アンコールワット

2008年07月19日 | おでかけ
                

関東地方は、梅雨が明けたのだろうか。
今年は例年より、雨が少なく連日のように暑さが続いている。

そんな暑さの中、カンボジアのアンコールワットへ行ってきました。
行く前は、周囲の人たちから死にそうに暑いらしいなどと脅されたけれど…

舗装道路やエアコンの放射熱など、熱の逃げ場の無い暑さが、もろに体を刺す日本のヒートアイランド。
木陰に入れば、涼しくてホッとするカンボジアより、そんな日本の方が暑い。


しかし、暑さの中を歩き続けたり、傾斜角の大きい階段を上ったり下ったりと、1年分の汗を大地に落とした。

おまけに、事前にヘアマニキュアをしていったのが運のつき。
汗と共にマニキュアのカラーは流れ、帽子は染まるし、Tシャツには点々と茶色い染みが。
ああ、情けない。トホホ・・・

アジアへの旅は、今回が初めて。
夫は友人達とタイへも出かけたけれど、私は赤道が近い故の酷暑とエスニック系の食べ物が苦手なので、誘われてもパス。
しかし、今回は世界遺産のアンコール遺跡巡りというので、ぎりぎりまで迷っていた。

私は体力が無く、その上暑いと血管が開き、頭痛が始まり気も失いそうになるのだ。

とはいえ、滅び行く文明や世界遺産には、やはり惹かれた。
密林に埋もれていたアンコールワットやマヤ、インカなど、ジャングルの中に少しだけ頭を出していた建造物を飛行機から見つけたなどと、まるでインディ・ジョーンズの映画のようでわくわくしてしまう。

しかし、カンボジアの永年の酷い内戦のことはまだ鮮明に記憶に残っていて、複雑な想いはあったが。

バンコク経由でシェムリアップへ。
そこからアンコールの遺跡巡りが始まった。


          


     アンコールワットの南大門




遺跡群に入るのには、写真入のチケットを作ってもらう。
3日券で40USドル、それを遺跡の入り口で毎回提示をする。




アンコールワットのクメール建築の荘厳さと共に、壁のレリーフも見事。

                  アンコールワットを作った王様
                

 アプサラ





三島由紀夫の戯曲の題材になった「癩王のテラス」
あまり人が訪れないのか、迷路のような壁面に彫られた閻魔さまの顔には蜘蛛の巣が張っていた。






     タ・プローム


王が母親の冥福を祈って建てた寺院。
これぞアンコールというような景観。
ガジュマルに覆われかつて、密林の中に埋もれていた遺跡の様子を現している。





             


     アンコール・トム




                   



     東メボン





     バンテアイ・スレイ

かつて、フランスの作家アンドレ・マルローが国外へ運び出そうとして逮捕された、美しい女神像たちを沢山見ることができる。
しかし、どこの遺跡でも首が無かったり、壁面の一部が剥ぎ取られている像の多いことに驚いた。
ほとんどが盗まれて、国外などに運ばれたらしい。





                   



大きな遺跡では、地雷で足を失った人たちが音楽を奏でている。






       バコン









    プノンパケン山からみる夕日




    カンボジアの大地



     小学校


途中でトイレを小学校で借りた。
小学校から高校まで無償とか、しかし、学校数が少ないので午前午後と2部製。
学校が無い時には、遺跡で観光客にお土産を売って生活を助けているのだ。



アンコールワットには、日本人の落書きが、未だに残っている。
1600年代に父親が加藤清正の家臣だったという森本右近太夫が、父の菩提を弔う為にアンコールワットを祇園精舎だと思い込み、なんと落書きまで残した。





カンボジア料理は、気にしていた香草も少なく、しかし生春巻きに入っていた香草は家のドクダミの強い香りがした。
餃子風あり焼きそば風あり、豚肉や近くの淡水湖で取れるという雷魚や草魚のから揚げの中華料理に近いものだった。
そしてココナッツミルクのカレーやタイ風のお鍋料理もあり、味付けは甘い。
カンボジアはカボチャの故郷。
パンプキンプリンが、唯一のスウィーツだった。


現地ガイドさんに一般的な食べ物事情を伺うと、犬や猿も食すらしい。
犬の中で、一番美味しいのが黒い犬だとか。






土地のマーケットに行けば、冷蔵施設が無い中で肉や魚が売られ、その匂いには参ったけれど、戦後の日本の姿ってこんな感じではなかったかと髣髴とさせた。




                           



アンコールにはまだ整備されていない遺跡も含めて、数え切れないほどの遺跡が未だに、密林の中に残されていると言う。

日本のODAの努力で、道路や橋など様々な生活に必要なライフラインが建設されている。
あと10年も経てば、大分様子も違ってくると思うが、まだ復興から立ち上がるには時間が必要にみえた。

今回、感心したことは、現地ガイドさんの日本語の上手さだった。
それを褒めると、日本語は1年間しか学んでいないとか。
現地に山本学校と言う学校があり、そこで1年学び観光関係の仕事に皆つくらしい。
それにしても1年間で日本語が上達するだなんて、是非その学びの秘訣を知りたいものだ。


10数か所の沢山の遺跡を巡り、写真を沢山撮ったのは良いけれど、どこがどこやら分からなくなった。
遺跡って、みんな似ているんですもの~~。
         イイカゲン!


同行は夫の友人達そして、私夫婦を含めて総勢6名。
女性は私のみ。
しかし皆、昔から知っている人たち。
電話では話すことはあっても、何年ぶりの再会の印象は「わぁ~老けた!」
多分、あちらも私を見て同じ事を思っているはず(笑)
こればかりは、お互い様。

トラブルも無く充実した旅行だった。
初めて経験したタイ式マッサージもなかなかgood。
コメント (3)
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