【いくつになってもアン気分】

 大好きなアンのように瑞々しい感性を持ち、心豊かな毎日を送れたら・・。
そんな願いを込めて日々の暮らしを綴ります。

それぞれの樹

2012-02-16 17:35:18 | 路傍の花~道草




  
【久し振りに 「曲がり角の浪漫」 を感じて】









・・・見た処、死と悲しみのような
葉のない木が立っていた。
けれどもそれはただ見た処だけだった。
命の血は木々の心の中にある。
やがて、青い葉とピンクの花の花嫁姿で、
自分たちを装うだろう。
そして1番沢山に吹き溜りが重なっている所に
横たわっている 小金 は、
やがて朝のラッパを吹くだろう。
             【「エミリーの求めるもの」 第16章】
【注・「小金」 植物の名前】


   






   再び寒い朝の到来です。昨日より2度ばかり低い朝。
  おまけに3日連続、真珠色の空での1日の幕開けとなりました。

   ただ、そんな中にもおずおずとながら、
  今日は太陽の姿も見え隠れしています。

   そんな空ですから辺りの景色も、
  いかにも冬枯れ・・といった様相です。
  








【やがてピンクの花嫁姿に・・夢膨らむ蕾】


   





   さて、冒頭の写真。こちらの桜(並木)は、
  これまでにも何度か登場していますね。

   駅からの帰り道、ここまで来るとほっとする場所。
  我家まで、“後、もう少し・・” の場所ですから。

   春は勿論、桜。
  すぐ傍の、リラ版 「輝く湖水」 の周辺には菜の花の群生も見る事が。

   秋は紅葉と黄金の漣(さざなみ)、
  所謂(いわゆる)田圃と柿、日本の原風景が味わえます。

   そして暑い夏。自然の天幕と化した葉と、揺れる木洩れ日。
  そこを吹き抜ける一遍の涼風に、ほっと一息吐(つ)いた事も。
  では、冬は・・? そそくさと帰るだけ・・?

   いいえ、そんな事はありません。並木の裸木の美しさ。
  葉がないからこその枝振りの見事さを際立たせていて、
  見ていて飽きません。

   色彩がない、モノトーンの美もありますね。
  飾り立てない本質の美。
  本当の木を味わうなら、冬と言いますものね。

   ところで、文芸評論家、小林秀雄の喜代美夫人にも、
  “ここまで来ると後半分・・” という場所、
  いいえ、木があったそうですね。

   それは小学校の登下校の途中にある、
  大きな1本の栗の木。

   信州と言いますから、
  そこは人里離れた場所だったに違いありません。

   子供の足で “後半分・・”、
  この木にどれだけ勇気を貰った事でしょう。
  (エッセー 「栗の樹」 より)

   そう言えば、東日本大震災でも大津波にも負けなかった
  松の木がありましたね。

   1本の木にまつわる思い出と癒やし・・
  誰にもある事かも知れませんね。きっと。