朝、食堂でスウプを一匙、 すっと吸ってお母さまが、 「あ」 と幽かな叫び声をお挙げになった。 「髪の毛?」 スウプに何か、 嫌なものでも入っていたのかしら、と思った。 「いいえ」 お母さまは何事も無かったかのように、 またひらりと一匙、スウプをお口に流し込み、 澄ましてお顔を横に向け、お勝手の窓の、 満開の山桜に視線を送り、 そうしてお顔を向けたまま・・・・・ 【太宰治著 「斜陽」】 |
今朝は昨日より2度余り、
低い気温となりました。
今季1番の寒さに
匹敵するような。
そしてその空には
何もありません。
いいえ、東南の空には、
来る22日が新月の、
細~い 「有明の月」 が・・。
満月もいいけれど、
繊細な三日月も大好きです。
こんな寒い朝でしたが、今日は日射しがたっぷり。
その朝の日溜りの中で、ゆっくり時間をかけて、
生姜とシナモンの風味をを効かせた紅茶を頂くのが大好き。
至福の時間です。
さて、今に始まった事では
ありませんが、特に最近、
文字を書かなくなった事に
気付きます。
今や文字は打つ時代。
これも時代の流れ・・
と言ってしまえばそれまで
ですが、それではあまりにも
寂しいですね。
とりわけ漢字の手書きは、
視覚、触角、運動感覚などが
複合的な形で脳を活性化
させると言います。
読めるけれど、書けない
漢字って結構、ありますものね。
最近、「薔薇」 は書ける
ようになった私ですが、
これだって見ているだけでは
絶対に覚えられませんもの。
書いて練習しなければ。
ともあれ、漢字に限らず、
文字を書くという行為は、
人格の涵養にも
(かんよう:知識や見識を身に付ける事)
大きく寄与するようです。
そう言えば、「文字は人なり」 という諺もありますね。
これもやがて死語となってしまうのでしょうか・・。
でも、人が見えなくなってしまうのは困りますね。
そうそう、今日の写真。
こちらにもコメント頂いている、okusama*:..。o○ にも刺激されて、
ちょっと文字を書いてみました。愛用の筆ペンで。
この筆ペンを使う事に、心のどこかで、
なぜか引け目を感じていた私。
それは今も小さな違和感としてありますけれど。
本格的な毛筆ではない事に。
ところで、子供の頃から便箋を集めるのが趣味で、
今も、お店に行くとつい覗いてしまいます。
手紙など書きませんのに。
折角ですから冬の花、【シクラメンの便箋】 を使いましょう。
写したのは、太宰治著 「斜陽」 の有名な書き出しの部分。
それにしても何という優雅な言葉遣いなのでしょう。
尤も、“お” の連発が多過ぎるというきらいは、ありますね。
やはりと言いますか、志賀直哉などには不評だったようです。
こちらは昨日の黄昏の空です。移り目の刹那に出会えた時。
外の風は冷たいけれど、随分、日が長くなりました。
春は、もうすぐそこですね。