No Thank Tou “Donna Lee”

2007年10月10日 | jazz
6月11日から始めたC・パーカーの“Donna Lee”が、やっと今日パス。
4ヶ月とは、随分長くかかった。(そんなに長く弾いていたのだと、今更のように驚き)
結局、先生が私に課した速度200で弾きこなせなかった。
家でリラックスした時に、たまに200で弾けるけれど。
せいぜい180~190が限度。
どうやらオバサンに、ドナリーは無謀だった模様(笑)
それ以上だと指がもつれて…(爆)

とはいえ、この曲のおかげで指の動きが良くなったような気がする。
しかし、録音に入るまでに2回弾かせていただいたら、弾けば弾くほど弾けない土壷にずぶずぶとはまり込む。
「こういう早弾きの曲は、そういうものだから思い切って弾いちゃいましょう」と。
確かに、本番ではすんなり弾けた。
「○○さんは本番に強いから、来年のコンサートにはこれを弾いたら」などと、先生に言われ。
冗談とは思いながらも、もうドナリーはNO THANK YOU!!です。

ともかく、自分にお疲れ様。
今回指摘されたこれからの、イエ永久の私の課題は、またもリズムとノリ。
弾くのに必死でノリきれない(笑)
普段の私はノリノリなのにネ。


今の課題曲は、D・エリントンが亡くなった母親のために作曲したという“In A Sentimental Mood ”
巷でも、時々耳にする素敵な曲だ。
ジャズって色々なエピソードが曲になっているものが多い。
そして、マイルスの“FOUR”
それこそ4beatで楽しくご機嫌に、アルコールなんぞ頂きながら、秋の夜長に弾きこなしたい。

あとは“Softly”と“いつか王子様が”が目下の私の曲の課題。
バッキングや、リズムをボサノバやジャズワルツに変えたり、拍子なども変化させたりと。
まったくジャズは生き物だと、最近感じる。
コンスタントに毎日弾いていないと、そんなモードが消えてしまいそう。
1回消えたモードって中々戻ってこないのだ。

そして、私が感じたクラシックとジャズのピアノの違いは
ピアノが弾ける人が、イコールジャズが上手く弾けるとは決して限らない事。
それがリズムとノリ。
そして、基本的にクラシックはソロ、ジャズはデュオやトリオなどとのアンサンブルだと思う。
だから、アドリブする時は、常に他の楽器の事を意識してと言われる。
私は、いつも音を詰め込みすぎらしい。
空間を作ってシンプルにと、毎回のように言われるけれど、
ついついフレーズを詰め込みすぎて、重量オーバーでやり直し。

どんな道も、近道は無いらしい。
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騒音障害

2007年10月08日 | diary
私は、異常に驚きやすい。
そして、将来の私の死因は、驚いた事によるショック死だと思っている。

昔デッサンをしている時に、「○さん、そこのところが…」などと、急に後ろから言われると、驚いて「キャー!」
その度に顰蹙をかっていた(笑)
しかし、驚いてしまうのは、何ともし難いのだ。
今だって夫が帰宅して、急にドアを開けると、私はまたも驚いて「キャァ!」

多分、私は何事にも集中しすぎるのだと思う。
ある種のモードに入ると、集中して周りが見えなくなってしまう。

私の住む市は、夕方になれば近くの(目の前)小学校に設置された防災無線のスピーカーから音楽が流れる。
その度に、またまた驚いて「きゃぁ!」
毎日の事なのに、飽きもせず驚いてしまうのだ。

以前、庭で陶芸の釉薬をかき回していると、防災無線を使った迷い人のお知らせの放送が急に入り
またも「キャァ!」
一緒にかき回していた友人も「キャァ!」
「な、何なの、何なのこの大きな音は?」
同じ市内に住んでいる友人の地域では、こんなに大きな放送は聞こえないという。

最近、騒音障害事件や訴訟が増えている。
音に対して皆が神経質になっているのだろう。
そして、私も。
我が家で聞こえる防災無線の放送は、あまりにも大きすぎるのだ。

市のHPに、市への要望を書き込めるようになっているので、防災無線の放送をもう少し小さくして欲しいと書き込んでみた。
早速、直に電話が入った。

それは、、、、防災上、規定の範囲内で放送がはっきり聴こえなければならないので、どうかご理解下さいという説明だった。
やっと眠った赤ちゃんが放送で起きてしまったとか、体調が悪いのでもう少し小さな音にしてもらえないか…などと、毎日のように同じようなクレームを頂くのですが、と。

とはいえ、一日に二回も放送があり、その度に驚かされてしまうのは、私にとって非常に精神生活上よろしくない!

