大晦日の〆は、馴染みの小岩の「ボンズ」さんに出かけました。
今晩は、チリ産の赤ワインとマスターお薦めのトラフグ刺身と白子(写真)をいただきました。
赤ワインに白子はあいますね。
ご馳走様でした。
静かな、温かな大晦日でした。( ↑ 我が家のベランダから)
今年もお世話になりました。
来年もよろしくお願いします。
ボク的には、6月に帯状疱疹で1週間ダウンをしましたが、
それ以外は健康でした。
マア、中期高齢者なりに充実の一年だった思います。(笑い
昔話です。
*50年前、伊豆の田舎から上京。本当に世間知らずの大学生でした。
カール・ロジャーズのカウンセリングに出遭い、彼の「人間論」にふれました。
カウンセリングの学びを通して、
(きっと世界は平和になっていく)(人類は幸せになっていく)と思ったものでした。
*1999年大晦日~2000年正月。
イタリア旅行でローマに滞在していました。
ローマ駅近くのホテル。近くの中華街では一晩中爆竹の音が響いていました。
メイン道路・公園は、大勢のローマ市民・観光客でごった返していました。
花火も上がっていました。
一晩中、ローマ市内を歩き回り、明け方ホテルに戻りました。
部屋のテレビは、各国・各都市のの2000年の正月の様子を流しています。
(2000年の正月)。
ボクは、世界情勢の現実を忘れ、時代の裏付けも・歴史の裏付けもなく、
ただただ素朴に、「世界の平和」の実現を願っていました。
単なるセンタメンタな旅行者だったようです。
2017年。
アメリカではトランプ大統領が誕生します。
ヨーロッパでも、大事な選挙の年です。
激動の政界情勢。
我が日本国では、安倍政権の横暴が目にあまります。
世界の転機・激動の政界が予感がされます。
このまま、
モノ・カネ・経済至上で、奈落に落ちて行くか…
新たの視点を立て、新しいリーダーのもとで(苦闘の道)へ前進するか…
ボクは、来年の一文字を「覚」と決めました。
今年もおしつまりました。
一年間、当ブログにお立ち寄り下さりありがとうございます。
午後、マイ・江戸川道場(江戸川河川敷)に出かけました。
午前中は、野球少年達の声も聞こえていたようですが、
さすがに、年の暮れ。
野球・サッカー等の練習風景もありません。
北風が強かったので、犬の散歩の方も見当たりません。
ボク独りの世界。
十方世界唯我独占…(笑)であります。
↓
ボクのお相手は、コガモ。
芝生の上でエサを探しています。
5メートル位なら、近寄っても大丈夫。
距離をキープしながら近寄ると、お尻を振りながら先へ先へと急ぎます。
↓
少し意地悪をします。
コガモに向かってダッシュ!
来春まで、コガモに遊んでもらえます。(笑)
↓
昨年11月から、
毎月、第一金曜日(午後5時30分~7時30分)、
文京区本郷3-30-9 『願海庵』様で、
「やさしい仏教塾」のお手伝いをさせてもらっています。
内容は、声明(『正信偈』『念仏・和讃』他)と楽談タイムです。
少しずつ参加者も増えて、来年が楽しみであります。
庵主の佐藤唯然様から『願海庵たより』が届きました。
↓ 『願海庵たより』表紙
↓ 初めての報恩講
↓ あとがき
『願海庵仏教塾』は、以下の通りです。
◆やさしい声明 開催日:毎月 第一金曜日
◆『歎異抄』を音読しましょう。 開催日:毎月 第二土曜日
◆『写経』を始めませんか 開催日:毎月 第一土曜日
*どなたでも参加出来ます。
*ご自身の宗派や信仰の有無は問いません。
*初心者ばかりの、楽しい出会い、かたりあいの集まりです。
連絡先
『願海庵』文京区本郷 3-30-9
佐藤庵主さんの携帯 090-1450ー3595
(仏事のご相談もどうぞ!)
葛飾中央図書館で谷川俊太郎の詩集を借りてきました。
谷川俊太郎
『すこやかに おだやかに しなやかに』
佼成出版社
平成18年1月30日 初版第一刷発行
平成19年2月25日 初版第七刷発行
これまでも、ブログや仲間内の座談で何度か語っていることですが、
*「心身」か?「身心」か?
*「心・技・体」か? 「体・技・心」か?
