音楽の喜び フルートとともに

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ボーンズ フォー ライフ

2011-10-19 22:39:29 | レクチャー、マスタークラス

ミニバラ フォーエバー社のアンチベスです。ピアノのSさんの夫が育てています。ミニバラと思えない存在感と気品です。

今朝はボーンズ オブ ライフ。
苦手なことに取り組む時、何をつぶやきんながら、しますか?
「いややなぁ。」
それとも
「おもしろい」

「おもしろい」とつぶやかない限り、学びの効率は下がります。

それは、そういいながら学べないなら、学ぶことをあきらめた方が良いくらい。なぜなら、そのストレスは、自分を苦しませ、痛ませ、最後には、命をうばうかもしれません。
そして、その苦しみは見ている周りの人、家族や友人を巻き込み、心も痛ませます。

あらゆる教師は生徒の幸福を願って教えるものです。
「学ぶ」時には、ストレスはありますが、そのストレスを、教師が取り除くことはできません。「いややなあ。」と感じることを選ぶのも、「おもしろい。」と感じることを選ぶのも自分です。

100%自分の責任。

教育は、生きていくための選択肢を増やすことであって、自由を増やすために受けるものです。

学ぶことも、学ばないことも今の日本では赦されています。
学びの瞬間にも、自由が保障されています。
我慢して、不自由な状態で学んでいるとしたら、不自由になる学習を日々重ねているようなものです。

それぐらいなら、学ぶのをあきらめた方が、幸福に生きられます。
「学ぶ」ことは、将来のために今をあきらめることではありません。
そのこと自体が、「喜び」ととらえる人々は大勢いて、決して特別なことでは無い。誰でも、そうとらえることができるのです。

自分を振り返ってみれば、「学ぶ」ことは、我慢であり、将来のためにするもの。
と言うとらえ方をしてきたことが、わかります。
大嫌いな数学。丸暗記した英単語。単位を落とさないため、将来のため、いやいや何とか乗り切った。
でも、ある時、塾に行って、みんなと同じ公式で、いくつもいくつも問題を解いていると、ある瞬間から、大嫌いなはずの数学が楽しくなった。
大嫌いなはずの数学に楽しみ、喜びがあったことを発見しました。

しかし、せっかく得た喜びがなぜ起きたのか?塾と学校の何が違ったのか?
そういうことを考えなかったので、塾が終わったら、自分にその喜びを保障することができなかった。

数学は苦行で、ギリギリの及第点を得るだけの教科に戻り、そうやって学ぶことが自分にとっては自然なことで、苦行の方が当たり前。というとらえ方にしがみついたまま、私の数学の分野での成長は学業期が終わるとともに、終わってしまった。

そういう自分の「学び」のとらえ方を打破しない限り、どんな分野で取り組んでも、ギリギリ及第点の成長しか見込めない。

そうか、自分の「学び」の効率が悪かったのは、このとらえ方のせいだったんだ。
そのことがわかったことが、今日の大きな収穫でした。