先日、ふらりと区立の図書館に立ち寄った。
随筆・エッセイのコーナーで『男のリズム』という一冊が目に飛び込んだ。著者は、池波正太郎。1995年7月の発行であるので、ちょうど10年前のものである。
池波ファンは世に大勢いるので、そのようなお歴々からみると、今頃になって、池波の著作を手にして読んでいる私などは、「時代遅れの輩」ということになるのだろうが、それはそれで、全くその通り。
マア、読書などは、自分流が一番なのだから。
『男のリズム』。いい題名に釣られて、酷暑の夏の夜、ベッドで楽しく読み進めている。
本書から、【落穂拾い】二つ。
一つ。 「家族」を読んで触発され、tsutayaに足を運んで、フランシス・フォード・コッポラ監督の《ゴッドファーザー》のDVDを見ています。(これは報告)
一つ。 次の文章を【落穂拾い】しました。
私の師匠・長谷川伸は、
生前、よく私に、 「君。もうすぐにぼくはあの世へ行っちまうんだよ」 と、いわれた。
これは、御自分が生きている間に、もっと聞きたいことはないのか、と、いうことなのだ。
そこで私も、この先達のおどろくべき体験から発する言葉を聞きとり、ノートにとったものだが、かえり見て、まだま
だ喰いつき方が不足だったとおもう。
いま、師の聞書ノートをひらいて見ても、私は、ときに勇気づけられ、ときに仕事のスランプを脱することがある。
このノートには、別に、戯曲や小説の作法とか、批評とかいうものはつない。
たとえば、 「人間の肉体の機能は、自分の現象に対して敏感すぎるために、かえって、いろいろな錯覚におちて
いることがあるようだ。それも無用のね…」 などという師の言葉が記してある。
こうした言葉が、そのときの師と私の媒介となり、さまざまなイメージがわいてきて、私に力をあたえてくれるのであ
る。
私も、師匠の五十嵐正美先生の言葉を聞き書きしたノートを4冊大事にしている。 もっともっとノートをしておけばよかったとおもうが、自分の中では一番大事な重しのような役割をしている。
若い先生方が、教育相談の研修を受けているが、理論や理屈を覚える愚かさに気づいて、自分の心にストンと落ちるような唯一の言葉との出会いをしてくれることを熱望したい。