なぜ暴力はなくならないのだろう?
嫌だということ、逃げること、その場を離れること、誰かに助けを求めること、大人に相談すること。
たくさんの大人が涙して、申し訳なかった。後悔の言葉を口にしていますが、なぜ、事前に介入できなかったのか?
法律は、あらゆる大人に虐待の通告の義務を負わせています。罰則はないですが。
子ども同士の2歳の差は虐待であると、規定している国もあります。
子ども同士では相談されても止められない。
信頼できる大人が必要だった。
ちょっとおせっかいなおばさん、少しだけ面倒くさいおじさん。
地域の見守りボランティア。
交通のおじさん。町内会のおばあちゃん。お店のおじいちゃん。
通勤途中にみかけたお姉さん。
ジョギングのお兄さん。
PTAのおばさん。
公園にこどもを連れてきているお母さんたち。
声をかけても良かったし、学校でも、教育委員会でも、児童相談所でも、虐待防止センターでも、病院でも、市役所でも、保健所でも、警察でも、どこでも誰からでも、匿名でも、電話一本あったなら、助けることができたかもしれない。
どうすることもできない、誰に相談しても同じ、次は僕にくるかもしれないと震え上がって、スルーした子どもに、大人に話せばなんとかなると信じさせることができないのは、なぜだろう?
たぶん、私たち自身が、自分に嘘をつき、目をつむり、信じていないから助けられるということを。
助けるという強い決意がないから。
自分たちは子どもではないのに、波風を立てることを恐れ、こどもと同じような位置で震え上がり、口を閉ざし、通りすぎていくのを待っているから。