昨日の続きです。
フランシスコ教皇のインタビューからです。
「今日最も重要な文化的最前線は、人間論的な挑戦です。
教会が伝統的に守ってきた人間論は堅固な基準でした。
何代もにわたる知恵と経験の結果でした。
しかし、教会が今日語りかけようとしている人間は、教会の伝統的な教えを理解しないし、
熟考しようともしないように思われます。
私は今日の人間が過去とは全く異なった仕方で自己を理解している現実について語り始めました。
この現実は社会の大きな変化と自己理解のより深い考察に基づくものです」
「各々の時代に人間は自分をより良く理解し表現しようとしてきました。
人間は時間と共に自分自身を知覚する方法を変えてきました。
具体的に言えば、ある時はサモトラケのニケの彫刻で自己を表現し、
ある時はシャガールの絵で人間は自己を表現してきました。
真理の表現の様式も多様であることができますし、
普遍的な意義を持つ福音のメッセージの伝達にこのことはとても必要です」
「人間は自己自身を探求し続けますし、明らかにこの探求の途上で誤謬を犯します。
教会は聖トマスの偉業のように、天才的な、創造的な時を経験しました。
しかし、思想的な衰退の時も経験しました。
例えば、聖トマスの天才性と衰退したトミズムとを混同してはなりません。
人間を考える上で、教会は衰退にではなく、天才的創造へと向かって行かなければなりません」
『中央公論・1月号』に、
フランシスコ・ローマ教皇のインタビュー記事が紹介されています。
翻訳は、門脇佳吉上智大学名誉教授。
新年の【落穂拾い】で紹介の予定で、この数日、PCに向かっているところです。
今晩は、フランシスコ教皇の言葉の一部分を更新します。
次の格言がいつも私の心を打ち続けています。
“最も偉大なことに制約されず、最も小さいことに留まること、これこそが神的なことです”。
この格言が、“神の観点から”出発して神のことをよく感じ取ることができるように、
霊動弁別のために正しい位置をとる基準を与えてくれます。
聖イグナチオにとって大きな諸原理は場所と時と人々の状況に具体化されるべきものです。
最大の視野をもってすべてを見ながら、最小の次元に立ち、
数少ないことに従事し続けることが重要だからです。
偉大な計画を持ち、数少ないこと従事し続けることによって、偉大な計画を実現させることができるのです。
キリスト教については全く分かりませんが、「霊動弁別」の言葉が気になります。
唯識では、「阿羅耶識」をおいて、人間の深層部を説明しています。
「霊動弁別」も「阿羅耶識」も、人間の分別を超えたところのは“はたらき”なのでしょう。
26日のブログで更新した、曽我量深師の次の言葉が重なってきます。
如来は我なり
如来我となりて我を救ひ給う
如来我となるとは法蔵菩薩降誕のことなり
本日のランチは、柴又の蕎麦屋さんに出かけました。
区内の小学校に勤務する元同僚のMさんのお勧めの馴染みのお店。
Mさんは、天ざる。
ぼくは、鰊そば。
どちらも1100円。ボリュームもあって美味しくいただきました。
Mさんがお会計。
色白のお若い綺麗な女性がレジを打ちます。っっっすてきな
20歳位のお嬢さんのように見えたのですが、お腹が大きい。
Mサンとは顔見知りの様子。
二人の会話。
Mさん 「おめでたですか?」
女 性 「ハイ」
Mさん 「この前に来たとき、小さい子がお店で勉強していましてね」
女 性 「上は中学生。小学生と幼稚園とちびちゃんとで、今度で五人目です」
Mさん 「お若いのに・・・」
女 性 「20歳で結婚して、ポンポン産んでいます。四人でも大変ですが、五人なると・・・」
(目は笑って、全身で嬉しそう)
Mさん 「大丈夫。大丈夫。私も、五人育てました」
素敵なお二人の女性の、明るい会話を聞かせてもらいました。
Mさんは、五人の子どもを育て、現在は三人のお孫さんのいるお若いお婆ちゃま。
若いお母さん。本当にお若くてびっくり。
これぞ、健康な、お二人の日本女性でありました。(笑)
昨日の、安倍首相の靖国神社参拝。
韓国・中国は、猛反発。
アメリカは、失望した由。
先日、国連南スーダン派遣国連軍に参加している韓国軍に、自衛隊の弾薬を支援。
ところが、管官房長官の「人道的・緊急的支援」とはいうものの、両国での食い違い。
今日のニュースでは、韓国は弾薬を返却すると云う。
辺野古の埋め立て。
沖縄の仲井知事が埋め立て承認の由。
ぼくの「積極的平和主義」の理解は、「戦争をしない」「武器を持たない」ことだが、
安倍自民党は前のめりで、戦争に向かっているように思えてならない。
『AERA』 13.12.30ー14.1.16で拾った、
浜矩子さんの言葉を紹介します。
マンデラ氏に学ぶ
本当の積極的平和主義
マンデラ氏の映像が、聖書にある言葉を二重写しになる。
「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。
彼らは剣を打ち出して鋤(スキ)とし、槍を打ち直して鎌とする。
国は国に向かって剣を上げず。もはや戦うことを学ばない」
(旧約聖書 「イザヤの予言」 2-4)
大河ドラマ「八重の桜」の中で、八重さんのお兄さん、
山本覚馬氏が、この聖書の言葉を引用していた。
ご覧になった皆さんも多いだろう。
もはや、戦うことを学ばない。
