音楽の喜び フルートとともに

フルート教室  久米素子 松井山手駅 牧野駅 090-9702-8163 motokofl@ezweb.ne.jp

ないけれど、ある。

2015-03-06 23:32:00 | 介助

実家のパンジー。マトリックスパープル。先週、母が買ってきて植えたものです。いい色です。
また、パンジーの季節がやってきました。


次男と実家に着いてしばらくすると、父がデイサービスのバンで送られてきました。
迎えに出ると、介助の男性に支えられて、ゆっくり車を降りてた父は、車を振り返って、中に座っているおばあちゃんと、職員の女性に丁寧に投げキッス。
すると、二人は顔をクシュクシュにして笑いながら、お返しの投げキッス。

「Yさん、ぼくも。」と男性職員に呼び止められて、そちらを見ると、その男性も投げキッスをしました。
すると、父は両手でキスをブロックしました。
「あれ!」と彼は大笑い、車の中もみんな笑顔になって、帰って行きました。

夕食の後、長男も起きてきて夜勤の前の食事。
次男と私、久しぶりに3人でテーブルを囲んで、ポツポツ話をしていたら、父が加わってきて「男前になったな。」と二人に言います。
「どっちが?」とわざと聞いてみたら「どっちもええ男や。」
「彼女できたやろ。何人いてる?」
次男が何回目かの返し「何人やと思う?」
「6人ぐらいか。」「そうそう。」と次男が言うと、
「お母さんの前では言われへんやんな。彼女できたら、教えてや。お母さんに言われへんでもこっそり連れておいでや。」ハハハハと次男に目配せします。

長男にも「それ、いい服やな。自分で買ったんか。」
「うん。」
「ええなぁ。よう似合うやないか。」
「ふふ。」

年をとれば、仕事も、社会で積み上げてきた役割も、学んで積み重ねたこともなくなります。
体力も、能力も失われていきます。

その時、残るものは何でしょう?

いやいや年を取らなくても、仕事や、社会的役割や、肩書き、母親とか、妻とか、娘という役割がなかったら、私はなくなってしまうのだろうか?

父とあって、嬉しそうな人たちを見ていると、大丈夫。何がなくても、と思えてきます。
きっと、みんなも大丈夫ですよ。