そう思っていた矢先
「**さんから、RICOさんと最近会わないけれど元気なの?と聞かれたの。だから、彼女の家の前を通ったらピアノの音が聞こえたから、多分元気だと思うわよと答えておいたわよ」と。

もしかしたら、私の超ド下手なピアノも、御近所の方々にとっては騒音障害かも

ゾー。

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クロヅマヒョウモン

2007年10月06日 | diary
クロヅマヒョウモンみっけ!

というのは、先日新聞の埼玉版に温暖化のせいで、近畿地方が北限だったクロヅマヒョウモンが県内でも見られるようになった……
と、読者が写真入で投稿をしていた。

クロヅマヒョウモンとは蝶のこと。

よく見れば、我が家の庭で毎日のようにみかける蝶だった。
今まで関東地方にはいなかった蝶だと知れば、私も早速写真に撮ってみようかと。

しかし、蝶やトンボの動きは素早い。
樫の葉の上で見つけ、急いで庭に出ると
あら!もうどこかへ
それが、今日一日で雄と雌を庭で見つけた。

だから、どうという訳ではないけれど……。


結構、昆虫って好きです。
実は「ファーブル昆虫記8巻」が子供の頃の愛読書のひとつでした。





 〈雌〉  豹のような紋があり、黒い褄(つま)が翅にあるからクロヅマヒョウモン
      褄とは、着物の裾のこと

                      




 〈雄〉   逃げないうちに急いで撮ったら、あららちょっとピンボケ
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わたしの文章修行

2007年10月05日 | 小説
Tさんからメールが入った。

『最終便でとうとう原稿送ったわよ。今回はいろいろあって、出そうかどうか迷ったけれど
貴女に毎年コンスタントに出すべきと言われて、あれから頑張っちゃっいました。
今、再び読み返してみても、何て独りよがりな文章…と我ながら感心しています。
現在の、私自身の心境があらわれているのでしょう。今度は貴女にバトンタッチ!』

ヒェ~~です。
筆なんぞ、まるで進んでいません。
あと倍以上は、書かなければならないし。

Tさんと私は、かれこれ10年のおつきあい。
某カルチャーの、小説講座で知り合ったのだ。
当時の最初からのメンバーで最後まで残ったのが、結局Tさんと私だった。
そのカルチャーが無くなった後も、2人の中でもっと書きたいという想いが、いつしか再燃していた。
当時の講師だった文芸評論家のD先生に、無理な願いと知りつつ依頼すると
たった2人なのに引き受けてくださり、書いたものの講評を月1回いただき、今年で2年目に入っていた。
おまけに、月謝はいいよ…などと言われても、そういうわけにもいかず、ほんの気持ちのみで許していただいた。
「私たちは美人だしぃ」などと、Tさんと馬鹿を言いつつ
書き続けたい、続けなければという想いが、いつしか湧いていたのだった。

Tさんは、自分自身の生活を土台にした短編を書いている。
「私にとって書くことは、もって行き場の無い心を吐き出すこと」と、彼女は言う。
富山の北日本新聞主催、地方の文学賞では権威のある北日本文学賞で3次まで残った実績。
毎年、そこに応募するのがTさんののライフワークに。

私は女性心理をテーマに書いている。
それもある一線を越えてしまった、グロテスクな女をエンタメ系で。
だから、ストーリーを面白く、かつ興味深く書かなければいけないのに、どこかで表現の美しさや美文調を追って文学をしてしまう。
文学をしてはいけないのです。
毎回注意されるのは、いつも同じ。
そして、グロテスクな女を描いても、どこかグロテスクさがユルく他人事で、最後にイイ人を感じさせてしまうのが、私の悪いところだとも。
私自身がいい人だから(笑)なのね~~。

人間の不幸や苦しみ、悲惨さを含んだ破滅や破壊行為が、露骨であればあるほど私たちを発情させるのは分かっているのだけれど。
ああ~。難しい。
これも応募する予定ではいるけれど。
それに家族が読んだら、腰が抜ける内容かも。
読ませないし、誰も読みたがらない(笑)
おまけに一人称で書くので、妄想を抱きつつ、書くモードに入るとたまに自分との境界がぼやけてしまいそうな瞬間がある。   危ない、危ない!
一線を超えた嫌なグロテスクな女は、案外わたしかも。



そして、私が何かを新しく始める時は、大抵自分の上に何事かが起きた時だった。
仕事を辞めた時や、家族や人間関係の変化など、それらは決して楽しい時ではなかった。

だから、書くことも、子供の頃は嫌いだったピアノを、再び弾く事さえも
今にしてみれば、その頃息苦しくなっていた自分の心を、別の窓から解き放つ手段だったのかもしれない。   ふぅ~~。

                     

   いつも講評をしていただく、ほとんどお客さまのいない喫茶店からの眺め 
   遠くに首都高の終わりが見えます
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