが収束するのを待ちましょう。
毎田周一師の「遊戯三昧」(ゆげざんまい)をお届けです。
「遊戯三昧」
釈尊が悠々と行かれたのは、
自分が何か特別のことをするといふ特別者の意識をもって居られなかったからであり、
自ら凡夫としてありのまゝの人間に同じてゆかれたからである。
悠々とは見るものゝ立場である。
待つもの、随順するもの、謙虚なるもの、自己否定者の立場である。
それでは彼は何をするのであるか。
たゞ遊びゆくばかりである。
遊戯三昧こそ仏陀の境涯である。
そこには何一つせねばならぬことがない。
何事かをこの世に於いて実現せねばといふことがない。
期して待つべきことあるのみである。
何を待つのであるか。
真理が自らを実現することをである。
それは眼前の現実が、
真理の事実となて現れてゐること以外ではないといふことである。
『毎田周一全集 第一巻』
「澄む月のひかりに」より
毎田周一師の
『大雪山巻頭集』(昭和33年12月 第48号)から。
国を支へるもの
日本の国をほんたうに
支へてくれてゐるのは誰か
それは指導者ではない
名も知られぬ母達なのだ
例へば一つの小学校を
支へてくれてゐるものは
校長でも教頭でもない
一人の忠実な小使さんなのだ
この事実を知って
私達の世界観は一変する
あれではなくてこれなのだ
正に脚下を照顧せよだ
十七条憲法の実践とは
何事でもない唯念仏だ
人知れず念仏して行く人に
この国は支へられてゐるー
コロナ禍。
医療崩壊を目の前に、医療関係者から切実なメッセージが発せられている。
「人の動きや接触を控える!」
「GO TOを、いったん止める!」
菅政権は、聞く耳は持ちませんネ。
新型コロナ対応。
言うまでもありません。
医療関係者の意見に従うべきです。
毎田師の言葉をお借りすれば、
「国を守るのは、菅政権・政治家でなく、医療関係者」。
医師・看護師・介護士の皆さん、本当にご苦労しています。
更に、医療関係者を支えている、お掃除や調理の皆さんいます。
そもそも、
「GO TO」は、政策としては愚策です。
飲んだり・食べたり・旅行をしたり…に、税金を使って宜しいのか!
もちろん、観光関連・飲食業・イベント業のサポートは必要とは思いますが…
南無阿弥陀仏
毎田周一師の言葉
「急ぐといふことの中には
必ず誤りが含まれてゐる」
これわが旧師の言葉
「悠々として
真実の道を歩め」
毎田周一全集 第十巻
個人的な感想ですが、
小泉政権あたりから、日本国は、
新自由主義の流れに舵をとっていそがしくなったように思います。
昨今、持続可能な社会の実現(SDGs)なることを耳にすることが多くなりましたが、
このお国には、「知足」(足を知る)の思想があります。
コロナ禍の “いま”、「悠々」です。