1ヶ月以上前のことになるが、
女性の声で
「シミズさまに◯◯功労賞の内定のご連絡です」
という電話が某教育機関から突然かかってきた。
何のことだろうと思って訊き直すと、
『教育文化功労者』表彰だという…。
そう言えば、数年前に
『社会教育功労者表彰』というのを受けた事があった…
その時も、なぜ自分なのだろう…と、びっくりしたが、
「あのう…以前、すでに社会教育功労者というのを戴いておりますが…」
というと、
「はい、あれから5年以上たちまして、今も続けて御尽力いただいておりますので、今回は“教育文化功労者”です」
とのこと。
いいんだろうか…?
私が、なぜ?
という思いしかなかった。
内定だから、取り消される場合もあるだろうと思っていたら、しばらくして表彰式出席への依頼文書が届いた。
ありがたく受けることにして
今日、表彰式に出た。
受賞理由の活動歴を読むと
『児童文化センターのプラネタリウム番組の制作にあたり、平成5年から番組のナレーションや声優として活躍、現在も年6回の番組録音に毎回欠かさず参加するなど、児童文化センターの目玉であるプラネタリウム作成に、なくてはならない存在…』
と書かれていた。
好きな事をやってるだけなのに…
私のような、いい加減でテキトーな人間がもらっていいのだろうか?
なんだか場違いな気がする…。
教育長から表彰状を受け取る際、
ご丁寧な御礼の言葉を戴いたが
御礼を言いたいのは、私のほうだと思った。
実は、
かれこれ、十数年前になるが、
私は一度だけアナウンサーの仕事を辞めようと思った事があった。
その頃から、講師業にシフトしはじめたのだが、
自分の進むべき方向性が定まらず、心は揺れ動いていた。
更年期特有の症状も出始め、
精神的にも不安定な時期だった。
そんな折、プラネタリウムの収録の依頼があり
いつものように出かけた。
夕方6時30分から夜9時30分ごろまで、
声優役の演劇クラブの生徒たちに負けじと、
台本と向き合ながら一回だけの通しリハで本番に臨むのはいつものパターンなのだが
その日は、いつもとは少し違った。
ナレーションを入れ始めたとき
嬉しさが込み上げてきた。
( 私には、やっぱりこれしかない… )
心底、そう思った。
表彰式の帰り道、
いつもお世話になっているラジオ局に寄って受賞の報告をすると、
「ちゃんと、見てくれている人がいたんだよ」と、Oさんが言ってくれた。
私を最初にラジオ復帰に導いてくれた人だ。
アナウンス事業室長も、
先月の「新樹」という広報誌に、私を推薦してくれた営業社員のブーちゃんも喜んでくれた。
嬉しかった。
四半世紀…続けられた。
これからも、できる限り続けたい。
“ありがとうございました”
女性の声で
「シミズさまに◯◯功労賞の内定のご連絡です」
という電話が某教育機関から突然かかってきた。
何のことだろうと思って訊き直すと、
『教育文化功労者』表彰だという…。
そう言えば、数年前に
『社会教育功労者表彰』というのを受けた事があった…
その時も、なぜ自分なのだろう…と、びっくりしたが、
「あのう…以前、すでに社会教育功労者というのを戴いておりますが…」
というと、
「はい、あれから5年以上たちまして、今も続けて御尽力いただいておりますので、今回は“教育文化功労者”です」
とのこと。
いいんだろうか…?
私が、なぜ?
という思いしかなかった。
内定だから、取り消される場合もあるだろうと思っていたら、しばらくして表彰式出席への依頼文書が届いた。
ありがたく受けることにして
今日、表彰式に出た。
受賞理由の活動歴を読むと
『児童文化センターのプラネタリウム番組の制作にあたり、平成5年から番組のナレーションや声優として活躍、現在も年6回の番組録音に毎回欠かさず参加するなど、児童文化センターの目玉であるプラネタリウム作成に、なくてはならない存在…』
と書かれていた。
好きな事をやってるだけなのに…
私のような、いい加減でテキトーな人間がもらっていいのだろうか?
なんだか場違いな気がする…。
教育長から表彰状を受け取る際、
ご丁寧な御礼の言葉を戴いたが
御礼を言いたいのは、私のほうだと思った。
実は、
かれこれ、十数年前になるが、
私は一度だけアナウンサーの仕事を辞めようと思った事があった。
その頃から、講師業にシフトしはじめたのだが、
自分の進むべき方向性が定まらず、心は揺れ動いていた。
更年期特有の症状も出始め、
精神的にも不安定な時期だった。
そんな折、プラネタリウムの収録の依頼があり
いつものように出かけた。
夕方6時30分から夜9時30分ごろまで、
声優役の演劇クラブの生徒たちに負けじと、
台本と向き合ながら一回だけの通しリハで本番に臨むのはいつものパターンなのだが
その日は、いつもとは少し違った。
ナレーションを入れ始めたとき
嬉しさが込み上げてきた。
( 私には、やっぱりこれしかない… )
心底、そう思った。
表彰式の帰り道、
いつもお世話になっているラジオ局に寄って受賞の報告をすると、
「ちゃんと、見てくれている人がいたんだよ」と、Oさんが言ってくれた。
私を最初にラジオ復帰に導いてくれた人だ。
アナウンス事業室長も、
先月の「新樹」という広報誌に、私を推薦してくれた営業社員のブーちゃんも喜んでくれた。
嬉しかった。
四半世紀…続けられた。
これからも、できる限り続けたい。
“ありがとうございました”