【いくつになってもアン気分】

 大好きなアンのように瑞々しい感性を持ち、心豊かな毎日を送れたら・・。
そんな願いを込めて日々の暮らしを綴ります。

穂先に思い乗せて

2012-02-19 17:15:15 | 心の宝石箱













朝、食堂でスウプを一さじ
すっと吸ってお母さまが、
「あ」 とかすかな叫び声をおげになった。
「髪の毛?」
スウプに何か、
嫌なものでも入っていたのかしら、と思った。
「いいえ」
お母さまは何事も無かったかのように、
またひらりと一匙、スウプをお口に流し込み、
澄ましてお顔を横に向け、お勝手の窓の、
満開の山桜に視線を送り、
そうしてお顔を向けたまま・・・・・
                   【太宰治著 「斜陽」】




   今朝は昨日より2度余り、
  低い気温となりました。

   今季1番の寒さに
  匹敵するような。

   そしてその空には
  何もありません。

   いいえ、東南の空には、
  来る22日が新月の、
  細~い 「有明の月」 が・・。

   満月もいいけれど、
  繊細な三日月も大好きです。

   こんな寒い朝でしたが、今日は日射しがたっぷり。
  その朝の日溜りの中で、ゆっくり時間をかけて、
  生姜とシナモンの風味をを効かせた紅茶を頂くのが大好き。
  至福の時間です。













   さて、今に始まった事では
  ありませんが、特に最近、
  文字を書かなくなった事に
  気付きます。

   今や文字は打つ時代。
  これも時代の流れ・・
  と言ってしまえばそれまで
  ですが、それではあまりにも
  寂しいですね。

   とりわけ漢字の手書きは、
  視覚、触角、運動感覚などが
  複合的な形で脳を活性化
  させると言います。

   読めるけれど、書けない
  漢字って結構、ありますものね。

   最近、「薔薇」 は書ける
  ようになった私ですが、
  これだって見ているだけでは
  絶対に覚えられませんもの。
  書いて練習しなければ。

   ともあれ、漢字に限らず、
  文字を書くという行為は、
  人格の涵養にも
  (かんよう:知識や見識を身に付ける事)
  大きく寄与するようです。

   そう言えば、「文字は人なり」 という諺もありますね。
  これもやがて死語となってしまうのでしょうか・・。
  でも、人が見えなくなってしまうのは困りますね。

   そうそう、今日の写真。
  こちらにもコメント頂いている、okusama*:..。o○ にも刺激されて、
  ちょっと文字を書いてみました。愛用の筆ペンで。

   この筆ペンを使う事に、心のどこかで、
  なぜか引け目を感じていた私。

   それは今も小さな違和感としてありますけれど。
  本格的な毛筆ではない事に。

   ところで、子供の頃から便箋を集めるのが趣味で、
  今も、お店に行くとつい覗いてしまいます。

   手紙など書きませんのに。
  折角ですから冬の花、【シクラメンの便箋】 を使いましょう。

   写したのは、太宰治著 「斜陽」 の有名な書き出しの部分。
  それにしても何という優雅な言葉遣いなのでしょう。

   尤も、“お” の連発が多過ぎるというきらいは、ありますね。
  やはりと言いますか、志賀直哉などには不評だったようです。







  








   





   こちらは昨日の黄昏の空です。移り目の刹那に出会えた時。
  外の風は冷たいけれど、随分、日が長くなりました。
  春は、もうすぐそこですね。