・・・時間潰しにもと1冊手に取って ハンドバッグから100円銀貨一つ出すと、 「もう50円頂きます」 「あら高いのね」 さばっと言って微笑むと 売子は笑い出した。 黒に細かな地紋のカクテルスーツ、 バッグも一色のアンサンブルに真珠の ネックレスとすらりとした背を滑るストールの 栗鼠のグレイが際立つ装いに、 彫りの深い顔立ちに鼻筋が通ったせいか、 やや冷たい感じの奥さんが 150円を高いわねと言ったので 売子はすっかり嬉しくなってしまったようだった。 【吉屋信子著 「女の年輪」】 |
雨こそ降っていませんが、今日も重い空で明けました。
そう言えば昨日の雨。一体、いつ上がったのでしょう・・?
確か夕方、雨戸を閉める時には上がっていたようでしたけれど。
今年の冬は寒いものですから、早いうちに雨戸を閉め、
室内に閉じこもりますから外の様子が全然分かりません。
とは言え、お天気はゆっくり、ゆっくり・・回復しています。
【画像加工しています】
さて、つい昨日のような気もしますが、
8日振りなのですね。
『カフェ「薔薇の詩(ポエム)」』、
開店と致しましょう。
昨日のバレンタインデーの
チョコが残っていますから。
こんな時は薔薇のカップで。
尤も今年は昨年までと、
その様相は少々、違っています。
と言いますのも・・。
私が尊敬してやまない
作家に曽野綾子がいます。
(ただ、小説は苦手)
でも、エッセーは大好き。
考え方と言いますか、その信条には
いつも共感させられる事、大なのです。
そんな女史のちょっと前のエッセーに
「大人の精神的幼児化は重症」
と題したものがあります。
一言で言えば、最近の風潮として過剰とも言える 「自分を好きになる」、
「自分へのご褒美」 云々(うんぬん)に苦言を呈(てい)したもの。
【曽野綾子著 「透明な歳月の光」】
ガ~~~ン!! 自分に甘い・・そう私。その通り。
「自分へのご褒美」・・そんな風に勝手に称しては、それこそ何度も。
どれもこれも思い当たる事ばかりです。
そんな私ですから、バレンタインデーには、これ幸いとばかり、
“ゴディバ” のチョコを当然の如く、ここ何年か求めて来たものです。
(昨年の記事は、【こちら】 )
ただ、今年ばかりは自分の中にちょっと異変。
それでも売り場に足は向かったのですが・・。
今日の引用文ではありませんが、「高い!」
世間では円高、円高と騒いでいますのに、昨年と全く同じ値段。
少なく共、ブログを始めた6年間は。
値段は一緒だけれど量が増えている? そんな風には見えませんでしたけれど。
それにしても円高還元は、どこに行っているのでしょう。
上がる時にはすぐ上がるのに、下がるのは一向に下がりません。
回れ右をして国産のチョコに変更しました。
ゴディバのチョコは、ちょっと他にはない変わった味ですが、
日本のチョコだって美味しさでは負けていませんものね。
いいえ、それ以上かも。大切なものを見失う処でした。
最後に。今日の引用文の時代背景は昭和36年(1961年)頃。
それにしてもパンフレット(映画など)は、今も高いですよね。
「あら高いわね」 さばっと言って、それが絵になる人って素敵です。