火は薪にまつわって煙と共に、 身を撚るように募るかと思えば、 まだ黒い薪と薪の間に、静かな明るい 安息に満ちた火の宿りを見せた。 その宿りは何物かの住家のように、 金と朱の眩い小さな床が、薪の粗野な 垂木に区切られて森閑としていた。 沈鬱な暗い薪の上に、突然割れ目から 吹き上げる焔は、夜の平原の果てに上る 野火のように見える事もあった。 この 暖炉 の中に、幾多の広大な自然の 情景が眺められ、暖炉 の奥に絶えず 動いている影絵は、さながら政治的な 動乱の焔が天空に描く影絵の微細画だった。 【三島由紀夫著 「天人五衰」~『豊饒の海 Ⅳ』】 |
秋晴れが戻って来ました。
それにしても一雨ごとに寒くなる・・とは良く言ったものですね。
一気に秋も深まったようで、昨夜などはその寒かったこと!
早くも、ストーブの出番となりました。
さすがに火を点けても、すぐ消す羽目にはなりましたが。
もうそんな季節になったのかと感慨も覚え・・。
気が付けば10月も後、1週間なのですね。
若いと思っていた季節も、いつの間にか老いてしまって。
尤も、同じ事は人間にも言えますけれど。
さて、先日来から私は、
レース本来の目的とは違った
使用法に夢中です。
今日は、レースの 【付け襟】、
【肩掛けマント】 が様変わりです。
(1枚目、2枚目の写真)
本来は、開いた襟元を飾りながら
隠すためだったのですが、
使用頻度は、めっきり少なくて。
何しろ開いた襟元と言えば夏。
当然の事ながら暑い夏は、
襟元は出来るだけ風通しが良い方が・・。
背に腹は代えられません。
結局、箪笥の肥やしに。
でも、再び生き返りました。
黒のレースを纏(まと)った
ランプは、よりクラシカルに。
もう使わないネックレスも巻いてみました。
肩掛けマントは、何の変哲もないブリキの蝋燭立てに。
硝子で覆われていますから危険もありません。熱くもなりませんし。
右上の写真は、素顔の蝋燭立てです。
思えば・・レースの魅力は繊細、華麗、格調高さですものね。
おまけに透ける事に生命がある、レースですから、
こうした飾り方はある意味、理に適(かな)うものなのでしょう。
そうそう、今日の引用文は暖炉の焔の描写ですが、感嘆しきり。
その昔、三島由紀夫もノーベル賞候補に上がったそうですね。
日本語の持つ、これだけの美、微妙なニュアンスを
外国語に正確に訳せるのだろうかと。少々、余計な心配をしてしまいました。