


「18世紀の初め頃、僕の曽祖父は、 王党派で、カナダへ来た時にはこの 砂時計 だけしか持っていなかったんだよ―― それと、それから 古い銅のやかん とね。 はてな ―― そら、そこにあった。 また磨く物が増えたよ、ジェーン。 それから青と白の縞模様の 瀬戸物の鉢 もあるよ。 母がこの中でサラダを混ぜ合わせたものだ」 【「丘の家のジェーン」 18.】 |

昨日と違って今朝は、何もない空で明けました。
秋晴れです。週明けの朝は、とっても静か。
その静寂を破るかのように聞こえて来た1匹の虫の音(ね)。
「チ、チチッ、チ、チチッ・・・」 そう言えば・・。
毎夜の如く開かれていた、夜を徹しての盛大な宴が、
いつの間にか寂しくなっている事に気付きます。
虫の宴が始まるのも終わるのも、
ある日を境に突然というのではなく、
徐々に、少しずつ・・自然に人は慣らされて行く・・。
それは自然の移ろいであり、
自然現象ですから当然ですね。
でも、それらがもし意図的に行なわれたものだったとしたら・・。
由々しき問題ではないでしょうか。
例えば文科省では日本語から敬語を廃止する方向で動いているそうです。
それも少しずつ、少しずつ・・。
しかも、「敬語を使う人間は単に自分を飾りたいだけ・・」
~などと変な指導(誘導?)をしていると言いますから驚きます。
道理で最近、インタビューなどでも当の本人が、
「・・して下さって」と言っていても字幕には、
「・・してくれて」 と出ていますものね。
尤も、ある新聞社などでは既に皇室などに対しても
敬語使いをやめていますけれど。
堂々と宣言してやめるならまだしも
姑息な手段はやめて頂きたいものです。
今の民主党政権にも言えますけれど。
あら、あら・・。
虫の音からあらぬ方向に話が逸(そ)れてしまいました。
「想像の余地」 が多過ぎるのも困りものですね。



【籃胎(らんたい)漆器】
さて、遅ればせながら今日の写真。
九州は、久留米の伝統工芸品 「籃胎(らんたい)漆器」 です。
青竹に十数回、漆で塗り固め、更に朴炭、鹿角粉で研磨し、
普通の漆器には到底及ばない堅牢さと優雅さを誇っています。
この竹製の漆器は 【以前】 にもアップしていますが、
生憎、どちらの物か分かりません。
今日の籃胎漆器は飴色ですが、
以前の物はより赤い色をしています。
足付きのこちらの籠には、普段は果物などを入れていますが、
今日は、今年のハイビスカスのポプリを。
薄紫色は 「木槿(ムクゲ)」 の花びらです。
尤も、ハイビスカスと同じ 「葵(アオイ)科」 ですね。