ラナンキュラスのタソス。
実家の玄関の花生けに母が活けていました。
切花で出回る品種は数少ないらしいです。まだ、寒いけれど春らしい色ですね。
クーラウの作品64番は、グランドソナタ。1825年39歳の頃の作品で、デンマーク王子フレデリクに献呈されています。
この王子は1839年にフレデリク7世としてデンマーク王位を継承しています。
「民の愛は我が力なり」という名言を残した王で絶対君主制最後の王で、デンマーク政府による立憲君主制を受け入れる署名をしたそうです。
クーラウが生きたのは、クリスチャン7世とフレデリク6世の時代です。この王も絶対君主制を目指しながらも、すこしずつ民主的なものを受入ざるを得なかったそうです。
ナポレオンに敗れ、海上帝国デンマークの終焉。不景気、民主化。
ドイツに生まれ、ハンブルクで勉強し、デンマークで宮廷音楽家になったクーラウの周辺では、確固した地位が保証されたわけでもなく、凄まじい意識変化が起きていたと思います。
しかし、民主革命が起きたのとはちがって、デンマーク王朝は緩やかに民主化を受け入れました。
昨日書いた説と違って、カール・グラウプナーの伝記によると、右目を失明したのは、9歳の時で、転んだから。長く痛み、療養している間に作曲を始めたらしいです。
ほかにも、
クーラウは片目を失明したあと、フルートを父から習い、初めて作曲して収入を得たのはフルートの曲でした。香料商人から干しぶどうをもらったとか。
宮廷音楽士の地位は、安月給らしく、何度も昇給の依頼を書いていますが、ほとんど認められなかったらしいこと。
デンマークに移住したのは、ナポレオン侵攻で、徴兵されるのを避けるためだったこと。生涯独身。
じっとしていられない性格だったらしく、デンマークの国内をあちこち旅していたこと。
やっとのことで、昇給が認められたあと、火事で多くの財産を失ったことなどなど、
いろいろ書いてあって興味深いです。
もうちょっと、調べてみたい。
64番は、ソナタという形をとっていますが、11ページも渡り、かなり長い曲です。2楽章は、アンダンテですが、8つのヴァリエーション!?からなり、これでもかと技巧を駆使しています。これはかなり異例なことだと思います。
1、3楽章間に、一曲入っているような・・・。しかし美しく、流麗で、齟齬はない。
いつまでも吹いていられるし、聞き易い。
こっちも、もうちょっと練習したいです。