米大リーブ、マリナーズのイチロー選手の一年が終わったそうです。
残念ながら、今季は184安打、打率.272で、11年連続200安打を逃しました。
本当は、今年も200安打をしてもらいたかったですが、相手もあり年齢的なこともあり、大大「天晴れ」でしょう。
一年間、本当にご苦労さまでした。
Yahooニュースでの中京大学スポーツ科学部の湯浅景元教授の分析によりますと、脚力の低下が原因のようです。
但し、来季の復活も期待できるそうです。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110929-00000586-san-base
ゆっくりと休んでいただき、来季に向けて更なる期待をしたいものです。
森有正著『生きることと 考えること』講談社現代新書から拾ったことば。
私は、ひとりで坐っているのが好きなんです。つまり、そういうひとりでいる時間を、できるだけ静かにするために、ほうぼうを歩き回るのです。歩いて回るのは、つまりはもとへ戻って、またそこにゆっくり坐るためなのです。坐っていたのでは自分が豊かにならないから、いろんなものを見たり、いろんなものを聞いたり、いろんな人と交わったりして、またもとのところへ帰ってきてそういうふうなものを思い出したり、そういったものを深めながら…結局、じっと坐っている自分をもっと豊かにしたいためにあちこち歩きます。
かつて、「はるかに行くことは、遠くから自分に帰ってくることだ」と書きましたが、これを極端にいうならば、遠くから自分に帰ってくるために、はるかに出かけていく。それでまた自分に帰ってくるわけです。
自分の生活には、運動と静けさ、活動と休息というようなものが、大きな一つのリズムになっているように思います。(本書p62~)
私は、しばしば、彫刻とか、建築とか、絵画とかを見て歩くわけですけれど、それだけでなく、自然自体の中にはいっていくのが好きです。ずいぶんほうぼうへ旅行しました。しかし私にとって、旅それ自体には、ほとんど意味がありません。それが私の生活というものを象徴しているのです。つまり、何かに出会いに私は出かけている。自分のところにいたら何に出会うこともできないから、旅に出るだけの話です。なにかいいものがあったら、必ずこっちから捜しにいかなくてはいけない。待っていたら何もこないと思うのです。それで私は旅に出かける。(p65~)
おのおの人は、それぞれに自分の「内部的な促し」というものを持っております。そして私は、自分の生活はいろいろな状態になりましたけれども、やはり、自分の「内面的な促し」にしたがっているわけです。そして、この「内面的な促し」に忠実に生きようとするときに、ある状態ーつまり、孤独なら孤独としか呼びようのないような状態におちいってくるわけです。(p68~)
感覚は自分の感覚しかない。人の感覚は自分の感覚にならないということが根本にあります。そして、自分の感覚というのは、あらゆる思想、あらゆる作品のもとにあるものです。人によってつくり出されたり、傷つけられたりするのではなくて、あくまで独立してそこにあって、人はそれに出会うことしかできないわけです。したがって、「自由」ということとも本質的に関係してきます。つまり自分にとって、置きかえることのできない、自分に固有のものを深めることができる探求ですから、それ以外のものは全部奴隷である、ということがいえると思います。(p70~)
只今、TBSラジオ「爆笑問題の日曜サンデー」を聞きながらパソコンに向かっています。
テーマは、「秋」
我が生家のある伊豆稲取の「細野高原のすすき」&金目鯛を紹介していました。
小学生の頃は、遠足で毎年出かけていたところです。
昨年は、友人と「すすき」を出かけました。
素敵なロケーションも楽しみ。
お握りをもって出かけたら!
10月1日(土)~10月31日(月)に東伊豆に宿泊ののお客様に、10、000円の宿泊補助券が当たるキャンペーンをやっているそうです。
写真が美しく紹介されている、「はまべ荘」さんのホームページで紹介させてもらいました。
↓
http://www.izu-hamabe.jp/new_page_40.htm
昨日、午前は、【くりのみ会】。
午後、築地本願寺で開催された仏教文化講座に出かけました。
講師は、愛知専門尼僧堂堂長・青山俊董さん。
講題は、「一つ生命に生かされている兄弟」
草笛老師・横山祖道さん、内山興正老師、「いのちの教育」・東井義雄さん、ノートルダム修道会シスター・渡辺和子さん、キリスト教詩人・八木重吉さん他の方々との交流やエピソードを中心にした内容でした。
青山さんは、八木重吉の次の詩を紹介して、
みんなで いちばんいいものをさがそう。
そして、ねうちのないものにあくせくしないくふうをしよう。
「みんなで」の後に、「みんなの」を挿入して、「みんなで、みんなのいちばんいいものをさがそう。…」として味わっている由。
「みんなの」は、人間だけでなく生命あるもの全てとのこと。
話はとびます。
八木重吉と登美子には、桃子・陽二のお二人のお子さんがいました。
重吉は、結核で29歳で亡くなり、お二人のお子さんも父と同じ病で次々に亡くなります。
独りになった富美子は、後年、歌人の吉野秀雄と再婚します。
お伝えしたいのは、次の二冊のお勧めです。
吉野 秀雄著 『やわらかな心』 講談社文芸文庫
吉野登美子著 『わが胸の底ひに ー吉野秀雄の妻として』弥生書房
仏教文化講座の報告から、脱線してしまいました。