今日は何かを書こうと思っても、考えがまとまらないです。
昨夜NHKで見た永山則夫死刑囚の長いドキュメンタリーに、今日出たゼミ「被害者加害者の心理」。
評論家や、心理学的分析、裁判管、暴君のような言葉は次から次に浮かんできますが、さて、自分はどうなのか?というところになると、さっぱり言葉が浮かんできません。
死刑を望み、自殺未遂をくりかえし、社会への呪詛を叫び続ける永山則夫が死刑を免れ、無期懲役といわれた後に、示した行為。学び、本を書き、書簡のやりとり、被害者の遺族へ印税を差し出し、そして、結婚。
判決が翻り、死刑を言い渡された後、離婚。また、社会改革を要求し、それでも、死刑を執行されるまでの28年の間に彼に人間的成長が無かったかというと、そうでもない。
一方で、被害者は成長の機会さえ奪われてしまったわけで、しかし、死刑制度とか、裁判制度について問題にしたいわけではなく。
自分の行為や言動を社会や、環境や他人の責任のように思ってしまう永山のような被害者意識は自分にもあって、というか、日常それは、頻繁に思っていて、表面にあげずに、そこにとどまり続けて問題を解決しないのが習い性になっている自分に、気がついて、嫌な気持ち半分、良かった半分。
今夜はそこまで。