7月がやってきました。暑気払いには二つの方法があって、一つは、冷たいものを食べる。もう一つは熱いものを食べる…唐辛子とか、カレーとか。
百合というと、前者のような気がしますが、この品種ファンジオは後者って感じ。ゆりだっていろいろあります。
モーツアルトを勉強していると、音量についていろいろ考えさせられます。
大きな音で吹こうとしても、なかなか吹けない。
息が少ないと、音がはっきりしない。
力技で乗り切ろうとしても、なんだか違います。
モイーズ先生の音は、そばで聞いたらそんなに大きな気はしなかったのに、どんな大きなホールの後ろの席でも、はっきりと聞こえたと、いいます。
大音量というより、通る音。
音を飛ばす。と言う言い方をするフルート吹きもいます。
大声を出して聴いてもらうという練習をしたことがあります。
のどから大声を出すと、声は良く出ているような気がしますが、離れたところにはあまり届きません。
お腹からだすといっても、なかなかでません。肩や首に力が入っていると、声帯が痛くなります。これはのどから声が出ている証拠です。
ちょっと無理やりですが、背中は曲げずに、少し前かがみになって、お腹に息を入れる感じ。と言うのは、お腹には実際には息が入らないからです。お腹の周りの皮をわき腹の周り、背中の方までぐるっと外に張り出す感じで、出しやすい声。初めは低音がいいかもしれません。
それで、出してみると、お腹から声が出ます。
もう一つ面白い実験もしてみました。
相手にたってもらって、届いた気がするかどうか?言ってもらいました。
意識をどこに飛ばすとあらかじめ決めておいて、立つ位置や、声量を同じにして、何度か繰り返しました。
意識を床に向けたり、上方の壁に向けたり、しかしこれは、「この人に届けよう。」と相手を意識した時が、圧倒的に届いた気がすることがわかりました。
これは、声だけでなく、フルートを持っても同じだと思います。
またモーツアルトだけでなく、いろいろなほかの作曲家の曲でも言えることだと思いますが、特にモーツアルトは小手先の技術では演奏できない気がします。
まだまだ、自分の体と演奏の関係考えていきたいと思います。