鞆の浦は、江戸時代から保命酒といって漢方の薬草を漬けたお酒で繁栄したところだそうです。
街は酒屋さんでいっぱい。通りも、岡田家酒造通りなど酒屋さんの名前が入っています。軒先の杉玉は酒屋さんの看板です。
保命酒は地黄、茯苓など16種類の生薬を酒精に漬けこみ
太田家のこの広い部屋の正面一番奥には、
こんなものが置いていあります。保命酒を絞る機械だそうです。
すごいです。
大阪生玉出身の医師の中村壌平利時が1659年鞆の浦で、製造販売したのが始まりだそうです。明治になって専売禁止令で大田家に引き継がれ今に至っているそうです。
潤沢な資金は家の作りにも現れています。天井は竹で編まれた網代(あじろ)天井。
それに、広い。蔵やら、お風呂ややら、なん部屋あるのやら。
中庭もいい感じです。
こちらは、薬酒を入れておいた壺など、金魚が入っていました。
昔の用途とは違うけれど、形を変えて現役です。
この急な階段も現役。
古いものを町ぐるみで大切にする。
ケースに入れて飾っておくという大切ではなく、お雛様やお道具屋を使いきるという、商人の合理精神と結びついていて、もっと生活の中に根ざしている感じがしました。