戦いの人であったマンデラ氏の魂のど真ん中にも、
この言葉が刻み込まれていた。
そうだったのだ。今、つくづく、それを実感する。
12月17日。時あたかも日本初の「国家安全保障戦略」なるものが閣議決定された。
その中で、「積極的平和主義」という言葉が中核的位置づけを占めているようだ。
そこので、この言葉を標榜する人々に強く言いたい。
宿敵に向かって、和解の手を差し伸べる。
そして、もはや戦うことを学ばない。
これほど、積極的な平和主義はない。
昨日の「無住住忌」の講師・那須信孝先生が配付の資料からの引文。
『曽我量深選集』からの孫引きになります。
私は昨年七月上旬、高田の金子君の所に於て、「如来は我なり」の一句を感得し、
次いで八月上旬、加賀の暁烏君の所に於いて
「如来我となりて我を救い給ふ」の一句を回向していただいた。
遂に十月頃「如来我となるというは法蔵菩薩降誕のことなり」と云ふことに気付かせてもらひました。
病に苦しめられ、心意常に散乱妄動し、日々聖教読誦を課業としながら、さらにその異議が分からず、
特に近来浮世の下らぬ問題に迷悶しつゝあるところの私には、
誠に千歳の暗室を照らす燈炬を得た心地がしたのである。
(選集2-408頁)
アンダーラインは、ぼくが記しました。
この頃、ずっと考えていることは、「我の基軸」ということであります。
その作業は、内観であり・行いによって深められるものと確信しています。
具体的な営みとしては、「読誦」ということ。「音読ということ」。「音声のほとけに出会うということ」。
いよいよ、来年1月から、「声明と楽談の会」をスタートさせます。
ご一緒に、「聖教読誦」の大道を、歩んでいきましょう。
現在、三名の方から申込がありました。
学習会は、三人から成立と考えています。
よって、学習会は成立です。
ありがたいことです。
どなたでも参加できます。
ぜひ、お出かけください。 応援のクリックよろしく。
楽天が、田中将大投手の放出を決断したそうです。
立花球団社長は、上限2000万ドル(約20億8000万円)の譲渡金への不満を表明しながらも、
苦渋の決断で放出を容認した模様です。
譲渡金の上限を決めたアメリカは、ずるいですなー!(笑)
商売上手と言えばよいのでしょうか?
大国のエゴと言えばよいのでしょうか?
譲渡金も、契約金と同じようにフリーにしてもらい上限設定がないほうが
楽天球団も良かったでしょうねー。
マア、野球と同様、TTPもアメリカ中心・主導で、アメリカのやりたいようにやられてしまうのでしょうねー。
マー君には、ケガに注意して、大活躍を期待してもらいたいものであります。
アメリカを、ギャフンとやっつけてもらいたい。(笑)
この頃は、日本野球・米国野球にはほとんど関心はありませんが、
イチロー選手・ダルビッシュウ有投手・黒田投手・上原投手etc、
個々の選手の活躍は、楽しみでありますねー。
田中将大投手の活躍、今からワクワクします。
午後4時から、新小岩の専福寺様に出かけました。
「無住住忌」とは、星野清師の教えをいただいた方々による讃仰の会。
ぼくは、毎年12月に開催されるこの会に、2009年から参加させてもらっています。
星野清蔵先生の略歴
明治21年9月15日、新潟県長岡市に生まれる。
幼にして学に志し、老荘を学び国学に達し仏典を究む。
大正末年、大谷大学文学部卒業の後、藤沢中学・東京千代田女専に教鞭をとる。
昭和5年(40歳)家を捨てて出家。
昭和7年(42歳)香牙精舎道場を開き、
次いで東京求道会専門道場を開いて有縁の人々を化導。
その後、行脚全国にわたり、その行くところ人を得て語らい、よく伝えよく導きて倦まず。
そのかたわら「良寛の詩境」をあらわし深く良寛禅師を讃仰。
自らも詩歌をよくし、その書は高識の士の深く愛するところ。
たまたま齢50を越え忽然として自然の美に驚き、
すなわち筆をとって画境三昧に沈潜すること数年、
たちまち天来の画境に悟達し、独特の画風を開陳す。
昭和20年(55歳)戦災のため横浜香牙精舎道場消失。
やがて群馬県邑楽郡舞木円福寺に移る。
同寺住職となりし頃より特に『教行信証』『正法眼蔵』等を講じ、
かたわら山野を 跋渉し写生に没頭。
そのものした山水自然の画風は高逸の筆になる即興の詩歌と相まって
清澄なる風韻を画面にあふれしめ、無住々散人と称せられるにふさわしい風格を示す。
昭和37年12月30日 藤沢市の寓居にて逝く。享年73歳
無住住散人(星野清蔵師)作 敬白文
「三世一切のものみなは眼前に交代し、乱転し、漸くもやむことなし。
而してそのよって去来する所しることなく、空なしく流転のうちに迷着す。
哀しきかな。」
「然るといえども、無碍の光耀一度、識心に、攬入すれば、
一切の顛倒の夢想たちまちに遠離しいて仏仏平等の証智、
明明朗朗、是れ、観自在菩薩の示現南無大悲観世音菩薩一心帰命礼」
世を捨てて 乞食となりぬ 無住住
訪ぬる人も 水の泡かな
記念講演は、
『救済と自証 曽我量深の教え 法蔵菩薩は誰か』の著者・那須信孝先生。
大谷大学大学院で曽我量深師の教えを学ばれた那須先生が、
師の教えと、龍樹の「空」、天親菩薩の「世尊我一心」、善導の「二河白道」の話を中心に、
唯識と浄土の教えが表裏一体であることを話してくれました。 応援のクリックよろしく。