声の仕事とスローライフ

ただ今、仕事と趣味との半スローライフ実践中。遠方の知人友人への近況報告と、忘れっぽい自分のためのWeb忘備録です。

OSAKA JAZZ FAMILY

2017-11-05 13:12:29 | 音楽
ことの発端は、どういう経緯だったのか忘れたが


関西にいた頃、

OSAKA JAZZ FAMILYという団体からの依頼で、

コンサートの MCをしていたことがあった。


今思えば、当時のゲストプレイヤーは、
その世界では名のある方々ばかり、

古谷充さん、辛島文雄さん、日野元彦さん、猪俣猛さん 、東原力哉さん…


“知らない”というのは、恐ろしいことだ。


当時の私は若く、無知であるがゆえに、

けっこう失敗もあった…。


LIVE後の打ち上げで、たまに“指導”されることもあった。

特に度々ご一緒した古谷充さんは面倒見がよかった。

氏から、言われたのが

「 品が良すぎる、メンバー紹介、崇めすぎ!
“さん”づけしなくていい、呼び捨てでOK」

と、

基本の「キ」から教えてくださった。💦


日野元彦さんとご一緒した時のことは忘れない。

たまたま、元彦さんのお誕生日だったらしく

打ち上げで、ケーキのサプライズプレゼントがあり

主催者とスタッフ全員で元彦さんを囲んで

「HAPPY BIRTHDAY “TOKO”ちゃん♪」

を歌った。


当時、元彦さんは三十代半ばだったか…

サプライズに喜びつつも、照れ臭そうな笑顔が今でも浮かんでくる。


その後も、

何度かJAZZ FAMILYの お仲間の結婚パーティーなどの司会をさせてもらったり、

主催者の知人関係のLIVEのMCをさせてもらい

その間に、多くの音楽を間近で聴かせてもらう機会があった。


私は、駆け出しのMCだったが、

耳を肥やすには充分すぎるほどの贅沢な環境を与えてもらった。

とても良い経験をさせてもらったと思っている。


その経験が

後年、担当していたラジオ情報番組の中の

『 ミュージックサイト』で役立った。


すぐそばで聴くと、音圧が身体に直接感じられ

プレイヤーの汗のほとばしり、息づかいが感じられる…緊張感も伝わってくる。


特にインプロビゼーションの後の呼吸の合わせ方がJAZZの醍醐味だ。


学生時代、ジョン・コルトレーンやマイルス・デイビス、ソニー・ロリンズの名前は知っていても、

実際に生で聞く機会もなく、

譜面の読み方だけを学校で習ってきた私のような人間には、すべてがカルチャーショックだった。


改めて、セッションの面白さ、その妙技を肌で感じ、スケールの重要性を認識した。

今でも思うが、

あんな経験は、後にも先にもあの時だけだ。


そのことを、ビルボード東京の夜景を観ながら思い出した。


しみずゆみ






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NANIWA EXP 40周年記念 LIVE

2017-11-05 09:58:30 | 音楽
11月2日のビルボード東京の2ndステージは、

見渡してみると、

ほとんどがグループか同性の友人連れ、もしくは夫婦連れ…?

女ひとりだと告げると、

受付の若い女性スタッフが、

気を利かせてくれたらしく、
比較的ステージに近いカウンター席を取ってくれた。


記憶の中にある大阪のバナナホールでのLIVEから
三十数年…長い時間が流れた。

開演前の30分、

ステージの後ろの夜景を見ながら、
ノンアルコールビールを飲みゆっくり過ごした。


2ステージのオープニングは

「Oriental Makin' Love」

2曲めは「Manhattan Express」


一気に“NANIWA サウンドの世界”に引き込まれた。


ビルボード東京というライブハウスの音響のせいなのか、

ベースとバスドラのシンクロした唸りのような音が、座っている席のテーブル板を共鳴させ、

まるでテーブル自体がバズーカ・スピーカーのような感じで、
振動がダイレクトに身体に伝わってきて五感を強く刺激してくる…

後半は特に、テーブルがよく鳴っていた。



オープニング後、

清水興氏が、40周年をみんなで祝ってくれと呼びかけ、
「乾杯!」の声でグラスを掲げた観客とステージとが1つになった。

それに続き、

「写真も録音も録画も何でもOK」

「だって、次、いつ演れるかわからないから…」

という清水興氏の言葉に

共感しながらも、込み上げてくる思いがあった。

( こっちだって、次はいつ聴けるかわからない )


聴衆のほとんどは50、60の中高年…
みんな同じ気持ちだったのではなかろうか…。


せっかく撮影許可が出たものの、

実際には、両隣りの男性客も、私とほぼ同じように終始身を乗り出して聴いていて

とてもスマホで録画する余裕はなく、

必死に、自分の眼と耳に焼き付けておこうとしているようだった。



ステージ左側から斜めに見下ろすと、青柳誠氏のキーボード、その奥に東原力哉氏のドラムセットが見える。

珍しいスケルトン、それにELDの電飾が施され、ライトの加減によって

赤、青、緑、紫など様々なイルミネーションを放つという、とんでもなく派手なセットだ。

ありがたいことにスケルトンのおかげで、裸足で踏む細かいキックの動きが、そのまま見える。

スティックの動きや、jazzyな曲の時のブラシワークも、よく見えた。



これは、あくまでも私の勝手な思い込みだが、

三十数年前に初めて聴いた時から、
NANIWAのサウンドは、当時流行っていたヒュージョンの中でも、

“硬派”な“職人気質”を感じさせた。

それでいて、
関西特有の人情味ある雰囲気を持つ…そんなバンドだと思っていた。

当時から、よくカシオペアと比較されていたが、
ドラマーのタイプが真逆のような気がする。

失礼ながら、
カシオペアの洗練された雰囲気に比べれば、
どちらかといえば野性的。💦

それは、ちょうどオートバイでいえば、

カシオペアが“HONDA”で、
NANIWA EXPは“KAWASAKI”…

大型バイクのエグゾーストノートの違いにも似ている…

そんな印象を、私は長い間持っていた。


ところが、今回は少し違った。

東原氏は、演奏中、スティックのチップの部分を途中で2回も折った。

相当、力が入っているようだった。

歳をとれば、体力的にも昔と同じようには身体が動かなくなってくるのは当然だが、その後体調は、どうなのだろう…。

少し心配になった。


それでも、今回のLIVEには、

昔と同じ5人のメンバーで演奏できることの“幸せ感”が溢れていた。


終盤の「Epilogue」は、

岩見和彦氏の哀愁をおびたガットギターの音色が、
私の心の琴線に触れ、

切ないメロディに…泣いた。


アンコールの「Meteor」は、

広大な宇宙空間と開演前のステージから見えた東京の夜景を思わせた。

聴衆の多くが、興奮冷めやらぬ表情で会場を後にしたのは、言うまでもない。


記念すべきLIVEは、
私にとっても記念すべき日になった。

元気でいれば、きっとまた次も聴ける…
明日から、また頑張って仕事しよう 。


“㊗️40周年”

そして

“ご盛会おめでとうございます” 🥂


しみずゆみ






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