ハラビロカマキリを発見。次男が庭に離し、早速撮影会をする夫。
塾の中に迷い込んできたそうです。私は虫を見てそのような気持ちにはなりませんが、息子達は虫を見ていると本当に気持ちがなごむようです。
好きなものや、好きなことって、人を幸せな気持ちにさせますね。
何が好きかは人によってそれぞれ。その違いにこだわるより、「好きなものを見て幸せ」という気持ちを共有したい。
昨夜見た、BS2のドキュメント特集。世紀を刻んだ歌「ヘイ・ジュード」
1968年に発表されたビートルズのこの歌が、ロシアの侵攻の後、チェコスロバキアの歌手マルタ・グビショヴァによってカバーされ、その後、政府によって発売禁止、回収、廃棄処分を受けます。地面に埋めてレコードを守ろうとした人もいますが、それさえ、密告により掘り返されて公衆の面前で割られました。
マルタ自身も歌手活動を禁止され、弾圧を受け、内職で支える貧しい生活。何度も逮捕訊問されるという生活に耐えて20年。
彼女自身もう歌詞さえはっきりとしなくなった1989年。
学生達の集会に呼ばれ、この歌を歌うように請われます。「もう歌詞さえ覚えていない。」というと、学生達は「大丈夫、私達が教えます。私達が何度も歌い覚えていますから。」その年、無血革命により、チェコスロバキアの人々が主権を取り戻した時、30万人の人々が、マルタの歌を聴きに集まったそうです。
ポール・マッカートニーは、この曲をジョン・レノンが離婚したことで、傷ついたジュリアン・レノンを励まそうと書いたそうですが、歌詞は女性に向けたラブソングのような形態をとっています。その曲に、マルタはロシア侵攻によって傷つき怖れているチェコの人々を励ますチェコの人々だけにわかる歌詞をつけて歌ったのです。
1968年に発表されたビートルズのこの歌が、ロシアの侵攻の後、チェコスロバキアの歌手マルタ・グビショヴァによってカバーされ、その後、政府によって発売禁止、回収、廃棄処分を受けます。地面に埋めてレコードを守ろうとした人もいますが、それさえ、密告により掘り返されて公衆の面前で割られました。
マルタ自身も歌手活動を禁止され、弾圧を受け、内職で支える貧しい生活。何度も逮捕訊問されるという生活に耐えて20年。
彼女自身もう歌詞さえはっきりとしなくなった1989年。
学生達の集会に呼ばれ、この歌を歌うように請われます。「もう歌詞さえ覚えていない。」というと、学生達は「大丈夫、私達が教えます。私達が何度も歌い覚えていますから。」その年、無血革命により、チェコスロバキアの人々が主権を取り戻した時、30万人の人々が、マルタの歌を聴きに集まったそうです。
ポール・マッカートニーは、この曲をジョン・レノンが離婚したことで、傷ついたジュリアン・レノンを励まそうと書いたそうですが、歌詞は女性に向けたラブソングのような形態をとっています。その曲に、マルタはロシア侵攻によって傷つき怖れているチェコの人々を励ますチェコの人々だけにわかる歌詞をつけて歌ったのです。
「ヘイ・ジュード」チェコ語訳より
ねぇ ジュード 涙があなたをどう変えたの
目がヒリヒリ 涙があなたを冷えさせる
私があなたに贈れるものは少ないけど
あなたは 私たちに歌ってくれる
いつもあなたと共にある歌を
ねぇ ジュード 甘いささやきは一見心地いいけど
それだけじゃないのね
「韻」の終わりがあるすべての歌の裏には「陰」があって
私たちに教えてくれる
人生はすばらしい 人生は残酷
でも ジュード 自分の人生を信じなさい
人生は私たちに 傷と痛みを与え
時として傷口に塩をすりこみ 杖が折れるほどたたく
人生は私たちをあやつるけど悲しまないで
ジュード あなたには歌がある
みんながそれを歌うと あなたの目が輝く
そしてあなたが静かに 口ずさむだけで
すべての聴衆はあなたにひきつけられる
あなたはこっちへ、私は向こうへ歩き出す
でも ジュード あなたと遠くはなれても
心はあなたのそばに行ける
今 私はなす術もなく あなたの歌を聴く自分を恥じている
神様私を裁いてください
私はあなたのように歌う勇気がない
ジュード あなたは知っている
口がヒリヒリ 石をかむようなつらさを
あなたの口から きれいに聞こえてくる歌は
不幸の裏にある「真実」を教えてくれる
ララララ ラララララ ・・・
子どもは親を選べない。離婚と言う親の事情の前に、子どもは無力です。
チェコの人々も、強大なソ連軍の武力の前にどうすることもできない無力な思いを味わったことでしょう。できごとの違いはあっても、自分だけではどうにもならないことを前にした人としての苦しみや悲しみ失望、そしてそれに耐える力と勇気を歌った歌であることは確かです。
音楽は、打ちのめされた人々の気持ちに共感し、理屈や違いを越えたつながりを支えました。
他の東欧の国では違った流血の革命が起こったところもありましたが、チェコではビロードの革命といわれた無血の革命が国を動かしました。
私達が、人の悼みや、悲しみに共感し、つながれば、どんなに美しい世界が開かれるか?
そのことをこの曲や、チェコの人々が教えてくれていると思います。