今日は2時半から京都の病院で母の脳神経の検診でした。
中庭に寿老人と鶴亀。

大膳の夫婦御膳1050円




脳神経は大丈夫。次は取り敢えず来年。

のオラトリオ「四季」は30年間に渡ってエステルハージ家に務めたハイドンが、いち早く産業革命に突入したロンドンを訪問し、ヘンデルのオラトリオに接したことで刺激を受け、作曲されました。

ゴッドフリート・ヴァン・スヴィーテン男爵(1733-1803)にドイツ語で訳を頼みます。
「着物を洗いに出したい。」と、言うので、検診の前に洗い屋さんへ、
懇意の尺八の先生が務めてらっしゃいます。

懇意の尺八の先生が務めてらっしゃいます。
駐車場で待っていたら、「どうぞ冷たいところに入ってください。」と勧められました。
京都35度。車載温度計も35度を指していました。
先生に伺って近所の安くて駐車場のあるお蕎麦屋さんを教えてもらいました。

中庭に寿老人と鶴亀。

大膳の夫婦御膳1050円


人も少なくてゆったり食べられました。


脳神経は大丈夫。次は取り敢えず来年。
雨の日に聴く音楽を考えているうちに、梅雨が明けてしまいました。
梅雨は2週間しかなかったそうです。
いつもは鬱陶しいと思いがちな梅雨も、明けたと聞くと、雨の日が惜しくなります。
何より水不足は困ります。今はまだ、大丈夫だそうですが、この先あまり降る予定が無いそうで、夏の暑い時期に節電の上に節水
なんて、ちょっと笑えない。
古今東西、雨乞いには音楽が強い関係がありました。
ヨーゼフ・ハイドン(1732-1809)

のオラトリオ「四季」は30年間に渡ってエステルハージ家に務めたハイドンが、いち早く産業革命に突入したロンドンを訪問し、ヘンデルのオラトリオに接したことで刺激を受け、作曲されました。
この時、ハイドンはミルトンの「失楽園」を元にリドレーという詩人がヘンデルのために書いた台本を手にいれます。
ところがヘンデルが音楽を書く前に死んでしまったため、これをウィーンに持ち帰り

ゴッドフリート・ヴァン・スヴィーテン男爵(1733-1803)にドイツ語で訳を頼みます。
彼はヘンデルとバッハの大ファンで毎週日曜日に自宅の庭で彼らの曲のコンサートを開いていたほどで、モーツァルトもここで2人の曲を聴き影響を受けたとか。
男爵は、大喜びで翻訳し、上演するのに適した長さにし、仲間の貴族たちに呼びかけ、スポンサーを集めました。
ウィーンでまずオラトリオ「天地創造」が上演されました。
大成功!
ヨーロッパ全土で上演されました。
次に、オラトリオ2として考えられたのがオラトリオ「四季」です。
男爵がジェイムズ トマソンの長詩「四季」を見つけてきて、ハイドンに働きかけました。
ハイドンはこの台本には不満が多く、何度も男爵とぶつかり修整し3年を費やして作曲しました。
評価は前作と同じかそれ以下というものでした。
それは前作「天地創造」は壮大な神のお話しだったのに、「四季」は楽園を追放された人間の日常を描いたお話しだったので、地味だったせいか、素人男爵の創作のせいだったのか?
それは聴いてみてご判断ください。
むしろこちらのほうが身近に感じていいという人もいます。
第6曲は農民ハンネ、ルーカス、シモンが種を巻いた後の雨を乞う歌になっています。
ルーカス(テノール)と合唱
慈悲深い天よ、恵みをお与えください
胸を開いて、私たちの土地の上に祝福を与えてください!
ルーカス
あなたの霧で大地に湿り気を与えてください!
シモン(バス)
恵みの雨を畑の溝に降らせてください!
ハンネ(ソプラノ)
そよ風をやさしく吹かせてください!
太陽を明るく照らせてください!
ハンネ、ルーカス、シモン
そして、豊かな実りを与えてください
あなたには感謝と称賛を捧げましょう
合唱
慈悲深い天よ、恵みをお与えください!
胸を開いて、私たちの土地の上に
祝福を与えてください!