マア、(漢字の並び方の違い)位にしか感じていないお方が多いように思います。
ボクは、永年、「心が先?身が先?」「心が先?体が先?」ということに拘ってきました。
仏典を開きますと、ほとんど「身心」と示されています。
そうです。
「身を先」にするのが、人間学・人間道として正しい理解だと確信しています。
因みに、文科省のホームページで、
「心身」と「身心」を検索してみますと、
「心身」に関連する項目が圧倒的です。
ですから、ボクは、現職の頃から文科省の指導には「???」でした。(笑)
谷川さんの詩集からです。
からだはいれもの
からだはいれもの こころのいれもの
いつかこわれて土にかえる
死ねばからだは役目を終える
夏のセミのぬけがらのように
からだはこころを守っている
こころはからだをいつくしむ
摘んだ花はすぐしおれる
摘まずに見つめる花は長生き
からだがほしいと思うものと
こころがなりたいと願うもの
ふたつはときにぶつかり合う
火と水のように
ボクは、仲間内の座談では、「心は身に乗っかっている」と説明しています。
道元さんには、『正法眼蔵・身心学道』の巻がありますが、
教育には、次の三通りが考えられます。
*心の学道(教育)
*身の学道(教育)
*身心の学道(教育)
最近は、(心の教育)が叫ばれますが、
(身の教育)(身心の教育)の充実が緊急の課題だと考えています。
本日午前、定例のテニス・スクールに出かけました。
マイラケットは、バボラーのピュアードライブ。
随分、使い込みましたので、新しいラケットの購入時期です。
知り合いのテニスショップで、
来年発売になるというピュアーストライク(フェイス面積100inch)を借用。
試打していました。
スイートスポットでの打球は、球足も速くて快適ですが、
少し角張っている感じが馴染めませんでした。
テニスショップのスタフは、
プリンスの新モデルを勧めてくれましたが、これまで一度もプリンスは使ったことがありません。
新年になりましたら、どれか考えようと思います。
先程、毎週火曜日夜に開催の、
『歎異抄』うたと語り合いから帰宅しました。
今晩の参加者は、5名(男性)でした。
今晩の学習内容は、
*『正信偈』読誦
*『歎異抄・11章』原文&現代語訳の音読
*語り合い
皆さん、聞法熱心なお方なので、
語り合いの内容・話題も活発でした。
年も変わりますので、
気分も一新。
『大無量寿経』の読誦に取り組むことになりました。
『教行信証』の教巻には、
「それ真実の教を顕さば、即ち『大無量壽経』是なり」とあります。
先ずは、『大無量寿経』の読誦は、外せないでしょう。
関東では、僧侶の方も『阿弥陀経』は読むが、『大無量壽経』は読まないと聞きます。
これは、イケませんよね。(笑)
カウンセリング研究会【くりのみ】学習会のご案内です。
来年、1月~5月迄の学習会の予定が決まりました。
併せて、同人として参加している、
*『歎異抄』うたと語り合い
*《願海庵》やさしい仏教塾
のご案内を、【くりのみ会】ホームページに更新しました。
どなたも、いつからでも参加出来る楽しいサンガです。
ぜひ、お出かけください。
学習会のご案内は、コチラからどうぞ!
↓
http://www.ab.cyberhome.ne.jp/~kurinomi/calendar/calendar.htm
午後、葛飾区中央図書館に出かけました。
この図書館、数年前からから使わせていただいています。
ここだけの話ですが(笑)、大晦日も元日も開館しています。
公立図書館で、年末年始を休まないで開館しているところは、
他にはないでしょう。(ボクの独断ですが…)
もちろん、施設も蔵書もサービスも宜しいですよ。
今日は、毎田周一師の『君 気持ちを大きく持とう』長風舎刊を借りてきました。
実は、ボクは30歳の頃、『毎田周一全集』を購入しているのですね。
最近、湯島の中山書店から文庫本も出版されていますが、
東京の大手の出版社で扱っていないので、毎田周一師のこともその著作も知っているお方は少ないように思います。
『君 気持ちを大きくもとう』は、元読売新聞記者の徳永文一氏の編集による一冊です。
ぜひ手にとって読んでください。
本書からの引文です。
念 仏
「何もすることはない
一つもせねばならぬことはない
つまりそのままでよい
好きなことをやればよい」
こう事実が教えます
事実が喚んでいます
そしてこの世の事実のほかに
何が真実を教えるでしょう
これが
絶対の教えです
そして
絶対解放の事実です
その事実の声が聞こえると
そこに私たちに唯一つの声がでてきます
「有り難う」と―
これが念仏です
今晩、新小岩の専福寺様で、無住住忌が営まれました。
無住号さんこと、星野清藏師。
明治21年新潟県長岡生まれ。
大谷大学卒後、藤沢中学校・東京千代田女専にて教鞭をとる。
昭和5年出家。
昭和7年、香牙精舎道場・東京求道会専門道場を開いて有縁の人々を化導する。
その後全国を行脚。
良寛禅師を讃仰し、50歳を過ぎてから自然の美に驚き、筆をとり独特の画境を開陳する。
群馬県円福寺の住職になりし頃より、『教行信証』『正法眼蔵』等を講じる。
無住々散人と号す。
昭和37年12月30日。藤沢の寓居にて逝く。享年73歳。
星野清藏師の言葉。
坐ったまま井戸を掘るということは、自分が今ここにこうして生活している、
その上にそのまま、打ち任せて行く姿、
それがまた一念帰命ということです。
「私は、一念帰命していますよ」というてるようなことじゃなく、
もう、有とも無とも言わんでも、打ち任せて行く、
広大無辺の力の前に跪いて時々刻々に跪いて行く姿が、
「尽十方無礙光如来に帰命する」と、こういうんですね。
「阿弥陀仏に南無し奉る」ということなんです。
そのほかに、なにものもあり得ないのです。