不安の種とは

2006年12月05日 | diary
                   
            



眼科に出掛けた母が、いつもより帰宅が遅いので月曜だから混んでいるのかしら? 
と思っている矢先に、母がやっと帰ってきた。
「良いサンダルを買ってきたの」と、ご機嫌。
だから、水を差す気は無いけれど、また母の病気(笑)

どうやら、歳を重ねるごとにいろいろな事に不安が増すらしい。
だから、老人の不安を煽って悪質な商法が横行をするのもうなずける。

母の不安症や強迫性障害は、母の若い頃からあった。
姉とわたしは、それが原因で過干渉になった母を、上手く切り抜けてきたけれど。
わたし達に干渉できなくなってからは、それが「物」に向かった。

何しろ、今回のサンダルにしたって、気に入った物は買い込まないと不安らしい。
先日、姪が買ってきてくれたサンダルを気に入って、そして新たにもう1足買って来てもらった。
そして、今日は2足。
蛸じゃないんだからね(笑)
玄関を見ると、隅に1足、履いているのが2足。
母は寂聴さんと同い年。
そして同じように元気。
しかし、抱いている不安は、わたしには分からない。

年齢を重ねて失っていく部分を、「物」で補おうとするのだろうか。
わたしには、老人の深層心理は分からない。

父もそうだ。
御茶を大量に買い込んで、それがどうやら、不味かったらしい。
わたしがスーパーで買ったお茶をご馳走すると、いたく気に入ったようで、母に買いに行くように言っている。
母をスーパーに連れて行くと、母はそこに並んでいる御茶を全部かごに入れた。
「香りがなくなるから、また買いに来たら」と言っても受け付けない。
「無くなったら困るから…」

そんな感じで両親の住むエリアは、物で溢れている。

そして欲しい物は、手に入れないと不安で仕方が無い様子。

性格は遺伝すると言う。
今、そんな両親の姿を見ながら、「ふぅ~」とわたしは溜め息をついているけれど、不安の種はわたしの中にいつも育っている。

自分はそうならないと断言出来ないところに、既に種はあるのだ。


コメント (4)
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