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ボヘミアン ライヒャ

2021-08-25 23:02:32 | 音楽
オオニシキソウ。
里山の雑草ですが、私が肉眼で見ることができる最小の花です。
2㎜ないかも。
こんな小さな花もアメリカから来た外来植物です。

ライヒャとベートーベンは同じ1780年生まれということは以前にも書きました。

ボンで同じ宮廷楽団に所属していました。

しかし、生まれたところは違ってライヒャはプラハ、ベートーベンはボンです。

プラハは現在はチェコの首都ですが、ライヒャが生まれた時代はボヘミア王国の一部でした。
と言っても、1648年プラハの戦いでスウェーデンに略奪され、1740年プロイセンに一部占領され、1757年オーストリアハプスブルグ帝国軍がプロイセン軍を追い出すものの、プラハの4分の1が破壊。

プラハの暗黒時代と呼ばれたこの頃ライヒャは生まれ、10歳で両親を亡くし、ニュルンベルクの叔父に引き取られます。

19歳でケルンのマクシミリアン選帝皇宮廷楽団にフルート奏者として入り、ヴィオラ奏者として務めていたベートーベンと出会います。

1789年ボン大学にベートーベンと入学しますが、フランス軍にボンが占拠され楽団は解体。
ハンブルク、ウィーンを経て1808年パリに移ります。

その間に
1806年ナポレオンの侵攻によりボヘミア王国はオーストリア帝国に吸収されました。

ライヒャはまさに祖国ボヘミアの消滅を目の当たりにし、戦禍を逃れ、フランス革命後の激動のパリに生きた作曲家だったのです。

ライヒャのフルートカルテットop12
ジェームズ ゴールウェイと
デニス ブリアコフの共演という贅沢なカルテット見つけました。